「少年部質問」カテゴリーアーカイブ

「学会って何?」

「学会って何?」

学会とはふつう、いろいろな学問や研究をしている人達が、自分の研究の成果を多くの人に向かって発表し、それが科学的に正しいか、開かれた場所でいろいろ意見を述べあい、人の営みをより良くしていこうとする集まりのことです。
日本では、国がおおやけに学会として認めているのは、国を動かしている人へ、有識者といって、そのことがらに専門的な知識や考え方を持っている人達が意見を伝える、そういった人達の集まりである「日本学術会議」の「日本学術会議協力学術研究団体」です。
日本学術会議は次のことがらに当てはまる所を、その団体として認めることになっています。
それは、①学術研究の向上発展を図ることを主たる目的とし、かつその目的とする分野における「学術研究団体」として活動しているものであること。
② 研究者の自主的な集まりで、研究者自身の運営によるものであること。
③ 構成員(個人会員)の数が百人以上であること。 とされています。
そして、この中に示してある「研究員」とはどういう人を指すのかというと、「人文・社会科学から自然科学までを含むすべての学術分野において、新たな知識を生み出す活動、あるいは科学的な知識の利用および活用に従事する者」と定義されています。
その「人文・社会科学から自然科学」というのは、医学系学会・歯学系学会・心理学学会・数学系学会・生物系学会・物理学系学会・化学系学会・地理学系学会・地球科学系学会・天文学系学会と、大きく分けることができます。
今お話ししていることは、ウィキペディアというインターネットの「フリー百科事典」から引用している、つまり受け売りなんだけど、そこの項目に、「学会ではない学会」というのがあるよ。
そこのところをそのまま書いてみると、「学会としての機能を持っていない団体・集団が『~学会』と自称している場合もある。
そう名乗ることがふさわしいと信じている場合、単に権威付けをねらっている場合、だますために意識して詐称・偽って名乗っている場合など、その理由はさまざまであると考えられる。
中には「と学会」や「神戸ランチ学会」のように単なる冗談やコミュニティーで名づけている例もある。 少なくとも日本では『学会』と名乗ることに対して、規制や資格は存在しない。
最近の特殊な例として、日本では宗教法人の創価学会を単に『学会』と呼ぶことがある。
同会では構成員(会員・信者)を「学会員」と呼ぶ」と、誠にまぎらわしく、「公明正大」という言葉が、創価学会の政治部門の「公明党」という党名として使用されているところから、使う人がためらったりして、結果使う人が以前より少なくなっているそうですが、正式な学術会員の中には、「学会員です」名乗って、創価学会員と間違われることもあるので、迷惑している人もいるそうです。
これを「お株を奪われる」と言うんだよ。ちょっとややこしくて難しい話しを、長々としてしまいましたが、R君が友達の家に遊びに行って、そこの仏壇に、R君の家にある御本尊さまとそっくりなものが掛けてあるのを見て、ご両親に話したんですね。
それでご両親が「学会かな」と言われたのですね。 それは多分、この創価学会員のお家でしょう。
この創価学会は、元は日蓮正宗の信徒だったんだよ。
ところがあまりに大きくなったもんだから、いつまでも日蓮正宗の信徒として、まじめに信心していくのがバカバカしいとうぬぼれの気持ちを持つものが出てきて、それでうまく分かれて、自分たちだけでやっていくための手立てを色々考えて、ついに猊下様がやむなく彼らを破門せざるを得ない状況を作って、とうとう信徒として破門という処分が下されたんだよ。
創価学会という集まりを最初に作ったのは、「牧口常三郎」という人なんだ。
この人を日蓮正宗の信徒へと折伏をして導いたのは、池袋・常在寺の法華講員だった「三谷素啓」という人なんだよ。
また、その後を継いで二代会長となる「戸田城聖」という人も、相次いで入信したんだ。
その頃、東京の白金小学校の校長をしていた牧口さんは、それまで先生をしていた経験から考えついた、「価値創造」という一つの哲学をもとに独自の教育方法を生み出し、それを「創価教育学」と名づけたの。
そして、それに同感する先生達が少しずつ増えてきたので、牧口さんと戸田さんはその人達を折伏して日蓮正宗に入信させ、昭和十二年五月、東京麻布の菊水亭で「創価教育学会」の発会式を行ったんだよ。 これが「学会」の始まり。
そして、牧口という人が亡くなった後、戸田二代会長が「創価学会」と名を改め、大きく会は勢力を広げることになるの。
この人達の日蓮正宗への信心は最初は立派なものだったのです。
それが『折伏教典三二一頁』の、「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」 とか、「特別学習会テキスト五六頁」の、「戒壇の大御本尊を離れて、我々の信心はありません」 とか、最近悪態をついている池田大作という人も、「絶対なるものは大御本尊のお力である」(広布と人生を語る三巻五三頁) あるいは、「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。
しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。
そして宗祖日蓮大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人が法水瀉甁・血脈相承され、現在は、第六十七世日顯上人猊下にいっさい受け継がれているのである」(広布と人生を語る一巻一三二頁)と主張してきていたのです。
ところが、日蓮正宗はもはや利用価値が無いと見るや、利が無いと分かった途端、また宗門が破門処分を撤回する意思が全く見込めないと見極めるやいなや、「日顯宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。
本来、宗教には『仏と自分』との信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」(聖教新聞・平成五年五月五日付) 「〝総本山に参詣しなければ功徳が無い〟という宗門の主張は、道理からいっても全く意味をなさない」(聖教新聞・平成四年二月二十九 日付) と、これが同じ人の発言なのだから、驚くよね。
第二代の戸田会長の奥様が亡くなられた時は、御遺言で、日蓮正宗の池袋・常在寺の御住職からお葬式の導師をしていただかれました。
これは、第二代戸田会長の日ごろの信心が那辺にあったかという、立派な証拠だね。
それが次の指導の言葉にもしのぶ事が出来るよ。
「わたしたちは、無智な人人をみちびく車屋である。(中略)大御本尊の御もとへ案内して行くのが、学会の唯一の使命である」(戸田会長講演集上三十一頁) 本当に素晴らしい信心だね。
でも今は残念ながら、創価学会は日蓮正宗を目の敵にして勝手に御本尊を作ったり、猊下様をまるで極悪人のように悪口を言っているので、全国の日蓮正宗の僧侶と法華講員で、創価学会員を正しい信心に目覚めさせようとして、頑張っているんだよ。
でも、だからといって、R君がそのお友達を憎らしげににらんだり、馬鹿にしたりすることはないんだよ。
友達はともだちで、いつかその人にも、正しい信心が出来るように、教えてあげる時が来ると良いね。
はい、今日はこれでおしまい。またね!

 

 

転載複写等禁止 色心編集室

「お家の御本尊様より 西大宣寺の御本尊様は 気持ちが良いです。 奉安堂の中の御本尊様は、 もっともっと気持ちが 良いです。 どうして気持ちが 良くなるのですか?」

Kちゃん、とっても素敵な質問を有り難うございました。
お家を守っていただいて、そして毎日、朝晩の勤行をさせていただいている我が家の御本尊様。
猊下様はね、最初御本尊様にお家に来て頂いた時のことを、今まで御本尊様がまだいらっしてないときと、いらっしゃったときとでは、これは全然違う。
雰囲気もそうだし、何か突然明るくなったような、仏様と共にある暮らしだね。運命まで変わっちゃう。
わずかな家族同士のわだかまりも失せて、楽しくて笑い声の絶えない、安心して学校や遊びに行ける。本当の安住の地になるんだね。
元泥棒だった人の話を、この前テレビでやっていたけど、だましやすい家、泥棒に入って悪いことをしてみたい、そういう家は見ただけで、そういう感じがこちらに漂ってくるそうだよ。 そういう悪い人の心を誘う、そういう「気」がただよっているんだって。
私達の家族は、必ず宿習といって、見えない因縁によって結ばれているんだよ。
家庭の御本尊様はそういう絆も更に強く、こここそが寂光浄土であって、ほかに理想郷・ユートピアがあるわけじゃない。
愛情を育むあたたかな大地はここしかない。 それに信心の心持ちを学ぶのも、やはり家庭なのです。 そこでは、お母さんが心からお父さんを愛するように、お父さんがお母さんに命を捨てるように、ご両親が決してKちゃんを見捨てないように、Kちゃんがご両親から、何があっても離れないように、こういう掛け値無しで御本尊様にお題目を唱えるのを信心と言うんだよ。
家庭の真ん中に御本尊様があるってことは、本当に素晴らしいことだね。
これからも、ご両親やおじいちゃん、おばあちゃんがお元気でいられるように、しっかりお家の御本尊様にお題目をあげてね。
私達のご家庭の御本尊様、そして自分たちの地域に日蓮正宗の信心を根付かせる役割の寺院、そのお寺の御本尊様も、すべては時の御法主上人猊下様が、我が内証の――お心の中で受け継がれている日蓮大聖人のお魂・本門戒壇の大御本尊様を、私達がこの目で拝することが出来るように御図顕くだされた、文字でお顕わしくだされたものであって、本来小さいから手を抜いて、大きいものは存分に力をこめて、などと区別があるものでは有りません。
しかし、皆さんが同心してそこに集い、共々に唱題をすることで、連帯感を強め、使命を共有・確認しあい、御法主上人猊下様と御本尊様のお住まいとしての寺院は、出来るだけ本門戒壇の大御本尊に近い形での、厚き楠の板に彫刻され、背景は漆地で黒く、文字の部分は金箔を貼って、文字が金色に浮かび上がるようにしてあります。
総本山の奉安堂御安置の、本門戒壇の大御本尊様も、このように楠に彫刻され、金箔で文字が浮かび上がるように作られているんだよ。
この大御本尊様こそ、仏法の最大肝要といって、すべての教えはこの御本尊様を指し示すために有ったと言って良い、日蓮大聖人様が「御自身の魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせたまえ」と仰った一番大切な御本尊様だね。
だからKちゃんが言ったように、家庭の御本尊様ももちろん素晴らしいけれど、私達の菩提寺の御本尊様はさらに荘厳に、そして奉安堂の御本尊様は、本当に最高と、感受性ゆたかなKちゃんは、素直に感じることが出来たんですね。
これは本当に素晴らしいことです。 これからも、この素晴らしい心を忘れないで下さいね。 今日はこれでおしまい。またのご質問、まってま~す。

 

 

転載複写等禁止 色心編集室

ある本で、「灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」という文章を見たんですが、どういう意味ですか?

ある本で、「灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」という文章を見たんですが、どういう意味ですか?

これは、総本山第二十六世日寛上人が、私たちの修行に正行と助行とある中で、助行の役割についてご説明なさった箇所です。
正行とは、御本尊様にお題目を唱えることで、助行とは方便品と寿量品とを読んで、正行甚深の功徳を弥増しし、また明らかにすることです。
それでは質問の御文について、少し解説を加えてみましょうね。
まず、「灰汁の清水を助け」という部分ですが、これは「かいじゅう」ではありません。
「あく」と読むのです。 「灰汁」とう言葉を「世界大百科事典」で調べてみますと、 「植物の水で浸出した液。この液は洗濯に有効で、しかも酸と相反する性質をもつ。主成分は、陸の植物の場合は炭酸カリウムなど、海の植物の場合は炭酸ナトリウムなどである。
あくづけ、アク抜きなどに使う」 などと書かれているところから、短絡して、「灰汁の清水を助け」とは、「たとえば洗濯をするときに、洗剤を加えて水の助けとする意味」とする場合が多いように見受けられます。 しかし、これでは「灰汁が清水を助ける」意味とはなりません。
これは、日寛上人の生きておられた時代背景を考慮にいれて解釈しなければなりません。 と言うのも、この時代、灰汁を使った画期的な方法が、ある物の生産効率を上げるのに革命?を起こしていたのです。
あるものとは「清酒」です。元は濁酒(だくしゅ—にごりざけ、どぶろく、もろみざけとも呼ぶ)を長時間掛けて沈殿するのを待って、その上澄みを取る静置法が主流だったのですが、江戸時代の初期に大阪の鴻池が濁酒に灰をいれてろ過する方法・いわゆる「灰澄まし法」を発見し、効率良くろ過・漉して透明にした〈澄み酒・清酒〉を作れるようになったのです。
これが今でも名残として、造り酒屋の軒先に、新酒が出来たことのデモンストレーションとして、杉の葉で作った丸い玉を下げるのです。
これを杉玉とか酒林とも呼ばれています。 それも、文政十二年板行の『北窓瑣談』という書には、「酒の今の如く清酒になりしは、わずかに百四五十年この方の事とぞ」とあるそうで、文政十二年板行と言えば西暦一八二九年ですから、それより百四五十年と言えば、一六七九年から一六八九年ごろの延宝年間ということになります。
日寛上人が『三重秘伝抄』を著わされたのが正徳三年(一七一三)、御登座あそばされたのが享保三年(一七一八)ですから、まさにその三十年後で流行の真っ盛り、ということで、これを例えに用いられたようです。 このように、濁った液体を澄んだ清水の状態にするのに有効なのが、この「灰汁」を加える方法なのです。
灰汁はこのように、濁り水を不透明な状態から透明な清水にするのを助けますから、私たちの唱える題目が、釈尊の法華経や、あるいは像法時代に、天台大師や伝教大師が唱えたものと同一なものかどうか不透明なものを、明確に、今よりさかのぼること久遠元初の時、名字凡身の御本仏が御修行あそばされた、いわゆる「本地の御自行」、これ真実の仏になる因なるゆえに「本因妙」と称し奉るのですが、これを私どもにお与え下された『三大秘法』と申し上げる、唯一の仏道修行であることを明らかににするために、この『方便品』と『寿量品』とを助行として拝読するのです。
「塩酢の米麺の味を助くるが如し」と言うのは、塩はお米の味を際立たせる。お酢も素麺の味を引き立たせるように、唱題の功徳を際立たせ、引き立てるのに、大いに力となるのです。
それで、唱題の助行とするのです。 これからの文章は、インターネット記事からの受け売りですが、平安・鎌倉時代の「延喜式」「天延二年記」「小右記」「中右記」「江家次第」「長秋記」などの記録によると、宮中での饗宴には必ず素麺が出され、酒のあと酢素麺を食べる習わしがあったようです。
酒でもてなした後、酢素麺を食べるのが最高の料理で、この方法が宮中から公家などの上流社会に伝わり、江戸時代に入ると、庶民も酒の後、酢素麺を食べる習慣になりました。
江戸時代も中期になると、地元で作られる醤油を使ったつゆが一般化し、醤油のつゆと酢を適宜に使い分けていたようです。
酢素麺は当時高級料理とされていました。
播州地方でも、昭和三十年代頃までは酢をベースとしたつゆが主流で、醤油を使ったつゆは少なかったようです。現在では、醤油ベースのつゆ(めんつゆ)が主流になり、酢素麺はあまり食べなくなったのは、皆さんご承知の通りです。
お酢で食べるから最高の料理で、宮中のもてなし料理の中でも特にこだわりがあったことを知る事ができます。
また、お米を食べるにしても、炊きたてのご飯を、塩をまぶして握ったおにぎりが最高の料理であることを、この三月に終了したNHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」でも、主人公の差し出したおにぎりを、アメリカの進駐軍の将校までもが、こんな美味いものはないとばかりに目を丸くしてほおばっているのが、印象的に描かれていました。
このように、お酢も、現在のめんつゆも、麺の味を引き立てる、風味豊かにする。
あるいは、お塩も、ご飯をいよいよおいしくして、栄養を身につかせる大きな働きをもっていることが、私たちの修行の関係によく似ているので、これを、正行を助ける行・助行とするのです。
この方便品と寿量品、そして題目を唱えることで、迹門・本門・文底へと浅いところより次第に深い所に至り、寿量文底の三大秘法の題目という意義が具わることになるのです。
ゆえに、この助行と正行たる題目を合わせ行ずることで、本当の大益を得る事が出来るのです。 以上

 

 

転載複写等禁止 色心編集室

「御観念文は、初座・二座・三座・四座・五座と、それぞれどういう意味があるのですか?」

Aちゃん、とっても大切な質問をしてくれて、有り難うございました。
それはね、一口に言えば「四恩」という四つの恩を受けていることに対して、恩返しの意味を込めてお題目を唱えているのよ。
これを「四恩報謝」と言います。
私たちは「法華経」という教えを信じているよね。
法華経というのは何を説いているかといえば、要は「人の振る舞い」ということなのね。
このことを日蓮大聖人様は『崇峻天皇御書』(一一七四頁)に、
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。 賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」
と、仰っているの。
この意味はね、
「お釈迦様が御一生の中で五十年間御説法されましたが、その中で最も大切な教えは法華経、その法華経の修行の肝心な部分は、不軽品に説かれていることなのです。
この中で、不軽菩薩はどんな人にでも、『心から敬います』と、礼拝することを専らにされましたが、これはどういう理由からかと言いますと、『人は皆仏性という仏の命を本来お持ちです。あなたも、将来かならず妙法の縁に触れることにより題目を唱える機会がおとずれて、やがて仏になられる方であると信じるからです』と、将来を見越して、その人の心の奥底の仏の命に向かって礼拝をなされました。
お釈迦様が教えを説こうとされたその目的は、人の振る舞いはどうあるべきか、ということに尽きるのです。物事の道理をよくわきまえて行動できる者を本当の人間と言い、しっかりとした思慮分別の無い・浅はかな者を畜生と言うのです」ということなの。
人はどうして、判っているはずなのに、いい加減な、間違ったことをしでかしてしまうかというと、自分が何の値打ちも無い、つまらなくて卑しいものだと思い込んでいるからなのです。
自分で自分を否定しているのです。
そこで仏様は、私たちはもともと立派な価値を持った生き物であることを諭して、人間の一生を輝けるものにしてあげたい、とお考えになったのね。
でもそれだけでは、人間はともすれば起こりがちな、一時的な感情の暴走に振り回されて歯止めが効かないことがあるので、私たちは多くの人の支えがあって、いまこうしてあることを改めて呼び覚まし、間違ったことをしようとする時のブレーキ、よく食い止めることが出来る・抑制することが可能な様に、「四恩」という、四つの代表的な恩についてその大事を説かれたの。
私たちはよほどの阿呆でないかぎり、こういう事をしてしまえば、親に迷惑を掛けるなぁ、親を泣かせることになるなぁ、先生に恥をかかせることになるなー。だから、こういうことはしないでおこう、という風に考えるものです。
ですから大聖人様は、「持戒は父母・師僧・国王・主君・一切衆生・三宝の恩を報ぜんが為なり」(十法界明因果抄・二一四頁)と、私たちが「人殺しをしない、泥棒をしない、嘘をつかないなどの戒めを守ろうとするのは、両親やお師匠さんの僧侶、国王、会社などに勤めていればそこの社長、あるいは世の中のすべての人々、そして仏法僧の三宝の恩に報いようとするところに、その心は生まれるのです」と、御指南なのです。
そして、それらの方からどういう風に恩恵を受けているかを、順に述べられます。
一、両親は生み育ててくださった恩があります。私たちがおねしょした時は、自分は冷たい所に寝て、子供にはぬれてない方に寝かせてくださったり、病気の時は寝ないで看病したり、この苦しみを代わってあげることができたらと、胸を痛めてくださったりしていただいたのよ。
二、すべての人々は、互いに助け合って生きていますから、この恩があります。お米も、お野菜も、着るものも、おうちも、学校も、そしてこうしてなにげなく生きていることすべてが、色々な人が関わって保たれている安全なの。
三、国が平和に治められていれば、私たちは安心して暮らせ、そして素晴らしい日蓮大聖人様の教えを修行して、大きな功徳を積んでいくことができます。
国が内戦状態に陥っている所の悲惨な状況は、もうそれどころではなく、こうしている間にも、一日二万人以上の子供たちが、食べるものも食べられず、飢えや病気、そして銃弾の犠牲になって亡くなっているそうよ。そういうかわいそうな人たちを救うためにも、私たちはしっかり信心をして、また大聖人様の教えをしっかり身につけていかなければなりませんね。
だから、こうして国がそれなりに安定して生活できるということは、恩をこうむっているのです。
四、お仕事を働いているお父さんやお母さんが、そこでお給料をいただいているから、みんながこうして暮らしていけるんですね。だから、会社や職場、それに社長¦昔は主君と言っていたのですが、この人たちにも恩がある、ということになります。
五、三宝とは仏の宝の大聖人様、法の宝の三大秘法の御本尊様、そしてそれを正しく私たちまでお伝えくだされた日興上人様を始めとする僧宝の、総本山の猊下様にも、私たちが生きる希望や力をお与えくだされたのですから、大変な御恩があります。
これらを取りまとめて、四恩というのです。
何度も言う様だけれども、大聖人様はこの「四恩」について、たとえば『開目抄』には、
「聖賢の二類は孝の家より出でたり。いかにいわんや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩をいたすべし」(御書五三〇頁)
と、聖人・賢人と言われる様な、後々の世までみんなのお手本となられるお方は、両親やご先祖様に孝養を尽くされることにより、その人間性を磨いてこられました。ましてや、最高の人間の生き方を説いた仏法を学ぼうとする人が、恩を受けていることを学び、その恩に報いないことがあっていいものでしょうか。仏の弟子となった者は、必ず四恩を知って、これに報いていかなければならない、とお教えなのです。
また『聖愚問答抄』というお書き物にも、
「我釈尊の遺法をまなび、仏法に肩を入れしより已来、知恩をもて最とし、報恩をもて前とす。世に四恩あり、これを知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす」(御書三九九頁)
と、あるんだ。
ここには、日蓮大聖人さまがお釈迦様の残された教えを学び、仏法に肩入れして――特に仏法一筋に信じるようになってから、恩を知り、恩に報い奉ることを最優先に掲げてやってきました。
世の中に大切な四恩というものがあります。これを知っている人を、真の人間と名づけ、愚かにも知らなければ、いかに人間の格好をしていても、この人は畜生と言われても仕方ないことだ、とおっしゃっているのです。
四恩を知るか知らないかが、人間と畜生とを分けるターニングポイント・分かれ道・分水嶺なのです。
しかし、こんなに大切な四恩ですが、「さあ、これをやりなさい」と、「私たちの自主性にお任せする」とされたなら、私たちはただ途方に暮れるばかりです。四恩の大切さを強調されるばかりで、実際に誰もが行うことができる道をお示し下されなければ、私たちは実際に行うことは不可能です。
そこで仏様は、これを大切な修行の柱である勤行の中に組み込んでくだされたのです。それが「五座の勤行」なのです。
四恩とは、国の恩・三宝の恩・一切衆生の恩・父母の恩です。
勤行の初座は、国の恩を報ずるのに当てられます。初座の御観念文を見ると、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等の名前とともに、あらゆる法華経を守護することをお約束されている諸天善神に対し、法味を差し上げ、精気・精力を充実していただきたき旨言上する・申し上げることが記されています。
これは、私たちが毎朝起きてこの目で確かめているように、太陽などの星々は皆東に顕われ出るからです。
このことは古代中国の『説卦伝』という書にも、「東方の『震』卦は、造化の主催者たる帝の顕現を象徴するところなので、万物は先ず『震』に顕現する」(「五行循環」・吉野裕子著(人文書院発行)七十九頁)と書かれているそうです。
大体日本の祈りの形は、中国のものに学んだものが多いのですが、立春・立夏・立秋・立冬の四立の朝には、中国の皇帝は文武百官と共に、それぞれ、東西南北の門に、それぞれの季節の色(春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒)の衣装と宝玉を身につけ季節を迎えたのです。そうやって、季節の順当な推移をうながそうとしたのです。
季節が、その時節通りに動くことが、穀物の収穫や、あるいは冬物・夏物の季節商品が売り買いされて市場が活気を帯び、それがひいては国家の繁栄をもたらすことになったからです。
毎日巡り来る朝もそうです。現代の私たちは、地球の自転や公転によって、朝昼晩や季節が巡ってくる事を知っていますが、それでも、冬にちっとも雪の降らない暖冬があり、夏に少しも暑くならない冷夏があったりして、季節関連の商売をしている人を、ヤキモキさせていたのです。
それで昔の人は、「天地の精、五行の端」(戒法門・御書十二頁)であるという、天地が生み出した最高傑作品の「人」が手助けをすることによって、それらが規則通りに運行すると信じて止まなかったのです。
ましてや経文には、「諸天昼夜 常為法故 而衛護之」と説かれていて、諸天善神は、昼夜を分かたず常に法のための故に、この健気に法華経を信ずる人々を衛護・護っていくと説かれているのですから、どうぞ、そのお誓いが紛れもないものであるならば、その誓いを、私たちが修行しているこの国にお向けくださいまして、これをもって、国の恩に当てさせて頂けます様に¦¦、と御祈念しているのです。
次の二座は見ての通り、三宝の中には御本尊様という法宝についての御報恩感謝申し上げる所であり、引き続いて三座は、日蓮大聖人様という末法の御本仏様・仏宝と、日興上人様・日目上人様を始めとする僧宝への報恩感謝を申し上げるところです。
この三つの宝が世にましまさなければ、私たちは本当の自分の価値も、なぜこの世に生まれてきたのか、その意味も知らないまま、羅針盤を持たない船が大海をさまよう様に、あたら人生を棒に振らなければならないところでした。
そうして四座は、広宣流布の御祈念をするところですが、広宣流布とはつまり、世の中の一人ひとりに大聖人様の三大秘法の御本尊を受持せしめて、唱題という修行によって成仏の境涯にいたらしめ、ついにはこの土に仏国土を建設することにあります。
この一人ひとりを、真実の幸せにしていくことは、つまりは、この方々からいただいている恩に報いるためなのです。だから折伏は報恩行なのです。
そして、この広宣流布の志有るところ、私たち自身の祈りも叶っていくのです。ですから、広宣流布の御祈念の直後に、自身の御祈念をするところが有るのです。
これを、「広宣流布の志無くんば、利生これあるまじき由」と言われているのです。
五座は「父母先祖の恩」への報恩感謝に換えて題目の功徳をお送りするのです。
ご先祖様への孝養にも三つあって、一つは食べ物や着る物など、衣食住に関わる物がご不自由無いようにすることです。
二つは、親の意に違わざることです。親が人生の先輩としての知識や体験をもとに、色々教えてくれたことに背かないようにすることです。
ただし、仏法において御本仏の御教えに背いていればこれには従わず、かえってお題目を勧め、あるいは亡くなっておられれば、題目の修行の功徳をお送りし・回向してあげることが、これが三番目の最高の孝行・報恩感謝になるのです。
五座の最後に、「乃至法界平等利益 自他倶安同帰寂光」と念じて、この私たちが今積んだ妙法の功徳をあまねく法界・地上の生きとし生けるものに及ぼし、ついには共々に寂光浄土に安住することが出来、法楽をほしいままに受けるという、成仏という境涯を得ることができますようにと、お祈りするのです。
はい、これが、私たちが五座の勤行をする理由です。これがしっかり判ってないと、少しばかり会員を増やしたからといって天狗になって、高慢ちきになって、こんな時代遅れなものは必要ないなどと、大聖人様の思し召し、慈悲の御教導を真っ向から否定して、そして自ら墓穴を掘ることになるのです。
優秀だとうぬぼれている創価学会の池田大作という人や顕正会の浅井昭衞などという者が陥ってしまった、落とし穴・懈怠謗法ですから、私たちは日夜油断無く、五座の修行をしてまいりましょう。
以上

 

 

転載複写等禁止 色心編集室

「どうして『いわしの頭も信心から』と言うんですか?」

Aさん、とっても大事な質問をありがとうございました。
そうですよね、いわしの、それもどちらかと言えば食べないで捨てるようなものが、私たちを幸せにするなんて、ちょっと考えられないですよね。
これはどうして、そういうことが言われるようになったのか、まずこのことをお話ししましょうね。
このいわしの頭というのはね、立春の前の晩――、つまりあの豆まきをする節分のことですね――このいわしの頭をひいらぎの木の枝で刺して、自分の家の入り口の戸に飾ったことから起こっているの。
これを、私たちに災いという、よくないことをもたらす邪鬼を払うためのまじないとして、昔から日本人はほとんどのお家でやってたんだよ。
それでは、なぜそういうことをするのでしょう。たいていの人は、「昔からそうしてきたから、自分たちも同じようにするのだ」と、特別なにも考えずにただ習慣としてやってきたので、とうとう「なぜやるのか」、その理由がわからなくなってしまったのね。
それで、ちょっと立ち止まって考えてみれば、何とも不思議な光景なので、 「信心とはなんと馬鹿げたことなんだ。普通は振り向きもされないいわしの頭ごときが、邪鬼を払うための道具にまつりあげられようとは……。信ずれば、こんなくだらないものでも、有り難がられるものなのか」と、言われるようになったんだね。
別にかばうわけではないけれど、これは春を迎えるために昔の人たちがおこなった、一つの祈りの形だったんだよ。
まず「いわし」ですけれど、これは冬の象徴なのです。冬という季節を、いわしという魚に置き換えているのです。
昔の人は、春夏秋冬という季節を、木・火・土・金・水の五つに当てはめていたの。
木火土金水のことを五行というんだよ。
木は春に、火は夏に、金は秋に、水は冬に、そして土はそれぞれの季節の終わりの十八日間に割り当てられていたんだよ。これを土用といいます。
そしてこの季節は、当たり前のように、いつも規則正しくやってくるわけではなかったの。それで、人々がうんと困ったことがあったのね。いっこうに暑くならない夏があったのよ。雪がぜんぜん降らない、暖冬といわれる冬があったのよ。
今度冬期オリンピックが開催される「ソチ」というロシアの都市は、今ぜんぜん雪が積もってないそうだよ。ソチの方は、今まさに暖冬なんだね。
それで、春の時期にはちゃんと春が訪れてくれるように、人間が自然界に力を貸してあげようと考えたのね。これをむずかしくは「迎春呪術」というんだよ。
春を迎えるためのまじない、だね。
さっきも言ったように、冬は水に当てはめられるんだったよね。いわしは、水の中に棲む生き物だ。だから、冬を象徴するものだね。じゃぁ、魚だったら何でも良いのかというと、そうでもないんだな。冬の力が強いまんまじゃ、冬はいつまでも居座り続けることになるでしょう。それで、冬が弱くなってくれなけりゃ、困っちゃうんです。 それで、冬が弱っていることを印象づける名前を持ついわしが登場することになるんです。
いわしという魚の漢字知ってる?そう、鰯だね。魚が弱いと書いてあるよね。冬のパワー・力が弱まっていることを表していると、昔の人はとらえたのね。
でも、それだけでは、まだ不十分だと考えたの。
Aさんは、冬の木って知ってますか?冬の木なんてあるのかな、なんて顔してるね。
じゃ、木へんに冬て書いてごらん?柊となりませんか。これ、「ひいらぎ」と読むんですよ。この冬を表す柊の枝を、そのまま元気にさせてはおかないで、わざと枯らして、その枝を先ほどの鰯の目に突き刺すのです。相打ち、同士討ちだね。これでいよいよ、冬の力は弱まって、とうとう冬の終わりを期待することができます。
そうして、春はようやく私たちの所にやってこれるようになるのです。
中国の皇帝は、この立春の朝、東の門に青い服に、青い宝玉を身に帯びて、春を迎えたそうです。
春は青に、夏は赤に、秋は白に、冬は黒に、土用は黄色にあてはめられているからだよ。
青春と言うよね。これはここから来ているの。福岡県柳川市の北原白秋という詩人の名前も、ここから来ているんだよ。
今の私たちが考えていることとは、ずいぶん違っているようだけれど、いかに春という季節のやってくるのを待ち望んでいたのか分かるようなエピソードだね。
私たちはそういうことはする必要はないけれど、季節がちゃんとめぐって、一人ひとりが安心して生活できるように、諸天善神に毎朝勤行の初座の時、東の空にむかって題目という神様の食べ物をささげ、御供養しているのです。
はい、今日はこれでおしまい。また、質問してくださいね。待ってまーす。

 

 

転載複写等禁止 色心編集室