星名五郎太郎殿御返事

星名五郎太郎殿御返事(御書三六三頁)

「凡眼を以て定むべきにあらず。浅智を以て明らむべきにあらず。経文を以て眼とし、仏智を以て先とせん。」
この御書は、日蓮大聖人が文永四年十二月五日、御年四十六歳の時、総州(現在の千葉県)に住んでいた星名五郎太郎殿に与えられたお手紙です。
星名五郎太郎殿とは、佐久間兵庫亮の家臣であるとは言われていますが、詳しいことは分かっていません。
この星名五郎太郎殿が使いをもって法門をお尋ねしたことについて、その使いを待たせておしたためになったのが、このお手紙です。
書き出しは、「漢の明夜夢みしにより、迦・竺二人の聖人初めて長安のとぼそに臨みしより以来……」と始まっていますが、これはインドから中国、そして朝鮮半島を経て日本へとの、仏法伝来のことが述べられています。
一見すると、省略された言葉が多く、むずかしい語句が並んでいるように思えますが、相手もすでにご承知の事柄なので、言葉を略されたのかもしれません。
これに似た内容は、他の御書にも見ることができます。たとえば、『四條金吾殿御返事』(御書一一七七頁)にも、
「漢土には後漢の第二の明帝、永平七年に金神の夢を見、博士蔡愔・王遵等の十八人を月氏につかはして、仏法を尋ねさせ給ひしかば、中天竺の聖人摩騰迦・竺法蘭と申せし二人の聖人を、同じき永平十年丁卯の歳迎へ取り…」とあるように、後漢の明帝が、永平七年、ある夢を見ることに始まることが記されているのです。
それは、身の丈が丈六、これは一丈六尺のことで…つまり、約四・八五メートルもあり、しかも全身が金色に覆われ、うなじからは満月のような光を発している人が、宮殿の庭に飛来するというものでした。
あまりの不思議な夢であったところから、これが何を意味しているのか側近の者らに尋ねるのですが、いまだかつて聞いたこともないことでしたので、みな首をかしげるばかりで、誰も答えられるものがいません。
そうした中、太史傅毅というものが進み出て申し上げるのには、私が聞いた話によりますと、周の昭王の時代の四月八日、突然河川や井戸、あるいは池の水があふれ、同時に大地が震動し、五色の光が現れ西方にまで行きわたったことがあり、それについて臣下が「西方に偉大な聖人が生まれた瑞相である」と奏上したことがあったとのこと。夢に御覧になられた金人は、その「仏」と言われる方かもしれません、と。
そこで明帝は、中郎将蔡愔、中郎秦景、博士王遵ら十八人をインドに遣わして仏法を求め、永平十年、迦葉摩騰・竺法蘭の二高僧に会って仏像と経典を得、これを白馬の背中に載せて、ついに洛陽の都にたどりつくのです。
このように白馬によってもたらされた教えなので、仏教を「白馬の教」とも称し、この仏法をもたらした迦葉摩騰・竺法蘭のために「白馬寺」を建てて、その功に報い崇めたといいます。
こうして、唐の神武皇帝(六代・玄宗皇帝のこと)に至るまで、天竺の仏法は震旦(中国)に流布し、梁の代に至り、百済国の聖明王より我が朝の人王第三十代欽明天皇の十三年に、日本国に初めて仏法が伝えられ、それより以降すべての経論も伝わり、八宗十宗も皆日本国に広まりました。
このような先人の功績により、幸いにも私たちは末法に生まれながらも、霊鷲山での御説法をうけたまわることが出来、身は中国よりはるか遠く離れた辺国に住んでいながら、仏法大河の流れをこうして直接この手に汲み取ることができたのです。
「但し委しく尋ね見れば、仏法に於いて大小権実前後のおもむきあり」……ただし、こうして中国や日本に伝わった教えであるけれど、改めて委しく調べて見ますと、その仏法の中にも大乗教や小乗教、権大乗教や実大乗教、そしてこれらの教えの広まるべき前後・後先というものが定められています。
「若し此の義に迷いぬれば邪見に住して、仏法を習ふといへども、還って十悪を犯し五逆を作る罪よりも甚だしきなり」……もし、この勝劣・浅深・高下・後先・順序などに迷ってしまえば、間違った考えに陥ってしまい、折角仏法を習いながら、かえって十悪業・五逆罪を作る罪よりも重い罪を負うことになります。これを謗法といいます。
ちなみに五逆罪とは、仏法上最も重い五種の罪で、これが業因となって必ず無間地獄の苦果を受けるので、無間業とも五無間ともいいます。これが、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏の身より血を出し、和合僧を破る、の五つです。
このいずれも大変な行為ですが、最後の和合僧をやぶるとは、仏の教団を分裂混乱させることですから、これは人々の心を三宝から離れさせることにもつながるので、五逆罪の中でも特に重罪であると、説かれています。
十悪業とは、殺生・偸盗(盗み)・邪淫(不倫)という身に行う三悪、悪口・両舌(二枚舌)・妄語(うそ)・綺語(真実に反して巧みに言葉を飾り立てること)の口の四悪、貪欲(欲張り)・瞋恚(いかり)・愚癡(おろか)の心の三悪を言います。
この罪を犯せば、社会での信頼を失い、人格は破綻し、人々からは常にそしりを受けるなど、まともに生きていくことが出来なくなります。
我々がもし謗法という罪を犯せば、これらよりも甚だしい罰を受けなければならないと言われるのです。
「ここを以て世を厭ひ道を願はん人、先づ此の義を存ずべし。例せば彼の苦岸比丘の如し」……つまり、せっかく仏法を信じても、仏法の筋目に違って邪見に住することとなって、地獄に堕ちることになるということを、知らなければならないと言うことです。
その例として「苦岸比丘」のことを挙げられています。
苦岸比丘と言うのは、過去の大荘厳仏の滅後末法の僧侶の名前です。この大荘厳仏の弟子たちは五派に分裂したといいますが、その中に普事という方を師とした一派のみは、仏の正統な教えを受け継ぎ成仏をすることが出来ましたが、残りの四派の者は仏の教えに背き、邪義を信じてことごとく地獄に堕ちてしまいました。
苦岸比丘は、この邪義・異説を唱えた四派の、その中の一派の師として人々を煽動した者なのです。
「故に大経に云はく『若し邪見なる事有らんに、命終の時正に阿鼻獄に堕つべし』と云へり」……ゆえに涅槃経には、「もし邪見の信心を持つ人は、臨終の時、必ず阿鼻獄に堕ちるであろう」と述べられているのです。
「問ふ、何を以てか邪見の失を知らん」……どうしたら、自分が仏の御意思に背いているかどうかを知ることが出来るでしょうか。
「余不肖の身たりといへども、随分後世を畏れ仏法を求めんと思ふ。」……私はさほど優れた者ではないけれど、それ相応に未来の果報が如何なるものか恐れもし、また現世での振る舞いも慎み、正しい信仰をしたいと願う者の一人です。
「願はくは此の義を知り、若し邪見に住せば、ひるがへして正見におもむかん」……出来ることならば何とかして、いずれが仏の御本意なのか、またどのようにすれば仏のご真意の教えにたどり着けるのか。もし、私が間違った信心をしているというならば、それを捨てて正しい信心に着きたいと思います。
「答ふ、凡眼を以て定むべきにあらず。浅智を以て明らむべきにあらず。経文を以て眼とし、仏智を以て先とせん」……大聖人様がこれにお答えになるのには、私たちの好き嫌いなどの、その時々の一時の感情に左右されやすいものの見方でもって定めるべきではありません。
あるいは、自分の浅はかな智恵でもって明らかにすべきものでもありません。
仏の説き置かれた経文を眼とし、仏の智慧を何よりも先として選び取らなければなりません。
「但恐らくは、若し此の義を明かさば、定めていかりをなし、憤りを含まんことを。さもあらばあれ、仏勅を重んぜんにはしかず」……ただし、この事を明らかにすると、人は誰も「間違っているならばこれを改めて正しい方を選ぶのにやぶさかではない」と言いますが、実際は自分のあやまちを露骨に指摘されると、人が変わったように怒り狂うものです。
これを貪・瞋・癡の煩悩の中には瞋恚(いかり)と言います。
たとえそうなったとしても、それはもうそれでやむを得ない、どうあろうとも仏の勅命には背くことは出来ないのです。
「其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ、但愚者の行ひなり」……おしなべて、世間の人は遠い昔の人のことを訳もなく貴ぶが、今どきの人の言うことだとこれを軽んじ卑しむのを常とする。これは誠に愚かなことです。これは、弘法や善導、それに法然らにたぶらかされ、大聖人の正理に耳を傾けようとしない、現在の人々の愚かさを批難されたのです。
「其れ若し非ならば遠くとも破すべし。其れ若し理ならば近くとも捨つべからず。人貴むとも非ならば何ぞ今用ゐん」……もし道理に背いていれば、今に名高い先師だと言ってもこれを破折しなければならないし、道理に叶っているならば、今世に出たばかりの若造に思えても捨ててはならないはずです。多くの人が素晴らしい人であると讃える、伝説上の人物であったとしても、その説くところが経文に照らして間違っているならば、どうしてこれを用いるでしょうか。(中略)
「凡そ仏法と云ふは、善悪の人をゑらばず、皆仏になすを以て最第一に定むべし。是ほどの理をば何なる人なりとも知るべきなり」……大まかに全体の要旨を掴んで申し上げれば、そもそも仏法というものは、善人悪人を選ばず、皆成仏せしめるを以て、最第一と定めるべきなのです。これほど大切な道理は、誰人たりとも弁えて置くべき事なのです。
「今法華経には二乗成仏あり、真言経には之れ無し。あまつさへあながちに是をきらへり。法華経には女人成仏之あり。真言経にはすべて是なし。法華経には悪人の成仏あり、真言経には全くなし。何を以てか法華経に勝れたりと云ふべき」……今法華経には声聞・縁覚の弟子方が成仏しているが、真言や念仏のお経の中には全く説かれていません。それどころか逆に忌み嫌われているのです。
この他にも法華経には女人成仏が、はっきりと実際の人を立てて示されています。真言や念仏の経にはすべてこの事を記されたものはありません。
そして、法華経には過去に罪を犯した悪人の成仏が説かれています。真言や念仏の経には全く無いのです。
彼らが、自分らの経の優位を主張する根拠がどこにあるのか、全く首を傾げざるを得ないのです。
このように、私たちの信仰は、本当に仏の御真意に基づく最高の宗教なのです。
これを知って、ただおのれだけ満足しているのではなく、人にも教えていかなければなりません。これもまた、仏の御本意なのです。
今年は『折伏貫徹の年』です。みんなが自行化他の信心に立ち上がって、折伏貫徹の喜びを分かち合いましょう。
以上

「どうして『いわしの頭も信心から』と言うんですか?」

Aさん、とっても大事な質問をありがとうございました。
そうですよね、いわしの、それもどちらかと言えば食べないで捨てるようなものが、私たちを幸せにするなんて、ちょっと考えられないですよね。
これはどうして、そういうことが言われるようになったのか、まずこのことをお話ししましょうね。
このいわしの頭というのはね、立春の前の晩――、つまりあの豆まきをする節分のことですね――このいわしの頭をひいらぎの木の枝で刺して、自分の家の入り口の戸に飾ったことから起こっているの。
これを、私たちに災いという、よくないことをもたらす邪鬼を払うためのまじないとして、昔から日本人はほとんどのお家でやってたんだよ。
それでは、なぜそういうことをするのでしょう。たいていの人は、「昔からそうしてきたから、自分たちも同じようにするのだ」と、特別なにも考えずにただ習慣としてやってきたので、とうとう「なぜやるのか」、その理由がわからなくなってしまったのね。
それで、ちょっと立ち止まって考えてみれば、何とも不思議な光景なので、 「信心とはなんと馬鹿げたことなんだ。普通は振り向きもされないいわしの頭ごときが、邪鬼を払うための道具にまつりあげられようとは……。信ずれば、こんなくだらないものでも、有り難がられるものなのか」と、言われるようになったんだね。
別にかばうわけではないけれど、これは春を迎えるために昔の人たちがおこなった、一つの祈りの形だったんだよ。
まず「いわし」ですけれど、これは冬の象徴なのです。冬という季節を、いわしという魚に置き換えているのです。
昔の人は、春夏秋冬という季節を、木・火・土・金・水の五つに当てはめていたの。
木火土金水のことを五行というんだよ。
木は春に、火は夏に、金は秋に、水は冬に、そして土はそれぞれの季節の終わりの十八日間に割り当てられていたんだよ。これを土用といいます。
そしてこの季節は、当たり前のように、いつも規則正しくやってくるわけではなかったの。それで、人々がうんと困ったことがあったのね。いっこうに暑くならない夏があったのよ。雪がぜんぜん降らない、暖冬といわれる冬があったのよ。
今度冬期オリンピックが開催される「ソチ」というロシアの都市は、今ぜんぜん雪が積もってないそうだよ。ソチの方は、今まさに暖冬なんだね。
それで、春の時期にはちゃんと春が訪れてくれるように、人間が自然界に力を貸してあげようと考えたのね。これをむずかしくは「迎春呪術」というんだよ。
春を迎えるためのまじない、だね。
さっきも言ったように、冬は水に当てはめられるんだったよね。いわしは、水の中に棲む生き物だ。だから、冬を象徴するものだね。じゃぁ、魚だったら何でも良いのかというと、そうでもないんだな。冬の力が強いまんまじゃ、冬はいつまでも居座り続けることになるでしょう。それで、冬が弱くなってくれなけりゃ、困っちゃうんです。 それで、冬が弱っていることを印象づける名前を持ついわしが登場することになるんです。
いわしという魚の漢字知ってる?そう、鰯だね。魚が弱いと書いてあるよね。冬のパワー・力が弱まっていることを表していると、昔の人はとらえたのね。
でも、それだけでは、まだ不十分だと考えたの。
Aさんは、冬の木って知ってますか?冬の木なんてあるのかな、なんて顔してるね。
じゃ、木へんに冬て書いてごらん?柊となりませんか。これ、「ひいらぎ」と読むんですよ。この冬を表す柊の枝を、そのまま元気にさせてはおかないで、わざと枯らして、その枝を先ほどの鰯の目に突き刺すのです。相打ち、同士討ちだね。これでいよいよ、冬の力は弱まって、とうとう冬の終わりを期待することができます。
そうして、春はようやく私たちの所にやってこれるようになるのです。
中国の皇帝は、この立春の朝、東の門に青い服に、青い宝玉を身に帯びて、春を迎えたそうです。
春は青に、夏は赤に、秋は白に、冬は黒に、土用は黄色にあてはめられているからだよ。
青春と言うよね。これはここから来ているの。福岡県柳川市の北原白秋という詩人の名前も、ここから来ているんだよ。
今の私たちが考えていることとは、ずいぶん違っているようだけれど、いかに春という季節のやってくるのを待ち望んでいたのか分かるようなエピソードだね。
私たちはそういうことはする必要はないけれど、季節がちゃんとめぐって、一人ひとりが安心して生活できるように、諸天善神に毎朝勤行の初座の時、東の空にむかって題目という神様の食べ物をささげ、御供養しているのです。
はい、今日はこれでおしまい。また、質問してくださいね。待ってまーす。

 

 

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