「学会って何?」

「学会って何?」

学会とはふつう、いろいろな学問や研究をしている人達が、自分の研究の成果を多くの人に向かって発表し、それが科学的に正しいか、開かれた場所でいろいろ意見を述べあい、人の営みをより良くしていこうとする集まりのことです。
日本では、国がおおやけに学会として認めているのは、国を動かしている人へ、有識者といって、そのことがらに専門的な知識や考え方を持っている人達が意見を伝える、そういった人達の集まりである「日本学術会議」の「日本学術会議協力学術研究団体」です。
日本学術会議は次のことがらに当てはまる所を、その団体として認めることになっています。
それは、①学術研究の向上発展を図ることを主たる目的とし、かつその目的とする分野における「学術研究団体」として活動しているものであること。
② 研究者の自主的な集まりで、研究者自身の運営によるものであること。
③ 構成員(個人会員)の数が百人以上であること。 とされています。
そして、この中に示してある「研究員」とはどういう人を指すのかというと、「人文・社会科学から自然科学までを含むすべての学術分野において、新たな知識を生み出す活動、あるいは科学的な知識の利用および活用に従事する者」と定義されています。
その「人文・社会科学から自然科学」というのは、医学系学会・歯学系学会・心理学学会・数学系学会・生物系学会・物理学系学会・化学系学会・地理学系学会・地球科学系学会・天文学系学会と、大きく分けることができます。
今お話ししていることは、ウィキペディアというインターネットの「フリー百科事典」から引用している、つまり受け売りなんだけど、そこの項目に、「学会ではない学会」というのがあるよ。
そこのところをそのまま書いてみると、「学会としての機能を持っていない団体・集団が『~学会』と自称している場合もある。
そう名乗ることがふさわしいと信じている場合、単に権威付けをねらっている場合、だますために意識して詐称・偽って名乗っている場合など、その理由はさまざまであると考えられる。
中には「と学会」や「神戸ランチ学会」のように単なる冗談やコミュニティーで名づけている例もある。 少なくとも日本では『学会』と名乗ることに対して、規制や資格は存在しない。
最近の特殊な例として、日本では宗教法人の創価学会を単に『学会』と呼ぶことがある。
同会では構成員(会員・信者)を「学会員」と呼ぶ」と、誠にまぎらわしく、「公明正大」という言葉が、創価学会の政治部門の「公明党」という党名として使用されているところから、使う人がためらったりして、結果使う人が以前より少なくなっているそうですが、正式な学術会員の中には、「学会員です」名乗って、創価学会員と間違われることもあるので、迷惑している人もいるそうです。
これを「お株を奪われる」と言うんだよ。ちょっとややこしくて難しい話しを、長々としてしまいましたが、R君が友達の家に遊びに行って、そこの仏壇に、R君の家にある御本尊さまとそっくりなものが掛けてあるのを見て、ご両親に話したんですね。
それでご両親が「学会かな」と言われたのですね。 それは多分、この創価学会員のお家でしょう。
この創価学会は、元は日蓮正宗の信徒だったんだよ。
ところがあまりに大きくなったもんだから、いつまでも日蓮正宗の信徒として、まじめに信心していくのがバカバカしいとうぬぼれの気持ちを持つものが出てきて、それでうまく分かれて、自分たちだけでやっていくための手立てを色々考えて、ついに猊下様がやむなく彼らを破門せざるを得ない状況を作って、とうとう信徒として破門という処分が下されたんだよ。
創価学会という集まりを最初に作ったのは、「牧口常三郎」という人なんだ。
この人を日蓮正宗の信徒へと折伏をして導いたのは、池袋・常在寺の法華講員だった「三谷素啓」という人なんだよ。
また、その後を継いで二代会長となる「戸田城聖」という人も、相次いで入信したんだ。
その頃、東京の白金小学校の校長をしていた牧口さんは、それまで先生をしていた経験から考えついた、「価値創造」という一つの哲学をもとに独自の教育方法を生み出し、それを「創価教育学」と名づけたの。
そして、それに同感する先生達が少しずつ増えてきたので、牧口さんと戸田さんはその人達を折伏して日蓮正宗に入信させ、昭和十二年五月、東京麻布の菊水亭で「創価教育学会」の発会式を行ったんだよ。 これが「学会」の始まり。
そして、牧口という人が亡くなった後、戸田二代会長が「創価学会」と名を改め、大きく会は勢力を広げることになるの。
この人達の日蓮正宗への信心は最初は立派なものだったのです。
それが『折伏教典三二一頁』の、「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」 とか、「特別学習会テキスト五六頁」の、「戒壇の大御本尊を離れて、我々の信心はありません」 とか、最近悪態をついている池田大作という人も、「絶対なるものは大御本尊のお力である」(広布と人生を語る三巻五三頁) あるいは、「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。
しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。
そして宗祖日蓮大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人が法水瀉甁・血脈相承され、現在は、第六十七世日顯上人猊下にいっさい受け継がれているのである」(広布と人生を語る一巻一三二頁)と主張してきていたのです。
ところが、日蓮正宗はもはや利用価値が無いと見るや、利が無いと分かった途端、また宗門が破門処分を撤回する意思が全く見込めないと見極めるやいなや、「日顯宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。
本来、宗教には『仏と自分』との信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」(聖教新聞・平成五年五月五日付) 「〝総本山に参詣しなければ功徳が無い〟という宗門の主張は、道理からいっても全く意味をなさない」(聖教新聞・平成四年二月二十九 日付) と、これが同じ人の発言なのだから、驚くよね。
第二代の戸田会長の奥様が亡くなられた時は、御遺言で、日蓮正宗の池袋・常在寺の御住職からお葬式の導師をしていただかれました。
これは、第二代戸田会長の日ごろの信心が那辺にあったかという、立派な証拠だね。
それが次の指導の言葉にもしのぶ事が出来るよ。
「わたしたちは、無智な人人をみちびく車屋である。(中略)大御本尊の御もとへ案内して行くのが、学会の唯一の使命である」(戸田会長講演集上三十一頁) 本当に素晴らしい信心だね。
でも今は残念ながら、創価学会は日蓮正宗を目の敵にして勝手に御本尊を作ったり、猊下様をまるで極悪人のように悪口を言っているので、全国の日蓮正宗の僧侶と法華講員で、創価学会員を正しい信心に目覚めさせようとして、頑張っているんだよ。
でも、だからといって、R君がそのお友達を憎らしげににらんだり、馬鹿にしたりすることはないんだよ。
友達はともだちで、いつかその人にも、正しい信心が出来るように、教えてあげる時が来ると良いね。
はい、今日はこれでおしまい。またね!

 

 

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