「どうして『いわしの頭も信心から』と言うんですか?」

Aさん、とっても大事な質問をありがとうございました。
そうですよね、いわしの、それもどちらかと言えば食べないで捨てるようなものが、私たちを幸せにするなんて、ちょっと考えられないですよね。
これはどうして、そういうことが言われるようになったのか、まずこのことをお話ししましょうね。
このいわしの頭というのはね、立春の前の晩――、つまりあの豆まきをする節分のことですね――このいわしの頭をひいらぎの木の枝で刺して、自分の家の入り口の戸に飾ったことから起こっているの。
これを、私たちに災いという、よくないことをもたらす邪鬼を払うためのまじないとして、昔から日本人はほとんどのお家でやってたんだよ。
それでは、なぜそういうことをするのでしょう。たいていの人は、「昔からそうしてきたから、自分たちも同じようにするのだ」と、特別なにも考えずにただ習慣としてやってきたので、とうとう「なぜやるのか」、その理由がわからなくなってしまったのね。
それで、ちょっと立ち止まって考えてみれば、何とも不思議な光景なので、 「信心とはなんと馬鹿げたことなんだ。普通は振り向きもされないいわしの頭ごときが、邪鬼を払うための道具にまつりあげられようとは……。信ずれば、こんなくだらないものでも、有り難がられるものなのか」と、言われるようになったんだね。
別にかばうわけではないけれど、これは春を迎えるために昔の人たちがおこなった、一つの祈りの形だったんだよ。
まず「いわし」ですけれど、これは冬の象徴なのです。冬という季節を、いわしという魚に置き換えているのです。
昔の人は、春夏秋冬という季節を、木・火・土・金・水の五つに当てはめていたの。
木火土金水のことを五行というんだよ。
木は春に、火は夏に、金は秋に、水は冬に、そして土はそれぞれの季節の終わりの十八日間に割り当てられていたんだよ。これを土用といいます。
そしてこの季節は、当たり前のように、いつも規則正しくやってくるわけではなかったの。それで、人々がうんと困ったことがあったのね。いっこうに暑くならない夏があったのよ。雪がぜんぜん降らない、暖冬といわれる冬があったのよ。
今度冬期オリンピックが開催される「ソチ」というロシアの都市は、今ぜんぜん雪が積もってないそうだよ。ソチの方は、今まさに暖冬なんだね。
それで、春の時期にはちゃんと春が訪れてくれるように、人間が自然界に力を貸してあげようと考えたのね。これをむずかしくは「迎春呪術」というんだよ。
春を迎えるためのまじない、だね。
さっきも言ったように、冬は水に当てはめられるんだったよね。いわしは、水の中に棲む生き物だ。だから、冬を象徴するものだね。じゃぁ、魚だったら何でも良いのかというと、そうでもないんだな。冬の力が強いまんまじゃ、冬はいつまでも居座り続けることになるでしょう。それで、冬が弱くなってくれなけりゃ、困っちゃうんです。 それで、冬が弱っていることを印象づける名前を持ついわしが登場することになるんです。
いわしという魚の漢字知ってる?そう、鰯だね。魚が弱いと書いてあるよね。冬のパワー・力が弱まっていることを表していると、昔の人はとらえたのね。
でも、それだけでは、まだ不十分だと考えたの。
Aさんは、冬の木って知ってますか?冬の木なんてあるのかな、なんて顔してるね。
じゃ、木へんに冬て書いてごらん?柊となりませんか。これ、「ひいらぎ」と読むんですよ。この冬を表す柊の枝を、そのまま元気にさせてはおかないで、わざと枯らして、その枝を先ほどの鰯の目に突き刺すのです。相打ち、同士討ちだね。これでいよいよ、冬の力は弱まって、とうとう冬の終わりを期待することができます。
そうして、春はようやく私たちの所にやってこれるようになるのです。
中国の皇帝は、この立春の朝、東の門に青い服に、青い宝玉を身に帯びて、春を迎えたそうです。
春は青に、夏は赤に、秋は白に、冬は黒に、土用は黄色にあてはめられているからだよ。
青春と言うよね。これはここから来ているの。福岡県柳川市の北原白秋という詩人の名前も、ここから来ているんだよ。
今の私たちが考えていることとは、ずいぶん違っているようだけれど、いかに春という季節のやってくるのを待ち望んでいたのか分かるようなエピソードだね。
私たちはそういうことはする必要はないけれど、季節がちゃんとめぐって、一人ひとりが安心して生活できるように、諸天善神に毎朝勤行の初座の時、東の空にむかって題目という神様の食べ物をささげ、御供養しているのです。
はい、今日はこれでおしまい。また、質問してくださいね。待ってまーす。

 

 

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