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「お家の御本尊様より 西大宣寺の御本尊様は 気持ちが良いです。 奉安堂の中の御本尊様は、 もっともっと気持ちが 良いです。 どうして気持ちが 良くなるのですか?」

Kちゃん、とっても素敵な質問を有り難うございました。
お家を守っていただいて、そして毎日、朝晩の勤行をさせていただいている我が家の御本尊様。
猊下様はね、最初御本尊様にお家に来て頂いた時のことを、今まで御本尊様がまだいらっしてないときと、いらっしゃったときとでは、これは全然違う。
雰囲気もそうだし、何か突然明るくなったような、仏様と共にある暮らしだね。運命まで変わっちゃう。
わずかな家族同士のわだかまりも失せて、楽しくて笑い声の絶えない、安心して学校や遊びに行ける。本当の安住の地になるんだね。
元泥棒だった人の話を、この前テレビでやっていたけど、だましやすい家、泥棒に入って悪いことをしてみたい、そういう家は見ただけで、そういう感じがこちらに漂ってくるそうだよ。 そういう悪い人の心を誘う、そういう「気」がただよっているんだって。
私達の家族は、必ず宿習といって、見えない因縁によって結ばれているんだよ。
家庭の御本尊様はそういう絆も更に強く、こここそが寂光浄土であって、ほかに理想郷・ユートピアがあるわけじゃない。
愛情を育むあたたかな大地はここしかない。 それに信心の心持ちを学ぶのも、やはり家庭なのです。 そこでは、お母さんが心からお父さんを愛するように、お父さんがお母さんに命を捨てるように、ご両親が決してKちゃんを見捨てないように、Kちゃんがご両親から、何があっても離れないように、こういう掛け値無しで御本尊様にお題目を唱えるのを信心と言うんだよ。
家庭の真ん中に御本尊様があるってことは、本当に素晴らしいことだね。
これからも、ご両親やおじいちゃん、おばあちゃんがお元気でいられるように、しっかりお家の御本尊様にお題目をあげてね。
私達のご家庭の御本尊様、そして自分たちの地域に日蓮正宗の信心を根付かせる役割の寺院、そのお寺の御本尊様も、すべては時の御法主上人猊下様が、我が内証の――お心の中で受け継がれている日蓮大聖人のお魂・本門戒壇の大御本尊様を、私達がこの目で拝することが出来るように御図顕くだされた、文字でお顕わしくだされたものであって、本来小さいから手を抜いて、大きいものは存分に力をこめて、などと区別があるものでは有りません。
しかし、皆さんが同心してそこに集い、共々に唱題をすることで、連帯感を強め、使命を共有・確認しあい、御法主上人猊下様と御本尊様のお住まいとしての寺院は、出来るだけ本門戒壇の大御本尊に近い形での、厚き楠の板に彫刻され、背景は漆地で黒く、文字の部分は金箔を貼って、文字が金色に浮かび上がるようにしてあります。
総本山の奉安堂御安置の、本門戒壇の大御本尊様も、このように楠に彫刻され、金箔で文字が浮かび上がるように作られているんだよ。
この大御本尊様こそ、仏法の最大肝要といって、すべての教えはこの御本尊様を指し示すために有ったと言って良い、日蓮大聖人様が「御自身の魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせたまえ」と仰った一番大切な御本尊様だね。
だからKちゃんが言ったように、家庭の御本尊様ももちろん素晴らしいけれど、私達の菩提寺の御本尊様はさらに荘厳に、そして奉安堂の御本尊様は、本当に最高と、感受性ゆたかなKちゃんは、素直に感じることが出来たんですね。
これは本当に素晴らしいことです。 これからも、この素晴らしい心を忘れないで下さいね。 今日はこれでおしまい。またのご質問、まってま~す。

 

 

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『持妙法華問答抄』

『持妙法華問答抄』 (三〇〇頁)
「寂光の都ならずば、何くも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。願わくは『現世安穏後生善処』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」

この御書は、弘長三年(一二六三)三月、日蓮大聖人様が御年四十二歳の時、伊豆御配流の御赦免直後に鎌倉でおしたためになられたものとされています。
しかし、古来の説の中には、六老僧の一人である日持が執筆したのを、大聖人様が印可されたものとも言われていますが、日持が門下となったのはその七年後、大聖人様が四十九歳の文永七年のことですから、そもそも弟子にもなっていない者が執筆をして、それを大聖人様が師として印可されたとすれば、大変おかしな話になってまいります。
これも、正本が残っていませんから何とも言えませんが、それでもしかしたら、日持が大聖人門下に加わった年と何とか辻褄を合わせようとして、建治二年(一二七六)説や弘安三年(一二八〇)説が生じたのかもしれません。
それはさておいて、この御書の大意として、まず法華経こそ我等の成仏の直道であり、法華経はすべての教えの中で最も勝れている(法華独勝)ことを、多くの経文を引いて立証されています。
しかし動もすると、人は法華経のみが勝れたお経であると言うと、何と狭量な、了見の狭い、心狭い人だと批難します。それに対して大聖人様は、「法華独りいみじと申すが心せばく候はゞ、釈尊程心せばき人は世に候はじ。何ぞ誤りの甚だしきや」(御書二九三頁)とお答えになりました。
つまり、法華経独りのみが勝れていると主張する事が、心狭い事であると言うならば、お釈迦様ほど心の狭い人は居ない、ということになります。と云うのも、これはお釈迦様ご自身の言葉であるからです。
その証拠の経文は枚挙に暇がありませんが、法華経を説くに当たってその露払い・開経として説かれた『無量義経』には、「(今まですでに)種々に法を説きき。種々に法を説く事、方便力を以てす。四十余年には、未だ真実を顕わさず」と、あるいは『法華経方便品第二』には、「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説くべし」とも、「唯一仏乗のみ有って二も無く三も無し」とも説かれ、その後の経文にも、「余の経典の一偈をも受けざれ」などと、明確に示されているのです。
その後、「法華経をどのように心得て菩提の岸、すなわち成仏へと到るべきなのでしょうか」との質問には、
「利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云ひて、無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり。是還って愚癡邪見の至りなり。一切衆生皆成仏道の教なれば、上根上機は観念観法も然るべし。下根下機は信心肝要なり」
と、他宗の僧らは、わざと法華経を我等の手の届かない高みに置いて、高嶺の花であるかのように思わせて、利智・澱みの無い智慧をはたらかせて一心に仏道を求め、智慧によって心を思索し、分別し、照らし見ることの出来る者のみが、法華経の救済の対象であると、智慧の無い私たちのような者には、全く役に立たないとばかりに退けようとするが、これこそが甚だしい愚かな、間違った考えです。
法華経は「一切衆生、皆成仏道の教え」と言って、今まで果たされなかった、女性も、悪人も、一闡提という仏法の因果の功徳を信じない人も、五逆罪(父を殺し・母を殺し・阿羅漢という高僧を殺め・仏の身より血を出し・和合僧団を破壊するなどの五つの逆罪)の人も、謗法という仏の御正意の、南無妙法蓮華経の御本尊に背き、またその御本尊を信ずる人を軽んじ、賤しみ、憎み、嫉むなどの最悪重罪の人も、ついにはすべての人が救われていく教えですから、物事を正しく見たり聞いたりする判断力に秀で、欲望煩悩に左右されにくく、法門を聞いてすぐ理解できる、いわゆる上根上機の人は観念観法の修行をもされればいい。
しかし、今は末法濁世ですから、ほとんどは下根下機という、仏道修行をする力が乏しい者達ばかりですので、妙法の御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と唱える│これを総体の受持と言います│、この「受持の一行が修行の肝要」となるのです。これを「受持即観心」と言うのです。また、これより他に求めてはいけないのです。
これこそが、『持妙法華問答抄』という御書の名の、「持」の意味なのです。
ゆえに、この御本尊やこれを信ずる人を謗れば、かならず厳しき因果律として地獄の穴に転落し、長き苦悩の末に最後は又御本尊やこれを信仰する人に出会って救われることにはなりますが、謗法という御本尊に背くことがいかに重罪であるかを説かれているのです。
また、限りある命なのに、はかない世間の名聞名利にうつつを抜かして仏法を忘れるようでは、その志の程、これ以上ふがいない事はありません。
もし私たちが御本尊様を信じ題目を唱えるならば、「何をもってか衆生をして無上道に入らしめん」との、仏の御本意に叶い、御本意に叶えば自然に仏の御恩を報ずることになりますから、お釈迦様のみならず、三世十方の諸仏も皆お喜び下されるのです。
仏様がお喜びになれば、諸天善神も必ずお喜びになるのです。ですから、伝教大師が法華経を講ぜられた時には、八幡大菩薩がわざわざ現れて、紫の袈裟を御供養されたというではありませんか。
これらのことからも、「七難即滅七福即生」という国土の災難を払う御祈祷をするときも、御本尊に対して行うのが一番です。
なぜなら、「現世安穏」と法華経に説かれているからです。
もし、他国侵逼の難と言って、外国の軍隊によって日本国が攻められようとする時にも、あるいは自界叛逆の難と言って、同士討ちや内乱が勃発するのを防ごうとする時の祈祷にも、この妙法の経典に過ぎたるものはありません。なぜなら、やはり法華経のなかに「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」と書かれているからです。
由旬とは、昔インドの国王の軍隊が、一日に移動する距離を言ったものだといいます。その百倍の領域を、法華経を人々が信ずるならば、患いや衰えが無いようにせしめる、ということが約束されているのです。
そうであるのに、当時の祈祷は逆さまだと言われるのです。災いを除き、福を招来しようというのが祈祷であるはずなのに、あえて仏の御意思に逆行して、不幸を招き入れようとしているからです。
人々が自分たちの未来を託そうとしている経文は、お釈迦様がお亡くなりになった直後から千年の正法時代、さらに次の千年の像法時代に広まるべし、として釈尊が留め置かれた権教、つまり仮の、方便の教えです。
末代私たちの時代に広まる事が定められた、最上真実の秘法ではありません。
それは例えば、去年の暦を引っ張り出してきて用いるようなものであり、カラスを体の色が似ているからと鵜の代わりとして使うようなものです。全く役に立たないでしょう?
このようになってしまったのも、ひとえに方便権教に凝り固まって執着・しがみついている謗法の邪師を貴んで、未だ真実の教えを奉じている明師に出会っていないからです。
何と惜しい事でしょうか、「文武の卞和があら玉、何くにか納めけん」│この卞和が璞のことは、日寛上人が『寿量品演説抄』(日蓮正宗歴代法主全書第四巻一九八頁)に詳しく書かれています。その内容は、こうです。
楚の時代に卞邑│卞という村に和という人がいました。それで卞和と言うのですが、この卞和がある日、荊山の山歩きを楽しんでいる時、璞玉といっていまだ琢かれていない玉、それも大きさが一尺にも余る、と言いますから、およそ三十センチメートルもあるような大きな原石を手にする事が出来ました。
それも、世に比類無き玉である事が、自身の長年の経験から分かりました。
そこで、当時の楚の国王である厲王に献じて、「どうぞ磨かせてみてください。きっとご満足いただけるはずです」と言上しました。
さっそく王は、玉造の職人・玊人を読んで磨かせようとしました。玉と玊は別の字です。玉は宝石、玊は玉造りの職人のことです。ところが玊人はこの璞玉を見るなり磨きもしないで、「これは只の石です。玉などではありません」と答えたものですから、厲王は怒って「王を欺いた罪は浅くないぞ」と、足を切って罰したのです。
しばらくして厲王が亡くなって、武王が即位しました。卞和は今度こそという思いをもって璞玉を王に献じ、同じように「玊人に磨かせてみてください。ご期待は裏切らないはずです」と言上しました。王は悦んでこれを玊人に琢かせましたが、腕が未熟だった所為か一向に光りが現れません。
王はいったん悦んだ分落胆も大きかったようで、「我を欺いたな」と、残っていた右の足を切り取った上に、両足を失った卞和を、獣にでも食らわれてしまえと、荊山に置き去りにしたのです。
かくて、二十有余年の歳月が流れ、卞和は命ながらえたものの、この璞をかき抱いて泣き過ごしておりました。
その後文王が即位して、彼の山に入って狩りをする事三昼夜、その途中、卞和が両足を失って泣き悲しむ様子をご覧になって、「世の中には刑罰によって両足を失う者は少なくない。それなのに、どうしてお前はそのように泣くのだ」と。
それに対して卞和が答えて言うのには、「私はこの刑に処せられたのを、嘆いているのではありません。世の中にこの玉の真価を知るものが無くて、真の玉なのに瓦石と言われ、忠事・誠を致し心を尽くしているのに、これを慢事・人を侮る言動だとされたことが悲しくて泣いているのです」と、答えたのです。
そこで文王は、この璞玉を召して玊人に琢かせたところ、見事な光が天地に輝き渡りました。試に道路端に掲げれば十七両の車を照らしたので「車照の玉」と呼ばれ、宮殿に置いてみれば夜、十二の辻を照らしたので夜光の玉とも謳われました。ようやく、日の目を見たわけです。
このようにして、この玉は代々天子の宝となって趙王の代にまで伝わりました。その趙の隣国に秦という破竹の勢いの王がいて、この玉を手に入れたいが為に十五の城と交換に玉を譲ってくれるよう申し出があったのです。
当時、一城と言えば、縦横一万三百六十六里の城壁に囲まれている、実に広大なものです。それを十五連ねるということですから莫大な所領です。これは損は無いと思って、趙王は秦王に玉を渡しました。秦王は十五城に換える価値の有る玉ということで、「連城の玉」と名づけました。
しかし玉を譲ったものの、約束の城は一つも譲渡されません。欺かれたと知っても後の祭り、大国にあらがう術とてないからです。地団駄踏んで悔しがる王を見かねて、藺相如という家臣が、智慧を巡らし命をかけてようやく玉を取り返します。
このように、この宝玉をめぐる争奪戦が繰り広げられていったのです。
なんと惜しい事でしょう。卞和が身命を賭して文王武王に献じた宝玉は、最初は誰も一顧だにしませんでしたが、素晴らしいと世の評判になると、急に色めき立って、争うようにして我が手元に置きたいと願う。今は果たしてどこに、誰の元へ納まっているのでしょうか。――「惜しいかな、文武の卞和があら玉、何くにか納めけん」
それに比して、何と嬉しい事でしょう。転輪聖王が普段は奥深く秘蔵して、滅多矢鱈には目にする事すら許されない、特に勲功の有った者だけに髻から取り出して与えられる明珠を、今こうして日蓮大聖人様の御化導によって我が身に得る事が出来ようとは……。
それこそ、三大秘法総在の御本尊様であり、如意宝珠という、ありとあらゆる宝を生み出す、その大元であります。――「嬉しいかな、釈尊出世の髻の中の明珠、今度我が身に得たる事よ」
この御本尊様をお受けして題目を唱える時、誰もが仏になる事が出来るとは、十方よりお集まりの諸仏も、皆證明遊ばされている所で、わずかな疑いも差し挟みようがありません。――「十方諸仏の証誠としているがせならず」
いくら、「法華経の信心は、世間には憎む者のみが多く、素直に信じることは難しい」と仏自ら説かれているのも、一切の方便を廃して仏ご自身の心を説かれた、いわゆる随自意の教えであるからで、それでこそ、これを行ずれば必ず仏に成られる訳で、それをどうしてスッパリ疑念を捨ててこの信心に取り組まないで、一分の疑いを残して、せっかく「この人、仏道において、決定して疑い有る事無けん」と仰せられているのに、この度仏に成ろうとしないのだろうか。――「さこそは『一切世間には怨多く信じ難し』と知りながら、争でか一分の疑心を残して、決定無有疑の仏にならざらんや」
過去久遠より今日に到るまでの気の遠くなる年月を、ただ漠然と苦しみを受けてこられたのですか?普通だったら、「もうあんな苦しみは受けたくない、御免だ」と、「これから逃れる道はないか」と、必死に探し求めるものでしょう?それでこそ、過去の苦労も生かされるのです。どうしてそのために少しでも時間を割いて、不変常住の妙因、すなわち御本尊様に題目を唱え、少々のことではびくともしない、永遠に崩れざる成仏の因・種・功徳を植えようと考えなさらないのか。――「過去遠遠の苦しみは、徒にのみこそうけこしか。などか暫く不変常住の妙因をうへざらん」
今世での信心を果たしておけば、それが未来永劫にわたって受ける楽しみともなり、仮に不十分であるにせよ心を養うものともなりますが、あえて、わざわざ、遮二無二、稲光や朝露のように儚く、後の憂いや苦の因ともなる名利を、嘘をついたり、他を蹴落としたり足を引っ張りなどして悪名を世にたれ流しながらまでして、貪ってはなりません。
信心を根本にして、その功徳の実証として社会に名を立て、広宣流布にお役に立てるなら、これは当然許される事で、大いに励むべきことであり、大聖人様もお褒め下さる素晴らしい事に違いありません。――「未来永々のたのしみはかつがつ心を養ふとも、しゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず」
私たちの住んでいる欲界・色界・無色界の三界は心安きことは無く、ただボウボウと燃え盛る家の中で、火事とも知らず遊びほうけている子供のようで、危険きわまりないこと、これに過ぎたるものは有りません、とは仏様のお言葉であり、それゆえ、様々な事象は幻のようなものであり、化城のようなものだとは、菩薩の言葉です。
――「『三界は安きこと無し、猶火宅の如し』とは如来の教え、『所以に諸法は幻の如く化の如し』とは菩薩の詞なり」
南無妙法蓮華経がこの国に広く流布した時、国土も仏国土となるのですが、その時にこそあらゆる災いが除かれるということが『如説修行抄』に、「天下万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、吹く風枝を鳴らさず、雨土くれを砕かず、世は義農の世となり│」と説かれています。また、「この法、法位に住して、世間相常住なり」との御金言のごとく、御本仏のまします寂光の都・本覚の栖であってこそ、私たちの幸せが招来されるのです。それが、「衆生の心けがるれば土もけがれ、衆生の心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔て無し。只我等が心の善悪によると見えたり」(一生成仏抄・御書四十六頁)との御文です。
ただ望むところは、現世は安穏にして、後生は必ず善き処に生まれることができる妙法を持つのみこそが、今生後生の最高の栄誉・誇りとすべきことであります。
そして、あらゆる邪宗謗法の余念・雑念・未練等を捨てて、ひたすら心を御本尊という一境に止め集中して題目を我も唱え、人をも、本当の幸せを掴んでいただくために御本尊の信心を勧めていく│、これこそ、この度この世に生まれ来た、最高の思い出にして参りたいものです。
以上

 

 

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ある本で、「灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」という文章を見たんですが、どういう意味ですか?

ある本で、「灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」という文章を見たんですが、どういう意味ですか?

これは、総本山第二十六世日寛上人が、私たちの修行に正行と助行とある中で、助行の役割についてご説明なさった箇所です。
正行とは、御本尊様にお題目を唱えることで、助行とは方便品と寿量品とを読んで、正行甚深の功徳を弥増しし、また明らかにすることです。
それでは質問の御文について、少し解説を加えてみましょうね。
まず、「灰汁の清水を助け」という部分ですが、これは「かいじゅう」ではありません。
「あく」と読むのです。 「灰汁」とう言葉を「世界大百科事典」で調べてみますと、 「植物の水で浸出した液。この液は洗濯に有効で、しかも酸と相反する性質をもつ。主成分は、陸の植物の場合は炭酸カリウムなど、海の植物の場合は炭酸ナトリウムなどである。
あくづけ、アク抜きなどに使う」 などと書かれているところから、短絡して、「灰汁の清水を助け」とは、「たとえば洗濯をするときに、洗剤を加えて水の助けとする意味」とする場合が多いように見受けられます。 しかし、これでは「灰汁が清水を助ける」意味とはなりません。
これは、日寛上人の生きておられた時代背景を考慮にいれて解釈しなければなりません。 と言うのも、この時代、灰汁を使った画期的な方法が、ある物の生産効率を上げるのに革命?を起こしていたのです。
あるものとは「清酒」です。元は濁酒(だくしゅ—にごりざけ、どぶろく、もろみざけとも呼ぶ)を長時間掛けて沈殿するのを待って、その上澄みを取る静置法が主流だったのですが、江戸時代の初期に大阪の鴻池が濁酒に灰をいれてろ過する方法・いわゆる「灰澄まし法」を発見し、効率良くろ過・漉して透明にした〈澄み酒・清酒〉を作れるようになったのです。
これが今でも名残として、造り酒屋の軒先に、新酒が出来たことのデモンストレーションとして、杉の葉で作った丸い玉を下げるのです。
これを杉玉とか酒林とも呼ばれています。 それも、文政十二年板行の『北窓瑣談』という書には、「酒の今の如く清酒になりしは、わずかに百四五十年この方の事とぞ」とあるそうで、文政十二年板行と言えば西暦一八二九年ですから、それより百四五十年と言えば、一六七九年から一六八九年ごろの延宝年間ということになります。
日寛上人が『三重秘伝抄』を著わされたのが正徳三年(一七一三)、御登座あそばされたのが享保三年(一七一八)ですから、まさにその三十年後で流行の真っ盛り、ということで、これを例えに用いられたようです。 このように、濁った液体を澄んだ清水の状態にするのに有効なのが、この「灰汁」を加える方法なのです。
灰汁はこのように、濁り水を不透明な状態から透明な清水にするのを助けますから、私たちの唱える題目が、釈尊の法華経や、あるいは像法時代に、天台大師や伝教大師が唱えたものと同一なものかどうか不透明なものを、明確に、今よりさかのぼること久遠元初の時、名字凡身の御本仏が御修行あそばされた、いわゆる「本地の御自行」、これ真実の仏になる因なるゆえに「本因妙」と称し奉るのですが、これを私どもにお与え下された『三大秘法』と申し上げる、唯一の仏道修行であることを明らかににするために、この『方便品』と『寿量品』とを助行として拝読するのです。
「塩酢の米麺の味を助くるが如し」と言うのは、塩はお米の味を際立たせる。お酢も素麺の味を引き立たせるように、唱題の功徳を際立たせ、引き立てるのに、大いに力となるのです。
それで、唱題の助行とするのです。 これからの文章は、インターネット記事からの受け売りですが、平安・鎌倉時代の「延喜式」「天延二年記」「小右記」「中右記」「江家次第」「長秋記」などの記録によると、宮中での饗宴には必ず素麺が出され、酒のあと酢素麺を食べる習わしがあったようです。
酒でもてなした後、酢素麺を食べるのが最高の料理で、この方法が宮中から公家などの上流社会に伝わり、江戸時代に入ると、庶民も酒の後、酢素麺を食べる習慣になりました。
江戸時代も中期になると、地元で作られる醤油を使ったつゆが一般化し、醤油のつゆと酢を適宜に使い分けていたようです。
酢素麺は当時高級料理とされていました。
播州地方でも、昭和三十年代頃までは酢をベースとしたつゆが主流で、醤油を使ったつゆは少なかったようです。現在では、醤油ベースのつゆ(めんつゆ)が主流になり、酢素麺はあまり食べなくなったのは、皆さんご承知の通りです。
お酢で食べるから最高の料理で、宮中のもてなし料理の中でも特にこだわりがあったことを知る事ができます。
また、お米を食べるにしても、炊きたてのご飯を、塩をまぶして握ったおにぎりが最高の料理であることを、この三月に終了したNHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」でも、主人公の差し出したおにぎりを、アメリカの進駐軍の将校までもが、こんな美味いものはないとばかりに目を丸くしてほおばっているのが、印象的に描かれていました。
このように、お酢も、現在のめんつゆも、麺の味を引き立てる、風味豊かにする。
あるいは、お塩も、ご飯をいよいよおいしくして、栄養を身につかせる大きな働きをもっていることが、私たちの修行の関係によく似ているので、これを、正行を助ける行・助行とするのです。
この方便品と寿量品、そして題目を唱えることで、迹門・本門・文底へと浅いところより次第に深い所に至り、寿量文底の三大秘法の題目という意義が具わることになるのです。
ゆえに、この助行と正行たる題目を合わせ行ずることで、本当の大益を得る事が出来るのです。 以上

 

 

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王舎城事

王舎城事 (九七五頁)
「御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつるよはく、太刀つるぎにてつかう人の臆病なるようにて候べし。あへて法華経の御とがにて候べからず」
この「王舎城事」は、建治二年四月十二日、御年五十五歳の時に、四条金吾殿に与えられたお手紙です。
四条金吾殿とは、日蓮大聖人様ご存命中の御信徒で、詳しくは四条中務三郎左衛門尉頼基と言います。
衛門府というのが、漢の時代に宮門の警衛をつかさどった武官である執金吾を略して金吾と呼ぶ(広辞苑)ところから、この唐名を使って四条中務三郎左衛門尉頼基を略して「四条金吾殿」と通称されていたのです。
このお手紙の冒頭を読むと、この四条金吾殿が大聖人様に、銭一貫五百文の御供養とともに、鎌倉の大火についてご報告したことがわかります。それを受けて、お話しが展開していきます。
先ず、詳しく鎌倉の火災についてお知らせいただいて、大変かたじけない。心から悦んでおります、と。
大火のことは、『仁王経』に説かれる七難の中には第三の火難、『法華経』の七難の中には第一の火難として説かれるところです。
このような恐ろしい火事ではありますが、虚空を剣などで切り裂くことが出来ないように、また、水を火が焼くことが出来ないように、本物の、いわゆる悟りを得られた仏や、大心衆生と言われる菩薩などの聖人、あるいは八風という八つの風、つまり毀誉褒貶という世の風評に一々右往左往するのではなく、物事の正理をわきまえ行動できる賢人、それに福徳の備わったいわゆる福人や、智慧に秀でた智者を、火といえども決して焼くことはできないのです。
ところが私たちは、生身の人間である以上、どんな偉い人でも炎に囲まれれば、やはり焼け死ぬのではないかと、疑ってかかります。
それで大聖人様は、このことが嘘偽りで無いことを証明する故事を述べられるのです。
それは……、昔インドに摩伽陀国という大国がありました。大聖人様の御書にもしばしば出てくる名前ですが、釈尊が法華経を説かれた場所である霊鷲山や、釈尊が生きておられた時、多く釈尊が教えを説かれた祇園精舎と共に二大精舎と称された寺院の一つである竹林精舎がその北方にあり、また阿闍世王の庇護の下、釈迦滅後に初めて経典の結集が行われた七葉窟など、仏教遺跡が数多く残る所です。その首都を王舎城と言います。
ここには九億万家の民が居たと言われます。一億の単位が今の十万だそうですが、それでも大変な数の家々が立ち並んでいた事になります。
この都市が、なぜだか七度も大火に襲われて喪失するということが繰り返されました。
そのために、人々は何かに取り憑かれたようなこの城下から逃れるために、ここから去ろうとする者たちが後を絶ちません。
人が我も我もと先を争うように、我が領土から離れ去ろうとするのを見ることほど、忍びないものはありません。大王は天を仰いで大いに嘆き苦しみました。
その時、一人の賢人が進み出て王に申し上げることには、
「仁王経や法華経に説く、七難の内の大火というのは、聖人がその所を捨て去り、王の福が尽きるところに起きるものでございます。
ところが、今七度までもうち続いた大火を検証いたしますに、民の家を焼くことはあっても、王のお住まいの内裏には、この火が近づいた試しはございません。
この事から結論づけられることは、この大火は決して王の失によって引き起こされたものではなく、万民が知らず知らずのうちに形作ってきた、彼らの心に共通する業によって引き起こされたものと言えましょう。
ですから、民の家を含めて諸共に王の家、すなわち王舎城と名付ければ、火之神もその名を畏れて、決して焼くことは無くなるでしょう」
と、進言したのです。
最初、王は「そういうことがあるのだろうか」と、はなはだ覚束ない辺もあったようでしたが、具申通りに「王舎城」と名付けたところ、本当に火災がピタリと止まったのです。
この例からもお分かりのように、「大果報の人をば大火といえども焼くことはできない」のです。
この度の火災では、この王舎城の例えとは逆に、鎌倉幕府の将軍の邸宅が焼けたのですから、これは日本国の果報の尽きる徴・前兆でなくて何でありましょうか。
それでは、どうしてこの様な事態を招いてしまったのか、その原因を探ってみれば、この国の、法華経という仏の出世の本懐の教えに背く念仏・真言・禅宗らの大謗法の僧侶たちが、おぞましき命で、日蓮大聖人様を降伏…、法力でもって、憎らしい、気にくわない、腹立たしい奴、足腰立たないように押さえつけてやろうと、悪しき心で祈りを為したために、いよいよ災いがやって来たのではないでしょうか。
これを「還著於本人」と言います。
空に向かってつばを吐けば、やがて落ちてきて、自分の顔にかかるようなものです。
その上、「名は体を表わす」と申しますが、両火房という謗法の聖人は、これまで鎌倉中の人々の師として万民より生き仏のように崇められてきましたが、一つの火は己の身に留まって、自分が住職をしている極楽寺を焼いて、地獄寺としてしまいました。
なぜなら、地獄というのは、「炎をもって家とする」(新池御書一四五六頁)からです。生き仏でも無ければ、有徳の聖人でも無いのは一目瞭然ではありませんか。
また、もう一つの火は、この極楽寺に起こった火事が広がって、鎌倉の御所まで焼いてしまいました。
この火災はその二カ所に留まらず、現世の国である鎌倉市中を巻き込んでしまいましたが、これは、極楽寺良観という師と共に、多くの弟子旦那らが未来に無間地獄に堕ちて、炎に焼き尽くされることの先表前触れであります。
仏法の正邪を弁える事の出来ない愚癡・愚かな法師らが、智慧有る人の言うことを用いなければ、とどのつまりがこのような末路をたどらなければならないのです。何とも不憫なことですが、彼らが改めない以上どうしようもありません。
またお手紙にもありました奥様の御祈りのことですが、法華経そのものを疑っていらっしゃるまでは行かないまでも、もしや、御信心が弱くなってしまわれたのではないでしょうか。――「御信心やよはくわたらせ給はんずらん」
経文通り、日蓮大聖人の仰せのままに信心をされているように表面見える人でも、実は本当の深いところでは、それほどでもないという人が居るということを、あなたも薄々お気づきになっている通りです。――「如法に信じたる様なる人々も、実にはさもなき事とも是にて見て候。それにも知ろしめされて候」
普通の人であってもそうなのですから、ましてや女性のお心……、例え風をつなぎ止めることができてもなお移ろいやすく、押さえつかむことが難しいものはこれに過ぎたるものは無い、というではありませんか。――「まして女人の御心、風をばつなぐともとりがたし」
御本尊様に題目を唱え御祈念をして、しかもその祈りが叶わないというのは、弓は十分に鍛えられて弾力があっても、弦の部分が弱くたるんで張りが無ければ、せっかく矢をつがえ、引いて飛ばそうにも、全く飛びません。
あるいはどんな名刀であっても、使い手が臆病で、その上使い方を知らなく訓練も受けていなければ最悪で、まったくのなまくら同然で役に立たないのと同じです。――「御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつるよはく、太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし」
この御本尊さまは、強靱な弾力を備えた弓です。後は強固な私たちの信心と唱題という弦をピーンと張って矢をつがえ、渾身の力を振り絞って引いて、的を見定めて指を離せば、必ず存分のはたらきをするのです。
またこの御本尊様は無明煩悩を切る利剣とも言われる様に、私たちの前に立ちはだかるあらゆる障魔を、バッサバッサと切り倒すことのできる、最高の太刀・剣なのです。
しっかりとした勇気と確信を持ち、日頃の朝夕の勤行怠りなく、日々講中の中で訓練を受けて、いよいよという時生かし切っていくことです。
それを顧みず、御本尊様に責任を求めるなど、とんだお門違いです。
それと、謗法の恐ろしさを十二分に認識しておくということです。謗法の害毒が、ありとあらゆる不幸をもたらしているという仏様の教えをしっかり受けきり、自分も心の底の底から捨て去り、人にもそのことを伝えて教えてあげることです。
このことが不十分だと、御本尊様への確信も弱々しく、ついつい間違った信仰を容認したりして、結果思わしくない方向へしか行かなくなります。
それではどの程度謗法の者を責めれば良いかと言うと、四条金吾殿が人から憎まれるほどにするのを、我がお手本としていきなさい、とこのように、こまごまとお話しをしてください。
女性は、自分の夫の浮気相手を憎み、二度と近づけまいと思うはずです。よもや、御本尊様を軽んじたり、卑しんだりして誹謗する人を、この浮気相手ほどに憎く寄せ付けたくないと思われたことはないでしょう。
それほどまで、謗法を憎み御本尊様を念じていってこそ、本物の信心ともなり、功徳の実証も顕われるようになるのです。
この日蓮大聖人さまの御指南を自分に賜わったものとして捉え、しっかりと確信をもって、幸福になるためのこの信心の大道を歩んで参りましょう。

 

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「御観念文は、初座・二座・三座・四座・五座と、それぞれどういう意味があるのですか?」

Aちゃん、とっても大切な質問をしてくれて、有り難うございました。
それはね、一口に言えば「四恩」という四つの恩を受けていることに対して、恩返しの意味を込めてお題目を唱えているのよ。
これを「四恩報謝」と言います。
私たちは「法華経」という教えを信じているよね。
法華経というのは何を説いているかといえば、要は「人の振る舞い」ということなのね。
このことを日蓮大聖人様は『崇峻天皇御書』(一一七四頁)に、
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。 賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」
と、仰っているの。
この意味はね、
「お釈迦様が御一生の中で五十年間御説法されましたが、その中で最も大切な教えは法華経、その法華経の修行の肝心な部分は、不軽品に説かれていることなのです。
この中で、不軽菩薩はどんな人にでも、『心から敬います』と、礼拝することを専らにされましたが、これはどういう理由からかと言いますと、『人は皆仏性という仏の命を本来お持ちです。あなたも、将来かならず妙法の縁に触れることにより題目を唱える機会がおとずれて、やがて仏になられる方であると信じるからです』と、将来を見越して、その人の心の奥底の仏の命に向かって礼拝をなされました。
お釈迦様が教えを説こうとされたその目的は、人の振る舞いはどうあるべきか、ということに尽きるのです。物事の道理をよくわきまえて行動できる者を本当の人間と言い、しっかりとした思慮分別の無い・浅はかな者を畜生と言うのです」ということなの。
人はどうして、判っているはずなのに、いい加減な、間違ったことをしでかしてしまうかというと、自分が何の値打ちも無い、つまらなくて卑しいものだと思い込んでいるからなのです。
自分で自分を否定しているのです。
そこで仏様は、私たちはもともと立派な価値を持った生き物であることを諭して、人間の一生を輝けるものにしてあげたい、とお考えになったのね。
でもそれだけでは、人間はともすれば起こりがちな、一時的な感情の暴走に振り回されて歯止めが効かないことがあるので、私たちは多くの人の支えがあって、いまこうしてあることを改めて呼び覚まし、間違ったことをしようとする時のブレーキ、よく食い止めることが出来る・抑制することが可能な様に、「四恩」という、四つの代表的な恩についてその大事を説かれたの。
私たちはよほどの阿呆でないかぎり、こういう事をしてしまえば、親に迷惑を掛けるなぁ、親を泣かせることになるなぁ、先生に恥をかかせることになるなー。だから、こういうことはしないでおこう、という風に考えるものです。
ですから大聖人様は、「持戒は父母・師僧・国王・主君・一切衆生・三宝の恩を報ぜんが為なり」(十法界明因果抄・二一四頁)と、私たちが「人殺しをしない、泥棒をしない、嘘をつかないなどの戒めを守ろうとするのは、両親やお師匠さんの僧侶、国王、会社などに勤めていればそこの社長、あるいは世の中のすべての人々、そして仏法僧の三宝の恩に報いようとするところに、その心は生まれるのです」と、御指南なのです。
そして、それらの方からどういう風に恩恵を受けているかを、順に述べられます。
一、両親は生み育ててくださった恩があります。私たちがおねしょした時は、自分は冷たい所に寝て、子供にはぬれてない方に寝かせてくださったり、病気の時は寝ないで看病したり、この苦しみを代わってあげることができたらと、胸を痛めてくださったりしていただいたのよ。
二、すべての人々は、互いに助け合って生きていますから、この恩があります。お米も、お野菜も、着るものも、おうちも、学校も、そしてこうしてなにげなく生きていることすべてが、色々な人が関わって保たれている安全なの。
三、国が平和に治められていれば、私たちは安心して暮らせ、そして素晴らしい日蓮大聖人様の教えを修行して、大きな功徳を積んでいくことができます。
国が内戦状態に陥っている所の悲惨な状況は、もうそれどころではなく、こうしている間にも、一日二万人以上の子供たちが、食べるものも食べられず、飢えや病気、そして銃弾の犠牲になって亡くなっているそうよ。そういうかわいそうな人たちを救うためにも、私たちはしっかり信心をして、また大聖人様の教えをしっかり身につけていかなければなりませんね。
だから、こうして国がそれなりに安定して生活できるということは、恩をこうむっているのです。
四、お仕事を働いているお父さんやお母さんが、そこでお給料をいただいているから、みんながこうして暮らしていけるんですね。だから、会社や職場、それに社長¦昔は主君と言っていたのですが、この人たちにも恩がある、ということになります。
五、三宝とは仏の宝の大聖人様、法の宝の三大秘法の御本尊様、そしてそれを正しく私たちまでお伝えくだされた日興上人様を始めとする僧宝の、総本山の猊下様にも、私たちが生きる希望や力をお与えくだされたのですから、大変な御恩があります。
これらを取りまとめて、四恩というのです。
何度も言う様だけれども、大聖人様はこの「四恩」について、たとえば『開目抄』には、
「聖賢の二類は孝の家より出でたり。いかにいわんや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩をいたすべし」(御書五三〇頁)
と、聖人・賢人と言われる様な、後々の世までみんなのお手本となられるお方は、両親やご先祖様に孝養を尽くされることにより、その人間性を磨いてこられました。ましてや、最高の人間の生き方を説いた仏法を学ぼうとする人が、恩を受けていることを学び、その恩に報いないことがあっていいものでしょうか。仏の弟子となった者は、必ず四恩を知って、これに報いていかなければならない、とお教えなのです。
また『聖愚問答抄』というお書き物にも、
「我釈尊の遺法をまなび、仏法に肩を入れしより已来、知恩をもて最とし、報恩をもて前とす。世に四恩あり、これを知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす」(御書三九九頁)
と、あるんだ。
ここには、日蓮大聖人さまがお釈迦様の残された教えを学び、仏法に肩入れして――特に仏法一筋に信じるようになってから、恩を知り、恩に報い奉ることを最優先に掲げてやってきました。
世の中に大切な四恩というものがあります。これを知っている人を、真の人間と名づけ、愚かにも知らなければ、いかに人間の格好をしていても、この人は畜生と言われても仕方ないことだ、とおっしゃっているのです。
四恩を知るか知らないかが、人間と畜生とを分けるターニングポイント・分かれ道・分水嶺なのです。
しかし、こんなに大切な四恩ですが、「さあ、これをやりなさい」と、「私たちの自主性にお任せする」とされたなら、私たちはただ途方に暮れるばかりです。四恩の大切さを強調されるばかりで、実際に誰もが行うことができる道をお示し下されなければ、私たちは実際に行うことは不可能です。
そこで仏様は、これを大切な修行の柱である勤行の中に組み込んでくだされたのです。それが「五座の勤行」なのです。
四恩とは、国の恩・三宝の恩・一切衆生の恩・父母の恩です。
勤行の初座は、国の恩を報ずるのに当てられます。初座の御観念文を見ると、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等の名前とともに、あらゆる法華経を守護することをお約束されている諸天善神に対し、法味を差し上げ、精気・精力を充実していただきたき旨言上する・申し上げることが記されています。
これは、私たちが毎朝起きてこの目で確かめているように、太陽などの星々は皆東に顕われ出るからです。
このことは古代中国の『説卦伝』という書にも、「東方の『震』卦は、造化の主催者たる帝の顕現を象徴するところなので、万物は先ず『震』に顕現する」(「五行循環」・吉野裕子著(人文書院発行)七十九頁)と書かれているそうです。
大体日本の祈りの形は、中国のものに学んだものが多いのですが、立春・立夏・立秋・立冬の四立の朝には、中国の皇帝は文武百官と共に、それぞれ、東西南北の門に、それぞれの季節の色(春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒)の衣装と宝玉を身につけ季節を迎えたのです。そうやって、季節の順当な推移をうながそうとしたのです。
季節が、その時節通りに動くことが、穀物の収穫や、あるいは冬物・夏物の季節商品が売り買いされて市場が活気を帯び、それがひいては国家の繁栄をもたらすことになったからです。
毎日巡り来る朝もそうです。現代の私たちは、地球の自転や公転によって、朝昼晩や季節が巡ってくる事を知っていますが、それでも、冬にちっとも雪の降らない暖冬があり、夏に少しも暑くならない冷夏があったりして、季節関連の商売をしている人を、ヤキモキさせていたのです。
それで昔の人は、「天地の精、五行の端」(戒法門・御書十二頁)であるという、天地が生み出した最高傑作品の「人」が手助けをすることによって、それらが規則通りに運行すると信じて止まなかったのです。
ましてや経文には、「諸天昼夜 常為法故 而衛護之」と説かれていて、諸天善神は、昼夜を分かたず常に法のための故に、この健気に法華経を信ずる人々を衛護・護っていくと説かれているのですから、どうぞ、そのお誓いが紛れもないものであるならば、その誓いを、私たちが修行しているこの国にお向けくださいまして、これをもって、国の恩に当てさせて頂けます様に¦¦、と御祈念しているのです。
次の二座は見ての通り、三宝の中には御本尊様という法宝についての御報恩感謝申し上げる所であり、引き続いて三座は、日蓮大聖人様という末法の御本仏様・仏宝と、日興上人様・日目上人様を始めとする僧宝への報恩感謝を申し上げるところです。
この三つの宝が世にましまさなければ、私たちは本当の自分の価値も、なぜこの世に生まれてきたのか、その意味も知らないまま、羅針盤を持たない船が大海をさまよう様に、あたら人生を棒に振らなければならないところでした。
そうして四座は、広宣流布の御祈念をするところですが、広宣流布とはつまり、世の中の一人ひとりに大聖人様の三大秘法の御本尊を受持せしめて、唱題という修行によって成仏の境涯にいたらしめ、ついにはこの土に仏国土を建設することにあります。
この一人ひとりを、真実の幸せにしていくことは、つまりは、この方々からいただいている恩に報いるためなのです。だから折伏は報恩行なのです。
そして、この広宣流布の志有るところ、私たち自身の祈りも叶っていくのです。ですから、広宣流布の御祈念の直後に、自身の御祈念をするところが有るのです。
これを、「広宣流布の志無くんば、利生これあるまじき由」と言われているのです。
五座は「父母先祖の恩」への報恩感謝に換えて題目の功徳をお送りするのです。
ご先祖様への孝養にも三つあって、一つは食べ物や着る物など、衣食住に関わる物がご不自由無いようにすることです。
二つは、親の意に違わざることです。親が人生の先輩としての知識や体験をもとに、色々教えてくれたことに背かないようにすることです。
ただし、仏法において御本仏の御教えに背いていればこれには従わず、かえってお題目を勧め、あるいは亡くなっておられれば、題目の修行の功徳をお送りし・回向してあげることが、これが三番目の最高の孝行・報恩感謝になるのです。
五座の最後に、「乃至法界平等利益 自他倶安同帰寂光」と念じて、この私たちが今積んだ妙法の功徳をあまねく法界・地上の生きとし生けるものに及ぼし、ついには共々に寂光浄土に安住することが出来、法楽をほしいままに受けるという、成仏という境涯を得ることができますようにと、お祈りするのです。
はい、これが、私たちが五座の勤行をする理由です。これがしっかり判ってないと、少しばかり会員を増やしたからといって天狗になって、高慢ちきになって、こんな時代遅れなものは必要ないなどと、大聖人様の思し召し、慈悲の御教導を真っ向から否定して、そして自ら墓穴を掘ることになるのです。
優秀だとうぬぼれている創価学会の池田大作という人や顕正会の浅井昭衞などという者が陥ってしまった、落とし穴・懈怠謗法ですから、私たちは日夜油断無く、五座の修行をしてまいりましょう。
以上

 

 

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