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今私達の踏みしめている大地こそ、 霊山浄土、これ仏の悟りなり

鹿児島は、念仏の王国であることは、皆さまご存じの通りです。
こんなに多くの浄土真宗の人たちがいても、皆、ただ先祖がその信仰をしていたからという理由だけで、その信仰について誰かから何らかの指摘を受けたとしても、改めて自分の宗教について考えてみようなどという人は、だれ一人としていません。
でも、もしそれが、自分に、あるいは家族に、またその人生の往く末に暗い影を落としているとしたら、そんなに悠長でいられるでしょうか。
信とは無疑曰信といって、疑い無きを信と言います。
でも、坊さんのいうことを只鵜呑みにして、何も考えないことではありません。
疑いが無いというのは、疑問があったことについて、そのわだかまりが消えた状態をいいます。
つまり、疑問が少しでも生まれれば、「では、仏の言葉である経文ではどうなっているのか」、あるいは「道理に照らして見て、本当にこれでいいのか」、あるいは「現実にはどうなのか」と検証して、それで疑問が解消した状態こそ、本物の信と言うのである、と仏は仰せなのです。
浄土真宗の人たちは、自分たちのことを【仏教】だといいます。それならば、仏様のお言葉はどうなっているか、今からでも耳を傾けるべきです。これから申し上げることは、決して悪口ではありません。仏様のお言葉を述べて、よりよい人生を歩んでいただきたい、ただその思いから書かせていただいたものです。
まず、皆さんに質問ですが、お釈迦様がご存命中に、誰よりも早く念仏の教えをお聞きしてこれを信じていった、いわゆる「仏在世の、念仏の祖師」とは誰でしょう。
そう、それは舎利弗尊者ですね。
この方はご存じのように、――お釈迦様のお弟子はどなたも人並み外れた方々でしたが、そのエリート集団の中でも飛び抜けて優秀な十大弟子の中でも――智慧第一でならした人です。
阿弥陀経は、この長老・舎利弗尊者を対告衆として説かれました。
対告衆とは、仏さまが説法される時の聴衆、お聞きしている人の中の中心者のことです。
もちろん、阿弥陀経は多くの人がお聞きしていましたが、お釈迦様は、「舎利弗よ、舎利弗よ」と、舎利弗を中心に説かれたのです。
ところがです、こんなに懇切に自分に向かって説かれた阿弥陀経を、舎利弗尊者はあっさりとお捨てになるのです。
なぜ、そんな大それたことをなさったのでしょう?
それは、後にお釈迦様が法華経をお説きになる直前、仏様みずから、「この阿弥陀経などの浄土三部経には真実を説いていない。方便虚妄なり。ゆえに、これを捨てよ」と、宣言されたからです。
経文では、「これまでの四十余年には、未だ真実を顕さず。」ゆえに、「正直に方便を捨てよ。」「法華経以外の教えの、わずか一偈一句たりとも信受してはいけない」と、厳しく言い置かれています。
そして、そのお釈迦様の御本意とされる法華経の説法を聞いて、舎利弗尊者は華光如来という仏になることができたのです。
しかも、「非己智分」、己の智慧の分際にはあらずと言って、智慧第一の舎利弗ながら、その己の智慧をすべてかなぐり捨てて、信の一字でもってその仏様のお悟りの中に入ることができたのです。これを「以信得入」といいます。
つぎに、阿弥陀仏といえば「四十八願」ですが、これは阿弥陀仏がかつて法蔵比丘と言っていた時、自分の国を仏国土として荘厳しようと願い、世自在王仏のもとで二百十億の仏の世界の様子を聞いてこれを参考にし、五劫の間思索をめぐらした結果、四十八種類の例を選んで、これでもって自国を荘厳すると誓願を立てたものなのです。
この中の十八番があの「念仏往生」で、阿弥陀仏を心に念ずる者は等しく浄土に往生することができる、としています。
ここには但し書きがあって、「ただし、誹謗正法と五逆の者を除く」とあります。  つまり、お念仏をしても、法華経や法華経を信じている人を誹謗――悪口を言ったり、父や母、それに阿羅漢という高僧を殺したり、仏様に対して暴力をふるったり、正法の教団の和を乱したりなどの行為をしたものは、往生はできないとされているのです。  十九番目が「来迎引接」で、もろもろの功徳を修めた人は、臨終の時、阿弥陀及び観音・勢至などが迎え、極楽浄土に引接する、としています。
また、三十五番目には「女人往生」とあって、女人が阿弥陀の名を聞いて歓喜信楽し菩提心を起こせば、浄土に往生して男子となることが出来るとしています。
これら四十八願は、念仏をする人たちの絶対の拠り所でしょう。
この四十八願は、阿弥陀の若かりし頃の法蔵比丘が立てた誓願ということになってはいますが、これは実は、お釈迦様が大乗仏教の精神を教えるために、実際には出現されたことのない架空の阿弥陀仏を使って、慈悲ということを弟子に教えようとされたものなのです。
それはさておいて、この四十八願は、お釈迦様の十大弟子の内、多聞第一で知られる阿難尊者に釈尊より付嘱されました。 付嘱とは、付与嘱託の義で、付とはものを与えること、嘱は事を託すことですから、仏が弟子に教法の弘通を託すことを言います。  ところがです。この多聞第一という、釈尊の説法を真剣に聴聞し、そのことごとくを記憶して経文として残してくださった阿難尊者は、この四十八願をバッサリ、惜しげもなくお捨てになるのです。 なぜそのようなことを――。
これもやはり、先の舎利弗尊者やほかのお弟子と同じように、あの念仏の教えには、釈尊の本意は打ち明けられてはいない。みんなの心を一つに融合させ、法華経にたどりつかせるための方便の教えである。建物を組み立てるために、回りに足場を築くようなものである。
家の本体ができれば、回りの足場はすべて取り払われるように、その方便の教えは捨て去らなければならない。
この仏の御宣言をうけたまわって、正直にこの方便の教えを捨てて法華経を信じていかれたからです。
するとどうなったでしょう。なんと、法華経によってこの阿難尊者は「山海慧自在通王仏」という仏になることが出来たのでした。
阿弥陀経の説法をたまわった長老・舎利弗尊者は、千二百もの羅漢の中に、智慧第一の上首の大声聞、閻浮提第一の大智者、つまり全世界で一番の大智者と言われた方です。肩を並べられる人は誰一人としていませんでした。
あるいは、阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代五十年の説法を諳んじておられた、広学の智人と言われた方です。
このような、当時最高の位にあった僧侶すら、阿弥陀経などの浄土三部経では、往生成仏の望みを遂げることができなかったのです。
仏様が世にましました時の「念仏の祖師」ですら、このようになされたのですから、後世の、祖師の跡を踏んでまいりたいという思いの方は、阿弥陀経などを捨てて法華経を取り、人の一生の内に必ず成仏を遂げることのできる、この信心をなさるべきです。  念仏の方々は、お釈迦様がお亡くなりになって以降、教団ごとにさまざまな偉いお坊さんや学者が名を残されているけれど、大唐楊州の善導和尚に勝る人はいないと、よく主張されます。唐土第一の高祖である、と。
大唐楊州とは、現在の中国・江蘇省の都市で、揚子江下流の北岸にあります。
この人は、初めこの地の明勝という立派な方を師匠として法華経を習っていましたが、道綽禅師という人に出会って浄土宗に移り、法華経を捨てて念仏者となったのです。
この善導和尚には、別の言い伝えがあって、色々仏教を勉強している時に、どの教えを選んでいいのか判らなくなって、それでお釈迦様の経典が全部収められている書庫――経蔵といいます――に入って、何をするかと思えばなんと目隠しをして、それでぐるぐる回ってぱっと手を伸ばして、一番先に自分の手に触れたのが観無量寿経だったので、それで念仏を広めるようになった、というのです。
これを日蓮大聖人は『浄蓮房御書』に、「(善導)案じて云わく、(中略)機に随いて皆利益あり。(中略)されば我(中略)教には依るべからずと思ひて一切経蔵に入り、両眼を閉ぢて経をとる、観無量寿経を得たり」(新編八七八頁)と述べられているのです。
それはいかにも破れかぶれで、無茶苦茶で、無闇矢鱈で、行き当たりばったりの様な気がいたします。民衆のために何を広めるべきなのか、どの教えが人を幸せにするのかと、経典を選択しようとする時に、こんな方法でいいのでしょうか?
たとえて言えば、生涯の伴侶を選ぼうとする時に、見ず知らずの女性をズラーと回りに立たせて、それで目隠しをしてグルグル体を回し、方向感覚がわからなくなった時に手を伸ばして、一番最初に手にふれた人を結婚相手に選ぶようなものです。相手にも失礼でしょう?
これには、善導和尚の慢心が見え隠れします。
つまり、自分の才能や表現力、あるいは説得力をもってすれば、たとえ今はどんな無名の経典であったとしても、自分が広めて有名にしてみせる……。教えの浅深・高低、あるいは仏の意思など関係ない……。結局、だれが広めるかどうか、さ。 そういう声が聞こえてきそうです。
そうでなかったら、人の幸不幸に深く関わっている教えを、崇高なこころざしを持った人なら、こんな幼児性丸出しの方法で選ばないでしょう。
ともかくもこのような経緯で、善導和尚は念仏を広め始めました。
この善導は次に何をしたかといえば、お釈迦様の一代五十年の聖教を、聖道・浄土という二門に分けました。
そして、法華経等の諸大乗経を聖道門と名づけ、自力の行と嫌い捨てさったのです。  法華経などは、高嶺の花のような高度な内容に、さらにおのが才能を頼んで、みずから行じて成仏を目指すというこざかしい教え。こんなんだから、聖道門を修行して成仏を願おうという人の、百人いる内にまれに一人か二人、千人の内にまれに三人五人というわずかな確率でしか成仏できる者がいない……。あるいは、千人修行しても、その中に一人も成仏できないってことも、当然起こりうるのだ。
それに比して、無量寿経二巻・観無量寿経一巻・阿弥陀経一巻の、いわゆる浄土三部経を浄土門と名づけるが、この浄土門を修行して、ただ阿弥陀如来の四十八願の内、十八番目の念仏往生の誓願にすべてをゆだねて、つまり、他力本願をたのんで往生を願う者は、十即十生、百即百生といって、十人いれば十人すべてが、百人いれば百人全員が決定して往生が叶う、と断言したのです。
さらには『観無量寿経』を出典として四巻の疏――解説書を作ります。それが、玄義分・序分義・定善義・散善義と呼ばれるものであり、そのほかに、法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経と合わせて九帖の疏と呼ばれています。
この善導和尚がひとたび念仏を唱えれば、その口より仏が出現する、と言って、称名念仏を一遍なすごとに三体、口より実際に仏が現れたというのです。
また、この善導和尚は、毎日の所作として、阿弥陀経を六十巻、お念仏を十万遍、欠かしたことが無かった、というのです。
あるいは、経典の中に説かれているあらゆる戒律をたもって、その内の一つも破ったことがない。僧の身につける三つの衣・三衣も、善導の体全体の皮膚と変じたかと見まがうがごとく、常に身につけて脱ぐことなく、托鉢に用いる鉢と、食事やご不浄のあとに手を洗うために水を入れる器の瓶(びょう・かめ)は、あたかも人の両眼のごとく身から離すことなく仏道に精進し、不浄な行為をやめ、身心を清浄な状態にしておく潔斎を怠ることがなかったのだそうです。
その上、女性を見ることなく、つまり男女間の色恋の煩悩を起こすことなく一生を過ごし、修行のため不眠、つまり眠らず修行を続けること三十年と豪語し、みずからを称えたというのです。
そういうことが、この人のエピソードとして語られているのです。
しかも、この善導の日常の振る舞いはどうであったかというと、酒や肉、それに五辛というネギ・ニラ・ニンニク・ラッキョウ・はじかみなどを口にすることは元より、手にすることすらなかった。ゆえに、末の弟子らもこのように行じなければならない、と遺戒しているのです。
もしこれに違背するものは、つまり一度酒を飲み、肉をくらい、五辛等を食して念仏を行ずる者は、三百万劫という、とてつもない長い間地獄に堕ちるであろうと、厳しく戒めているのです。
この善導が残した行儀法則は、本来の律にも無い大変厳しいものです。このことは、法然の起請文・誓いを書き記した文にも、この善導の遺戒が書かれているのです。
このような人物でしたから、中国全土にこの人の名はとどろき渡り、人々はこぞって善導和尚を善知識、つまり正直・有徳の人にして、人を仏道に引き入れてくださる大指導者だと仰ぎたてまつり、その結果、貴賤上下・身分の高い人賤しい人、上の位の人も下の方も、みな打ち揃って念仏者となっていったのです。
しかし、その善導和尚の言葉ではあるけれど、釈尊が一代にわたって説いてこられた聖教の中でも大王の地位に位置づけられ、過去・現在・未来と、三世のあらゆる仏様のこの世に御誕生になられる目的・本懐と仏みずからが宣言せられている法華経の文には、
「もし、法華経を聞くこと有らん者は、一人として成仏せざるは無し(若有聞法者、無一不成仏)」と説かれています。
それを善導は「法華経を修行するものは、千人に一人も成仏、得道の者はない」と断言している。誰が見ても、まったく正反対の言葉であるが、それではいずれの言葉を信じ、手にとるべきなのでしょうか?
釈尊が法華経を説くに当たっての、そのつゆ払いとして説かれた無量義経には、念仏のお経を「未顕真実(未だ真実を顕さず・真実ではない、虚妄方便なり)」と断じております。
しかも法華経には「正直捨方便、但説無上道」といって、正直に念仏の観経等の方便の経々を捨てて、無上道の法華経を持つべし、と説かれているのです。
これら一連のお釈迦様のお言葉と、善導の言うこととは、全く水と火のごとく相違しています。
私共はいずれの説に付くべきなのでしょう。善導の言葉を信じて法華経を捨てるべきなのか、仏説たる法華経を信じて善導の主張をしりぞけるべきなのか。さぁ、どうなんでしょうか。
「一切衆生、皆成仏道(すべての人々が、皆成仏が叶う)」の法華経、「一聞法華経決定成菩提(ひとたび法華経を聞けば、必ずや悟りを成ずるであろう)」という誠に尊い妙典が、善導の一言に破れて「千中無一」、千人いても、その中のわずか一人も成仏するものはいない、という虚妄・うそっぱちの教えとなり、「無得道教」・成仏できないお経とののしられ、平等大慧という等しく十界の衆生に成仏の大利益が及ぼされる、この巨益・大いなる利益が全くのでたらめに成り果て、多宝如来の皆これ真実、あるいは十方分身の諸仏の広長舌をもっての、法華経が最もすぐれた教えであることの証明も、善導の一言でことごとく砕け散ることとなりました。
しかしこれは、凡夫の言葉をもって仏の言葉を否定することですから、三世諸仏の大怨敵となり、十方如来の御本意の成仏の種子を失うことになりますから、仏法で最も重大な罪である大謗法の科がはなはだ重い、と言わなければなりません。
これほど大きい罪というものは無い。地獄の中でも最も恐ろしい無間地獄への転落の業因と言わざるをえません。
これらによって、たちまちに精神に異常をきたしてしまったんでしょう。
住んでいるお寺の前の柳の木に登って、みずから首をくくって、身をなげて自殺をしてしまったのです。
邪法を信じ、またこれを広めて民衆をたぶらかした罪により、たちまちに罰があらわれました。
その善導の最後臨終の言葉には「あぁ、なんと嫌なわが身なんだ。様々な苦しみに責められ、しばらくも身の休まるひまもない」と。
そう言い終わるやいなや柳の木によじ登り、西の方角に向かって願って言うのには、阿弥陀如来の絶大なるお力をもって我をお受け取りくださり、脇士の観音菩薩・勢至菩薩もどうか来ていただき、お力添えをいただいて、無事西方極楽浄土へ往生できるよう、お助けください……。」
そう唱え終わって、青柳の上より身を投げて自殺をはかったのです。
ところが、あっさり死んでしまえば、これはこれで楽だったでしょうに、三月十七日、首をくくって飛び降りたのに、首をしめるための縄が途中で切れてしまったのか、はたまた、柳の枝が折れてしまったのか、大干ばつのガチンガチンの堅土の上に堕ちて、腰の骨をうち折り、二十四日にいたるまでの七日七夜の間、悶絶躄地して――七転八倒して、うめき叫びながら死に絶えたのです。
これは、ほかの宗派で誹謗して言っているのではありません。
善導自筆の『類聚伝』の文なのです。
釈尊出世の本懐たる法華経をあなずり誹謗することの原因結果により、あるいは彼らの教義そのものに、両親からいただいたこの身を厭い嫌い、はやくこの世界を去って彼の浄土に生まれ変わろうという祈りが、いつしかその人自身を自殺へと追いやることになるのは、道理の赴くところ当然ではありませんか。
どんなに表面を取り繕うと、極楽浄土に生まれ変わりたい、生まれ変わりたいという祈りは偽れません。
この祈りそのものが法華経という真実の教えに背き、自殺という地獄におちることをそそのかすのです。これ、邪教の邪教たるゆえんです。
私たちは、法華経という人間の尊厳を説ききった信心をお伝えし、これを知らずに泥沼に沈みこんでいこうとしている人を、一時も早く救ってあげたいと思います。
それが、最高の仏法を行ずる私達の使命だからです。
以上

 

転載複写等禁止 色心編集室

寂日房御書

寂日房御書

「経に云はく『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』と。此の文の心、よくよく案じさせ給へ。『斯人行世間』の五つの文字は、上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり。」

この『寂日房御書』は、弘安二年九月十六日、大聖人様が御年五十八歳の時、寂日房にお与えになったお手紙でございます。
寂日房については、詳しくは寂日房日家といい、上総の国、つまり現在の千葉県の、夷隅郡興津の領主である佐久間兵庫亮の子供で、文永年間、大聖人様が房総地方を巡化された時、一家をあげて大聖人様に帰依し、その時日家も大聖人の弟子になり、後に、安房の国、現在の千葉県南部の、大聖人御聖誕の地である小湊に誕生寺を創建したとされています。
この御書は冒頭に、「是まで御をとづれかたじけなく候」とあるように、寂日房がはるか彼の地よりよこされたお手紙に対する御返事です。
そしてこの次に、あの有名な御文が記されています。いわゆる、
「夫人身をうくる事はまれなり。已にまれなる人身をうけたり。又あひがたきは仏法、是又あへり。同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者なり。」
の御文章です。
私たちがこうして人間としてこの世に生を受けることは、極めて稀なことであることを先ずお示しです。私たちはありふれたことと思っていますが、本当は人として生まれることは、容易なことではないのです。ゆえに『崇峻天皇御書』(一一七三頁)にも、
「人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露」
と説かれているのです。つまり、得難い上に失いやすいのが我らの命であると仰っているのです。また、『戒法門』という、二十二歳の時におしたためになった御書にも、
「それ人は天地の精、五行の端なり。故に悟りあて直きを人と云ふ。心に因果の道理を弁へて人間には生まれける由を知るべし。一代聖教のおきてには、戒を持ちて人間には生まるるとおきてたり」(十二頁)と、どれほど素晴らしく、また勝れた果報であるかをお示しになっているのです。
先ほどの例えですけれど、桜島の火山灰を右手にどっさり取って、それを左手の爪の上に落として、果たしてどれくらいの量が残っているでしょうか。多分、ほとんど残っていないか、奇跡的に残っていても、ほんの一粒か二粒に過ぎません。生命は、地球上の色んな生き物に生まれ変わる可能性がある中に、人間として生まれるということは、このほんのわずかな確率に等しい、いやそれ以上であると仰っているのです。
その得難い人間の命を、すでに私たちはこうして受けることができました。しかし、ようやく人として生まれても、仏法に出会うことがこれまたむずかしいのです。ところが私たちは幸運にも、その遇いがたい仏法に遇うことができました。
そして、その遇い難い仏法の中にも、釈尊ご自身が一大事の因縁・出世の本懐と名指しされた法華経の、さらにその肝心であるところの、寿量文底の南無妙法蓮華経の題目に巡り会うことができ、結句・ついには題目の行者となることができました。これは経文によると、過去に十万億にも及ぶ仏を供養した果報でもって、御本尊様を受持信行できる境涯になることができたということです。なんと喜ばしいことではありませんか。
その中にあって、「この日蓮こそ日本第一の法華経の行者である」と言っても、決してうぬぼれでも出任せでもなんでもありません。
なぜそう言えるのか。それはすでに、法華経の『勧持品』に説かれている、末代悪世の真実の法華経の行者はかならず、俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢という三類の強敵によって、悪口を言われ罵られることは元より、杖でぶたれ刀で斬りかかられ、瓦や石を投げつけられ、毒を盛られ、讒言せられ、しばしば所を逐われるなどの、数多くの命に及ぶほどの大難に遭うであろうとの仏の未来記を、全部その身で受けられたからです。
経文を読むということについて、大聖人様はこれに三つあることを『土籠御書』(四八三頁)にお示しです。それが、
「法華経を余人のよみ候は、口ばかり言葉ばかりは読めども心は読まず。心は読めども身に読まず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」
の御文です。
人が法華経を読むのは、口先ばかり、言葉ばかりは声を張り上げて読むけれど、本当に心で読んでいる……、上辺ばかりでなく仏語は実にして虚しからず……空想の産物などのたわごとではないと心底信じている者はいません。そのなかに、わずかに心から信じているものがいたとしても、実際にそれを日々夜々に実践し、こうすればこうなるとの経文どおり、その迫害法難のすべてを身に受けたもの――、つまり身読したものは、これまでの仏法の歴史上いまだかつて只の一人もいません。心も大事、しかしそればかりでなく、実際の経文どおり身をもって実証体験できたものをこそ、尊いと言えるのです。
その比肩する者がいない日本第一の法華経の行者こそ、我らが日蓮大聖人様その人なのです。
ちなみに「俗衆増上慢」とは、法華経の行者を口汚くののしり、刀杖を加えたりなどの迫害をする、仏法に無知な在家の人々のことです。
「道門増上慢」とは、高慢ちきでしかも邪智だけには長けている邪宗の僧侶らのことです。
「僣聖増上慢」とは、よこしまな命を持たず、しかも物事の一切に通じているかのような聖者を装い、これが功を奏して世間に名は通ってはいるものの、内面では利欲に執着し、常に悪心を懐いて、法華経の行者が清貧のままに仏法の真実を、言葉も飾らず民衆に語るのを見るに堪えられず、これを怨嫉し、ついには権力と結託して流罪死罪に行おうとするもののことです。
これら「三類の強敵」が、題目を弘める者の前に必ず立ちはだかって迫害をなそうとも、我等はこれを忍んで妙法を弘通いたしますと、決意のほどを仏に示した八十万億那由他の菩薩は、口ではお述べになったけれど、実際にこの世にお出ましになって、このような修行をされた方は、誰一人としておられません。
経文に説かれていることの一つ一つ――文々句々が、どの一つも違えず、但ひとりの日蓮大聖人の一身の上に現実となるということは、前代未聞――つまりいまだかつて無かったことであり、これを不思議と言わなければ、何をほかに不思議と言えるでしょうか。
かかる不思議の日蓮大聖人をお生みになったご両親は、これまた日本国のすべての人々のなかに於いて、一番の果報の方であると、言うべきでありましょう。
その人の父母となり、あるいは親子となるのもただの偶然ではない、かならず宿習なのです。過去世からの因縁によるものなのです。
若し、日蓮大聖人様が法華経・釈迦如来のお使いであるならば、どうして両親にそれ相応の因縁由来、由緒が無いことがあるでしょうか。
法華経の『妙荘厳王本事品』に説かれる妙荘厳王という父、そのお后の淨徳夫人という母、そしてその王子の淨蔵・淨眼の四人が家族として生まれてこられたのさえ、過去に、共に法華経を行ずる同志であった因縁が語られているではありませんか。
それは……、父となり王となられた方は、昔、他の三人のため、縁の下の力持ちに徹した方だというのです。というのも、四人が四人とも信心修行のため家を空けていては、炊事も洗濯も家の片付けもする者がなく、家はゴミ屋敷のようになってしまいます。
それで、この人はみんなが思う存分信心に打ち込めるように、あるいは外から帰ってきて疲れているのに、それから食事の準備に取りかからなくても良いように、家の中の家事一切を引き受けてくださったのです。
この四人は次の世に生まれて来るときも、昔大の仲良しだった関係で、今度は家族として巡り会うことになりましたが、みんなが修行に打ち込めるよう影の力になってくださったあの方は、この功徳によって国王となり、みんなの父となって生まれ変わりました。しかし、過去の修行が充分でなかったためか、今世では信心を素直にすることができません。そこで、ほかの三人は、この方の昔の御恩に報いるために、信心のすばらしさを実証で示して、ついに父である王を信心に導き入れることができたのです。
これらのことを踏まえて考えれば、宝塔の中の釈迦・多宝の二仏が、日蓮大聖人様のご両親となられて、日蓮大聖人をこの世に生み出されたのかもしれません。というのも、『見宝塔品』の中で、お釈迦様と多宝如来が、多宝塔の中に並んでお座りあそばされて談合を重ねられ、互いに頷きあわれたのは、ひとえに地涌の菩薩の棟梁・上行菩薩を召し出して、この妙法蓮華経を末法濁悪の世に弘めんがためであったということは、経文を見れば明らかであるからです。
もしくは、あの仏より神通力をたまわって、末代悪世の様相をビデオでも見るように観察して、三類の強敵の出現を予見した八十万億那由他の菩薩が、自身は弘教することは出来なくても、その弘通される方をこの世に生み出すため、その両親となって出現されたのかもしれません。はたまた、唯一釈尊より末法における妙法蓮華経の弘教を託された、地涌の菩薩の上首唱導の師たる四人の菩薩――、つまり上行・無辺行・淨行・安立行菩薩の中の垂迹として、両親の身を現して日蓮大聖人様をお生みあそばされたのでしょうか。
いずれにしましても、まことに不思議としか言いようのないことであります。
さて、すべてのものにわたって、名前が大切であるのは当然であります。それゆえ天台大師も妙法蓮華経の五字を解釈する時、名体宗用教の五重玄をもってされましたが、その筆頭に他の四つを総括する意として、まず名玄義を挙げられました。そして、聖人が至極の深理に名を建立あそばされる所以として、「視聴の者をしてことごとく見聞することを得さしめんがためであること」を述べられています。
かくも、そのものにふさわしい名が付けられるということは大事なことであります。
日蓮大聖人様が、ご自身で「日蓮」と名乗られたことは、「自解仏乗」とも言うべきものだと、自ら仰せです。
「自解仏乗」とは何かといえば、「師の説法を聞くことなしに、真実の仏の境地を悟ること」をいいます。
しかし、日蓮大聖人がご自分でこのように仰せになれば、こざかしく、また思い上がりもはなはだしいように多くの人は受け取るかも知れませんが、道理の指し示すところ、誰もが首肯せざるを得ないことがあるように思えるのです。
というのも、法華経の『神力品』には、「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と書かれているのを、よくよく考えてみるとよいでしょう。
この中に「斯人行世間」の五つの文字は、何を意味しているのかというと、「上行菩薩が末法の始めの五百年に、五道の中には人として御誕生になり、南無妙法蓮華経の五字の大灯明を閻浮提のなかには日本国に始めて掲げられるということ。そして、すべての人々の無明煩悩という心の闇をくまなく照らして成仏の境涯へと導かれる」ということです。
この中に無明煩悩と有るのは根本の迷いで、私たちが妙法蓮華という尊極の仏の当体であることを知らず、またそうであると信ずることを拒絶する命が、我が身の尊厳を知ることを妨げてしまうために、常に己自身を卑しみ、軽んじ、様々に惑うことで自棄になり、おのずと十悪業などを犯し流転しいく姿となるのです。
これらを根底から救うために、先ず自ら折伏という名の本因妙(真実の仏の因)の修行を行い、ついには仏としての内証真実の姿を顕し、これを人々に本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇という三大秘法として授与され、題目を唱えせしめることは、上行菩薩お一人に与えられた資格・権能なのです。ゆえに、龍樹菩薩も天台大師も伝教大師も譲り状無きがゆえに、心にはご存知であられたけれど、決して口にお出しになることはありませんでした。他の一切の介在――他の者が手を出したり、口を差し挟んだりすることを許さないのです。それは法華経を見れば明白です。
まず『宝塔品』では、「誰か能く此の娑婆世界に於いて、広く妙法華経を説かん」と、仏滅後の此土(娑婆世界の)弘教をすすめられたのに対し、『勧持品』では、二万の菩薩が此土に、五百の羅漢・学無学の八千人の声聞が他土に、八十万億那由他の菩薩が十方世界にそれぞれ弘教を誓い願い出ました。さらに『涌出品』では他方の国土よりやってきた八恒河沙の菩薩達が此土における弘教を願い出たのに対し釈尊は「止みね善男子」と、この一言をもって制止され、下方の大地より地涌の菩薩を召しいだされ、その棟梁たる上行菩薩に妙法蓮華経の五字七字を授与されたのです。
それが、「斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅す」の言葉なのです。
これと日蓮とお名乗りのことが、自解仏乗という「真実の仏の境地を悟ること」とどういう関わりがあるのか、ということですが、上行菩薩は日月の徳をお持ちであることは、今まで幾度も見てきた通りです。
上行菩薩も人々の心の闇を照らすということで、日月が地上を照らすことに於いて、同じなのです。ですから、上行菩薩を日月と置き換えることができるのです。
ゆえに『産湯相承事』(御書一七○九頁)に、
「日蓮の日は則ち日の神、昼なり。蓮は即ち月の神、夜なり。月は水を縁とす、蓮は水より生ずる故なり」
と、述べられているのです。
つまり、文字通り「日蓮の日は日月の日である。日蓮の蓮は日月の月である」とあります。それで、蓮がどうして月の精(神)なのかということは、月は水を縁としてそこに宿り、その水より生ずる蓮華は月の精、変化の姿である、ということなのです。
月と水の関係は、もう幾度となくお話ししてきましたから、覚えておいででしょうけれど、後漢時代の王充という人の撰による『論衡』には、「月は水の精なり」と書かれています。
これらのことからも、日月はすなわち日蓮の二文字に置き換えることができるのです。
日蓮すなわち日月、日月すなわち日蓮なのです。
このことは、私の勝手な推測ではなく、日寛上人も『蓮祖義立八相事』という書に述べられているというのも、以前述べました。
念のためもう一度引用しておきますと、(研究教学書九巻六六二頁)
「本化(地涌上行)の徳を説いて云はく、『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如し』と云々。乃至これらの文意は、本化(地涌の菩薩の棟梁上行)菩薩、末法に出現して、応に日蓮と号すべしと云々。乃至この文に日蓮の義あり。謂く、日月即ち是れ日蓮なり。日は即ち文のごとし。月は水を縁となし、蓮は水より生ずるゆえなり」
と。以上の事から、大聖人さまが日蓮とお名乗りになったのは、「自解仏乗に等しい、すなわち自ら仏の境地を悟った事の声明である」と、仰っているのです。
それでも、大聖人は立宗宣言された直後に日蓮とお名乗りになったのであって、まだ修行も迫害法難にもお遭いになってなかったではないか、と疑問をお持ちの方へは、「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空の五大即妙法蓮華経なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(総勘文抄・一四一九頁)あるいは「聖人、理を観じて万物に名を付するの時、因果倶時・不思議の一法之あり。これを名づけて妙法蓮華経と名づく。この一法に十界三千の諸法を具足して欠減なし」(当体義抄・六九五頁)との妙解の上に、これを迷いの中にある人々のために言語にして教え、しかも、自身はこれを境妙御本尊と立てられて、本因妙という修行にうって出られたのです。
ゆえに次下に「聖人、此の法を師と為して修業したまふ」と述べられているのです。
これすなわち妙行です。これを従果向因の法門というのです。
ですから、傍目にはまだ修行も何もないように見える時だったのですが、上行の再誕としてその徳・日月を日蓮の名に置き換えられて、みずから名乗られたのです。
しかし、日蓮大聖人様の仏法を修学すること短く、膝下にあって学ぶ機会が少なかった寂日房日家へは、へりくだったお言葉を用いて自身を「日蓮等此の上行菩薩の御使ひとして」と述べられ、耳を疑い心を驚かせぬよう細心の注意を払って、徐々に境界を深めていけるよう御指導されているのです。
そして、日蓮大聖人様が、万民を相手に題目を受け持つよう勧めているのは、このような深い意味からのことであり、 この身延山に入ってからも、人には隠居のように受け止められているけれど、実は以前と変わらず広宣流布実現のため、弘教の手をいささかもゆるめることなく励んでいることをご表明なのです。
『神力品』には、冒頭に掲げた経文に引き続いて「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と誡められています。
すなわち、お釈迦様が亡くなられたあと二千年たったいわゆる末法の人々は、この上行菩薩の弘宣される南無妙法蓮華経の御本尊を受持信行すべきである。この人は成仏ということについて、大地を的として矢を射るようなもので、必ず成し遂げられるということは、決して疑いを差し挟む余地の無いことであると、お釈迦様が太鼓判を押されているのです。
そして、このような者(日蓮)の弟子・檀那となった人々はあれこれ迷わず、これは宿縁が深いのだと思って、日蓮と同じく法華経を広めて、仏様のお眼鏡にかなっていきなさい。
法華経の行者と言われてしまうことは、「乗りかかった船だ」という位の諦観した気持ちで受け入れていきなさい。もう、免れることが出来ない身なのです。いっそ、法華経に功名を立ててみせる!ぐらいの気持ちで挑んでいきなさい。腹をくくって、本気で取り組んでいくってことです。
過去の樊噲・張良・将門・純友などという豪傑・英雄と言われた人たちは、名を惜しみ・恥を思うゆえに、たとえ窮地に陥っても臆病風に吹かれることはありませんでした。彼らは、そうした人々の口に「臆病者」とのぼることさえ恥ずかしいと思って行動したのですが、今生の恥など物の数ではありません。ただ、後生の恥こそ大切であります。
一生の内の信心がおろそかで、獄卒の奪衣婆や懸衣翁が三途の川のほとりで、死者の衣装を無理やり剥ごうとするときを思い描いて、法華経の道場たる寺院や総本山に、喜びいさんで参詣していくようにと、懇切に指導され、いよいよ強い信心に立って、折伏弘教に頑張っていくよう激励されているのです。
私たちもこの御書を胸に、日如上人猊下様の御指南のままに、薩摩広布のために団結前進してまいりましょう。
以上

 

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