「広布前進の年」明けましておめでとうございます。
 皆さんは、創価学会が五座の勤行をやめて、方便品・自我偈・唱題の、一座だけの勤行にしたことはご存知だと思います。
 彼らは、自分たちのこのやり方が、大聖人様の御書にも書かれている、正当なものだと主張しています。
 しかも、わたしたち日蓮正宗のやり方を、「総本山が時間を持て余していた時に、暇にまかせて色々なお堂をめぐってお経を上げていた事の名残りであり、時代遅れもいいとこだ」と、得意がって卑しんでいます。
 物を知らないということは、本当に恐ろしいことです。なぜなら、無知ゆえに、慢心と相俟って、このように次々と謗法を犯してしまうことになるからです。
 日蓮正宗の修行のありよう、すなわち化儀は、すべて大聖人の御書にあるものの具体化であり、無駄なものは何一つありません。また、これでなければならないのです。
 私たちの五座の勤行は、実は「四恩報謝のため」におこなっているのです。
 四恩ということについて、大聖人様は『上野殿御消息』(九二一頁)に、「三世の諸仏の世に出でさせ給ひても、皆々四恩を報ぜよと説かる」と、大聖人のみならず、過去・現在・未来の仏様も、この世におでましになったならかならず、四恩を報じなさい、と説かれるというのです。
 また、『開目抄』(五三0頁)には、「聖賢の二類は孝の家より出でたり。何に況や、仏法を学せん人、知恩報恩なかべしや。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩いたすべし」と、大聖人の仏法を信ずる人々は、必ず四恩を知って、この四恩に報いていかなければならないと言われ、『聖愚問答抄』(三九九頁)には、「我、釈尊の遺法をまなび、仏法に肩を入れしより已来、知恩をもって最とし報恩をもて前とす。世に四恩あり。これを知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす」とあって、大聖人の御行動さえも、すべては四恩に対する、知恩報恩のためのものだったのです。
 また、四恩を知ってこれに報いようとする人をこそ真の人間といい、この四恩を知らず、またこれに報いようとしない人は、人間の格好はしていても畜生である…。
 つまり、四恩を報ずるか否かで、私たちが人間らしく生きられるかどうか、はたまた、折角人間に生まれながら畜生同然のでたらめな一生をおくるか、その別れ道となる、と仰せなのです。
 しかし、私たち凡夫は、四恩を知って四恩に報いなさいと言われても、自分たちだけではなかなか実行できません。大聖人様がここまで四恩の重要性を説き示されているのに、その実際は私たちの自主性に任せる…では、我ら凡夫はどのようにしたらよいか、ただ途方に暮れるばかりです。
 そこで仏様はこのことをおもんばかられて、私たちの誰もが実行できるよう、朝晩の勤行の中に四恩に報いる方法を組み入れてくださったのです。私たちはそのことは知らなくても、勤行を修すれば、自然に四恩報謝の一分を果たすことになり、おのずと真の人間らしい道を歩むことができるようになっているのです。
 それが「五座の勤行」なのです。
 こういう、大聖人の御法門を、誰もが実行できる様、たやすい具体的な形にして下さるのを「化儀」と言うのです。
 ただの形式ではありません。
 それでは、皆さんすでにご存知のことではありますが、まず四恩とは何かお話しします。
 『四恩抄』(二六七頁)には、「仏法を習ふ身には、かならず四恩を報ずべきに候か。四恩とは心地観経に云はく『一には一切衆生の恩』」と述べられています。
 私たちは衣食住の全てにわたって、互いに助け合って生きています。それに、仏法では、世の男性は前世に父親であり、女性は母親であった時が必ずあった、と説かれています。
 また、世の中の人たちがいなかったなら、菩薩の総願たる四弘誓願の中の、もっとも大事な衆生無辺誓願度の願を発こすことはできません。
 また、一切衆生の中に謗法の悪人がいて私たちに悪口雑言を浴びせなければ、どうして過去の罪障を消滅させたり、「なにくそっ、負けてたまるか。いまだこりず候っ。」と、いよいよ強盛な信心に立つことができたでしょうか。
 このように一切衆生には恩があります。この恩に報いるため、四座で広宣流布の御祈念をして、私たちの折伏が成就できて、私たち一人ひとりの点が線となり、線が面となり、ついには一天四海に妙法が広宣流布して、すべての人々よ、どうか仏になれよかし、と御祈念をしているのです。
 その後、個人の御祈念をするところがあるのは、「広宣流布のこころざし無くんば、利生これあるまじきよし」と、個々の御祈念は広宣流布につながっていなければ祈りは成就しない、という御書にもとづいて、広宣流布の御祈念のあとにおこなっているのです。
 四恩の二番目には「父母の恩」があげられています。
 私たちは、中有という、前世で亡くなって、次に生まれることがまだ定まらずに、霊界にぶらぶらとまるでクラゲのようにただよっている時には、かならず求生という、人間に生まれたくて生まれたくてたまらない、という命に包まれていると申します。
 その願いが叶って、今私たちは値いがたき人間として、「日蓮の本国なるゆえに日本という」…との、仏法有縁の国に生まれてくることができました。
 これ全く父母先祖のおかげです。ゆえに、五座で、父母先祖に題目の功徳を回向させていただくのです。
 三番目に大聖人は「国主・国の恩」をあげられています。
 国王、あるいは国の恩とはどういうものかといいますと、「天の三光に身をあたため、地の五穀にたましいを養うこと、皆これ国王の恩なり」(二六七頁)と仰せられています。
 「天の三光」とは三光天子ともいい、日天子・月天子・明星天子という、天空にかがやく星々の代表の三つの星のことです。
 太陽や月、それに金星などの光を浴びて大地はぬくもり、それよって植物は繁茂し、その植物によって人や鳥・獣・虫・魚などの動物が生存しているのです。
 ですから、私たちがこうやって五穀などの食べ物を食べて、そして、一日一日の命をたもち、その中に仏道修行をしてたましいをやしなうことができるのも、国王・国のお陰なのです。
 中国の伯夷・叔斉の故事を待つまでもなく、その国に住んでいる以上、たとえワラビ一本でも国王のものでないものはなく、皆々、国王の恩を受けているのです。
 大聖人は、「その上、このたび法華経を信じ、今度生死を離るべき国主に値ひ奉れり。いかでか少分のあだによっておろかに思ひ奉るべき」…経文どおり、わざわざ国主が法華経の行者たる日蓮に迫害をなしてくれたお陰で、法華経の一文一句、すべてを身の上に読むことができ、真実の成仏を遂げることができたのです。
ですから、少々のうらみつらみがあるからと言って、感謝しこそすれ、恨んだり、憎んだりなどと、思うはずもありません、と述べられているのです。
 この国主の恩に報いるために「初座」の勤行があります。
農業が国の最大・最重要の産業だった時代には、為政者がもっとも心を砕くべきものは、天体の動きと、春夏秋冬という四季が順当に推移する、つまり、夏が冷夏だったり、冬が暖冬だったり、また季節が居座ったりせずに、よく調和がとれ、そしてこれらが順序よくめぐって移行していき、ひいては、米・麦・ひえ・あわ・豆などの穀物がよく実ることでした。
このことは、何も昔ばかりでなく、今もなんら変わりはありません。たとえば、今年は気象庁の予報では暖冬ということらしく、実際、各地のスキー場では雪が降らなくて、スキー場のオープンにむけて、関係者をヤキモキさせています。
冬は寒く、夏は暑く、そして春は春らしく、秋は秋らしくないと物が売れなくて経済が停滞してしまうのです。
季節や天候はそれこそ自然現象だから、人間がどんなにあらがったり嘆いたり望んでもしょうがない、というのは現代人の考え方で、昔の人はそうとは考えていませんでした。なぜなら、人間もそもそも自然界の一員であるし、しかも「其れ人は天地の精、五行の端なり。ゆえに悟りあて直きを人と云ふ」(新編御書十二頁)と言われているように、いわば自然界が生み出した最高の作品ともいうべき人間が手を貸せば、これで大いに力を得て本来の姿で天体がめぐっていき、四季が順当に移り変わるはずだと、色々な祈りがおこなわれてきたのです。
それが世間の「祭り」と言われるものなのです。
吉野裕子という、今、日本の民族学にめざましい功績を残されつつある方は、「それらの行事は自然の規則正しい運行を人為的に促すための呪術」(『十二支』人文書院・四十三頁)だと、指摘されています。
大聖人も当時のそういう考えのもとに、『四条金吾釈迦仏供養事』(九九四頁)に、次のようにおおせになりました。
「今内典をもって考へて候に、金光明経に云はく『日天子および月天子、この経を聞くがゆえに精気充実す』等云々。最勝王経に云はく『この経王の力によって流暉四天下をめぐる』等云々。まさに知るべし。日月天の四天下をめぐり給ふは仏法の力なり。彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり。勝劣を論ずれば、乳と醍醐と、金と宝珠との如し。劣なる経を食しましまして尚四天下をめぐり給ふ。如何に況や法華経の醍醐の甘露をなめさせ給はんをや」
と。
 『金光明経』も『最勝王経』も、もともとは一つの経典で、義浄という人の手による三十一品からなる漢訳異本が『金光明最勝王経』で、古来より、『法華経』・『仁王経』と共に「護国の三部経」と言われてきました。
 その中に、太陽も月も、金光明経の経文を人が唱える、その声を聞いて、それが私たちですれば栄養になって、その力で世界をめぐると書かれていることからもおわかりのように、日天子・月天子が天空をめぐるのも、仏法の力なのです。
これを可笑しいと笑うのではなく、当時の人たちは実際にそういう風に考えていたのですから、これを踏まえて考える時、金光明経・最勝王経ともに、法華経の方便の教えであり、爾前の権りの教えです。
 劣ったお経を法味として食されても、なお四天下をめぐられる。いわんや、法華経という最高の醍醐味、甘露の法をお受けになられたなら、より一層力を得て、元気に、規則正しく、天空を駆けめぐっていかれるのは当然ではありませんか。
 それで『秋元御書』(三三四頁)には、「諸天は昼夜に、常に法のためのゆえに、しかも之を衛護す」の経文を挙げられ、「諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等」とあり、諸天はかならず法華経の行者をお護りくださる…、そのお力をもって、いよいよ国土を守護されるよう御観念文を唱えて法味をささげ、国主の恩に報いるに代えさせていただいているのです。
 ここまでは天体の運行に対する祈りでしたが、もう一つの、季節の順当な移り変わりに関する祈りはどうでしょう。
 中国の『礼記』「月令」には、天子…その国の帝王は、立春の時、青い衣を身に着け、青い玉を腰に佩び、文武百官を従えて東の門に春を迎え、同様に立夏になれば赤い衣で南の門に夏を迎え、立秋には白い衣で西の門に秋を迎え、立冬には黒の衣で北の門に冬を迎えたといいます。(吉野裕子著『十二支』人文書院・四十二頁)
 なぜなら、総本山に所蔵されている『五行事』(平成新編御書八○二頁)という御書を拝すると、東は五色の中には「青」で、季節では「春」を表し、南は「赤」で「夏」を、西は「白」で「秋」を…(それで北原白秋などと言うのです)、北は「黒」で「冬」を表すからです。
 総本山を四神相応の地というのも、東は青竜で青、南は朱雀で赤、西は白虎で白、北は玄武で黒、というように使われたり、お相撲のそれぞれの房の色も東は青房、南は赤房、西は白房、北は黒房と、この五行の考えに基づいているのです。
 このように、「自然の規則正しい運行を、人為的にうながすための呪術」が、まじめに、国家的な規模で執行されていたのです。
 これほど大がかりでなくても、たとえば節分の豆まき、正月の羽根突き、猿回しなどなど、広く庶民のなかで、祭り、民間行事という形で、春を迎えいれるための呪術がおこなわれてきました。柊を鰯の目につき刺すのも、冬を消滅させるためのまじないです。
 その願い、欲する所はきわめて強いことをもってしても、正法をもって諸天善神に法味をささげ、季節の順当な推移をうながそうとすることは、間違いなく国主の恩に報いることとなるのです。
 ちなみに、東を向いてお経や引き題目をあげるのは、決して皇居に向かって手をあわせているのではなく、東天に昇り出ずる三光天子に法味をささげるために、東を向くのです。
 なぜなら、『説卦伝』という中国古代の書にあるように、「東方の震卦は、造化の主催者たる帝の顕現を象徴するところなので、万物はまず震に顕現する」からなのです。(『五行循環』七十五頁・吉野裕子著・人文書院刊)
しかも、生まれたての三光天子は人間の赤ちゃんと同じで、ひ弱ですから魔も競いやすい。だから、天皇家では子供が誕生すると、隣の部屋で「鳴弦の儀」という、魔を退散せしめる儀式がおこなわれるのが恒例となっているのです。
私どもの初座も、あるいはお経日の、「天の内に、経を参らする日」というのも、新月という、生まれたばかりの月天子に題目を送るということから、今申し上げたような意義を含んでいるのです。
最後四番目は「三宝の恩」が挙げられていますが、これは、二座・三座が三宝に対する御報恩の箇所であることは「いわずもがな」、一目瞭然です。
 だから、本日過去帳所載の歴代上人の御報恩は、三座の御観念の最後に入れておこなうべきなのです。実際、総本山での丑寅勤行の際にも、猊下様は三座の時に過去帳を見て御観念をされています。
 このように、私たちの勤行に、自然と四恩報謝ができるように組み込まれているから、五座という形があるのです。
 これでおわかりのように、五座の勤行は大聖人の教えに基づくもの、いわゆる大聖人の思し召しなのです。
 このことを知らなくて、得意がって五座の勤行をけなしている人は、大聖人の御化導を卑しむことになるのですから、気をつけなければなりません。そうです。謗法になるからです。顕正会も創価学会のまねをしていますから、ともに謗法に謗法を重ねていることになるのです。彼らの末路や、誠に哀れ、です。
 最後に、勤行や唱題がなぜ喜びかお話しします。
 「喜び」という字は最初どのように出来たかといいますと、文化勲章をお受けになった白川静先生の辞書『常用字解』(平凡社刊)によりますと、喜びは太鼓の鼓と、口という二つの字が合わさって出来たものだと書いてありました。
 つまり、太鼓の鼓の右側の支えるという字を取って、残った字の下に口を加えるのです。この口というのが、昔は といって、私たちの舌の形のようなもので、「神仏にささげる祝詞を入れる器」という解説がしてありました。
 「祝詞を入れる」とは、口で唱えるということです。
 私たちにとって神仏とは御本尊様であり、その御本尊様に唱える祝詞とは南無妙法蓮華経です。ということは、太鼓をたたきながら、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えることが、喜びという文字のもともとの語源なのです。
 ですから大聖人様は『御義口伝』(一八○一頁)に、「貧なる人(日本国の一切衆生なり)、この珠を見てその心大いに歓喜す(色法心法)。この文は、始めてわが心本来の仏なりと知るをすなわち歓喜と名づく。いわゆる、南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり」と、お示しになったのです。
 この御文の中に珠とは御本尊様です。私たち、何の功徳善根の持ち合わせの無い貧しき人が、友の折伏を受けて寺院に参詣し、信の一字をもって御本尊を拝した時、初めて私たち一人ひとりが本来持っている宝珠を拝見させていただくのです。仏知見を開くことができるのです。
 その姿は、初めて我が心が本来の仏なり、と信解させていただくことであり、これを知ることを本当の歓喜と言うのです。体と心とともによろこぶのを歓喜というのです。
 いわゆる、私たちが三大秘法の御本尊に南無妙法蓮華経と唱へゆくことが、我が心本来の仏なりと開かせていただくことですから、唱題行や勤行を、「大歓喜の中の大歓喜」と申し上げるのです。
 私たちの誰もが知っている、あの「ただ今も、一念無明の迷心も磨かざる鏡なり」の御書も、このことをお示しです。「ただ今も…」という文は、「衆生の心けがるれば土もけがれ、衆生の心清ければ土も清しとて、土に二つの隔てなし」の言葉を受けたものです。
 私たちの心も大聖人のお心も、同じ、あの光の反射を利用して、自分の顔や姿を映して見る道具の鏡だと仰せくだされているのです。
 ただし、大聖人のお心は明らかな鏡ですから、そこには十界三千の諸法を映して妙法蓮華経の当体としての尊厳に光り輝いています。
 それに比べて私たちの心は折角の鏡なのに、煤や錆、手垢、ほこりなどで曇ってしまっています。でもちがいはそれだけ…。
 これを磨けば、大聖人と同じ明瞭な鏡(明鏡)にもどり、我が前の十界三千の諸法を、つまり御本尊の尊容を映して、かならず常楽我浄の四徳波羅蜜という仏の境界に立つことが出来るのであります。これが喜びでなくて、何でありましょう。
 さぁ、信心の磨き粉をふりかけて、唱題行の磨く作業をくりかえし、ともに妙法の当体としての、歓喜の人生を歩んでまいりましょう。                          

以上