《御本尊様は本体の月 他の仏や菩薩は池の月》
《御本尊様に仏様の全ての果報と、題目に一切の行の功徳が》
 私たちが朝晩の勤行の時に読んでいる寿量品には、今までお釈迦様が説かれてきた教えからすると、天と地がひっくり返るようなことが書かれています。
この内容こそ、お釈迦様がこの世に生まれて人々に説こうとされた、最も大事な教えです。
 それは、人々が持っている考えとは全くかけ離れたものであり、百八十度違うものですから、これをお聞きする人たちが、これまでの自分の考えにとらわれていたりすると、到底受け容れられるものではないので、仏様はいく度も念押しをされて、「如来の誠諦の語を信解すべし」と、誡められました。
 つまり、如来とはお釈迦様のことですから、お釈迦様の御本意の真実の言葉をよくよく信解・信心をもって受け止めていきなさい、と諭されたのです。
 しかも、これを聴いていた弥勒菩薩をはじめとする大衆が、「かならず信じ奉りますから、どうかご安心なさって、ただ願わくば、これを説きたまえ」という誓いと要請を、幾度もいくども繰り返す様を見届けた上で、さらに誡めの言葉を述べられ、ようやくその全容を話し始められるのです。
 このことを難しくは、「三請三誡重請重誡」といいます。
 これは、本当は順番から言うと、三誡三請重請重誡となります。
 なぜこのようになったかというと、お釈迦様が、見るからに立派で、しかもおびただしい数の地涌の菩薩たちを、「我は、久遠よりこれらの衆を教化してきた」とおっしゃったことは、幼い子供が親を指して、「我が子なり」と言うようなものだったこと。
 あるいは教化を受けたといわれる人たちが、「短期間ではおよそ達成できない立派な境界であること」や、「数がおびただしいと言うこと」は、つまりは、それを導いてきた仏様のお命が長遠(一世代ではとうてい為し得ない)であることを物語ることですから、当然皆疑問を持つにいたるわけです。
 これらに対し、弥勒菩薩が大衆を代表して、「我々は仏様のこのお言葉を信じ奉りますが、末代の人々が疑惑を抱かないよう、さらなるご説法を」と求めたのに対し、「汝等、まさに如来の誠諦の語を信解すべし」と三度にわたって誡め(三誡)られ、その後ようやく真実を明かされたのです。
 その内容をごくごく簡単に見てみますと、「あなたがたは私のことを、四十数年前に迦毘羅衛城という釈氏の宮(お釈迦様がお生まれになった、釈迦族の宮殿)を出でて、当時インドの大国であった摩訶陀国の首都・伽耶城を去ることさほど遠くない、今に仏陀伽耶と呼ばれる菩提樹の下で悟りを得て、初めて仏になったと思っているだろうけれど、本当はあなたがたのように優れた能力をお持ちの方でもとうてい計り知れない、いや想像することすらできない大昔、そう、五百塵点劫というはるかはるか昔に成仏を遂げていたのだよ」ということを打ち明けられるのです。
 この説法がどういう結果をもたらしたかと言えば、今までお釈迦様が説いてこられた、雑阿含経の「初め成道」の文や、大集経の「如来成道初め十六年」の文。あるいは淨名経の「初め仏樹に坐して力めて魔を降す」の経文。大日経の「我、むかし道場に坐して」や仁王般若経の「二十九年」などなどの、これまでのあらゆる経文の上の「我、始め道場に坐し、樹を観じて亦経行す」等の趣旨の説法を、全部虚妄・真実でないとみずから否定し、払い除かれたのです。
 それが「一切世間の天人および阿修羅は皆、今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からざる道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり」という大衆の思いをまず挙げられて、それに対してお答えになった「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」という経文なのです。
 この寿量品の内容を大聖人は『開目抄』の中で、「本門に至りて始成正覚(お釈迦様が菩提樹の下で、今世で初めて成仏を遂げられたという説法)をやぶれば、四教の果を破る。四教の果を破れば、四教の因破れぬ」(五三六頁)と仰せになったのです。
 「四教の果」とは、お釈迦様が蔵教・通教・別教・円教という四つの内容の教え(四教)を説くごとに、それぞれの仏身・仏のお姿をお示しになりましたが、これをことごとく虚妄なり、真実にあらずと打ち破られたのです。
 この寿量品の御説法にもとづいてこれまでの仏様を振り返って見ますと、奈良の東大寺の大仏という、蓮華蔵世界の蓮華台上に座すとされる華厳経の盧舎那仏も、阿含経のなかで、二乗と凡夫とを教化するために劣応身という、仏としては最も劣った身をお示しになった、いわゆる丈六(一丈六尺・約四・八五メートル)の背丈で八十の老いたる比丘の像の仏も、方等・般若の仏も、鎌倉の大仏として知られる阿弥陀経の中の阿弥陀仏も、真言宗の大日経の大日如来も、みんなこの寿量品の仏という天月が、しばらく地上の大小さまざまな水溜まりに影を浮かべただけのものだったのです。
 本物ではない、実体のないものだったのです。
この法華経以前の仏様が真実にあらず、と否定されるということは、蔵教・通教・別教・円教それぞれの仏になるために過去におこなってきたと言う修行も、おなじく真実ではないと、否定されることになるわけです。
それが「四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ」という大聖人のお言葉なのです。
 ちなみに、阿含経という、先ほどの四教の中では蔵教で表されている仏様が、過去にどのような修行をされてきたと説かれているのか見てみましょう。
 これはあの有名な天台大師の法華玄義の中に、
 「昔、陶師になりて、先の釈迦仏に会い、三事供養す。草を敷くと、燃燈と、石蜜の漿となり。願を発し記を得、父母・名字・弟子・侍人・皆先仏の如くならんと。すなわちこれ初阿僧祇の発心なり」
と述べられています。
 これを見ますと、お釈迦様の過去をさかのぼっていくと、陶器を作ったり、瓦やレンガなどを焼く職人であったようで、ここに先の釈迦牟尼仏がお弟子をつれてご訪問になられたので、このようなことは滅多に無い、功徳を積むことができる千載一遇のチャンスとばかりに、彼のできる精一杯の御供養をささげられるのです。
 それが、やわらかな干し草の敷物と、貴重な明かりと、石蜜の漿という甘い飲み物だったのです。
自分のようなものが、たまたまとはいえ、このように仏様に御供養をさせていただき、無上の功徳善根を積ませていただいた。この感激は生涯忘れまい。
 そうして、願を発したのです。それは…、自分も仏法を修行して、「未来に、○○という国で、○○という仏になるであろう」との、仏からの成仏の確証たる記別をいただこう。そして、その時には、両親の名前も、自分の仏としての名も「釈迦牟尼仏」と、あるいは弟子たちの名も「舎利弗・目連等々」と、今、目の前におわします仏様やそのお弟子方と同じ名前を名乗ろうと、そのように決心されたのです。
(これを真似したのがオーム真理教の麻原彰晃なのです)
 それからは、すさまじい修行が始まりました。
大聖人様は『観心本尊抄』(六四九頁)に、
 「過去の(釈尊の)因行を尋ね求むれば、あるいは能施太子、あるいは儒童菩薩、あるいは尸毘王、あるいは薩埵王子、あるいは三祇百劫、あるいは動踰塵劫、あるいは無量阿僧祇劫、あるいは初発心時、あるいは三千塵点劫等の間、七万五千・六千・七千などの仏を供養し、功を積み行満じて、今の教主釈尊になりたまふ」
と釈尊の過去の修行についてお述べになられていますが、この中に「三祇百劫」と書かれているのが、この阿含経の中で明かされている「三阿僧祇百大劫」の修行のことなのです。
 その最初発心時のお姿が、今もうしあげた三事供養のことがらなのです。
 阿僧祇というのは、無数とか無尽数と訳し、極めて大きな、数えることができない数をいい、現代でいえば、およそ十の五十一乗、つまり10の後に0が五十一個付く数だということです。
そして「三阿僧祇」というのが、まず六波羅蜜を行じて、化他という、ほかの人々を救うために御修行された期間なのです。それをまず見てみましょう。
 初阿僧祇 先の釈迦仏から尸棄仏にいたる七万五千の仏に仕え供養をされます。この間、女性や地獄・餓鬼・畜生・修羅などの四悪趣に身を受けることは無くなりましたが、まだ、自らの成仏の時がいつなのかはご存知ありません。
 二阿僧祇 尸棄仏から燃燈仏にいたる七万六千の仏に仕え供養をいたします。この燃燈仏から、九十一劫の後に成仏するであろうとの記別をこうむります。
 三阿僧祇 燃燈仏から毘婆尸仏にいたる七万七千の仏に仕え、ようやく自らの未来の成仏を確信するにいたり、他にも向かって説けるまでになります。
 この間中、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の修行を、人々のために行じていかれたのです。
 そうして今度は、ようやく自分のための、自分が未来に仏となった時わが身をかざるための、三十二相八十種好という相好の因を植えるために、自行の六波羅蜜の修行が始まるのです。
 これを百大劫、略して百劫というのです。
大劫というのは、成住壊空の四劫を合わせて大劫といいます。これは、例えば全盛を誇っていた恐竜が、巨大隕石の衝突で地球上から一掃されたような、生命の存続に危機的な破壊が幾度となく起きていたことが証明されていますが、そういう環境の成立期と今日のような安定期、そしてこれが破壊期を迎えて、やがて生命がほとんど見いだせない時期を経て、また成立期へと移行していくのだそうです。
これを百回くり返したのが百大劫という期間なのです。
 そして、この百劫という長いながい修行を全部やり遂げられて、いわゆる満行の時の修行として、皆様がよくご存知のあの行がおこなわれるのです。
 つまり、尸毘王として生まれ、鳩の命になりかわって、自分の身体の肉を鷹に施したのが、「布施波羅蜜の満行の時の修行」です。
 普明王としてうまれ、戒律の代表としての不妄語戒を守るために、わが命を捨てて行動されたのが「持戒波羅蜜の満行の時の修行」です。
 忍辱仙人として生まれ、自分の忍辱波羅蜜の修行がちょっとした思い付きやその場限りでない、そしてうそいつわりで無い証拠として、刀で身体を切り刻まれてもよく忍んでいかれたのは、「忍辱波羅蜜の満行の時の修行」です。
 大施太子として生まれ、竜神王から如意宝珠を取り戻すため、はまぐりの貝殻で海の水をほとんど汲み上げられたのは「精進波羅蜜の満行の時の修行」です。
 尚闍梨として生まれ、禅定のさなか、つがいの鳥が髪の毛の中に巣作りをし、卵を生み、その卵からひながかえり、そのひながやがて成長して巣立っていくまでその新しい生命を守るために座ることを止めなかったのは「禅定波羅蜜の満行の時の修行」です。
 劬嬪大臣として生まれ、よく国を治めるために、閻浮提を七つの州に分けて統治していったのは、「智慧波羅蜜の満行の時の修行」です。
 こうして、ついに自行の方の六波羅蜜の修行も完全に終了し、仏としての相好の因を具え、迦葉仏の所で一生補処の記を受けます。
 一生補処とは、次の誕生の時には仏になる、そういった時期のことをいいます。
 そうして、人々が自分の教えを受け入れられる状態へと機が熟するまで兜率の内院にあって誕生の時をお待ちになり、そうして機が熟したのを見て御誕生になったのが、あのルンビーニ園でのご出産だったのです。
 この後は、あの十九才で迦毘羅衛城をひそかに抜け出て、三十にしてついに菩提樹のもとで阿耨多羅三藐三菩提・無上正覚を得たことになっていたのです。
 ところがこれは寿量品によりますと、まさに菩提樹の下での成仏は方便であり、真実ではないことが明かされたのですから、それにいたるまでの修行も真実の成仏にいたる道ではないことが明らかにされたことになるのです。
 これが、「四教の果やぶれば、四教の因やぶれぬ」という御文の意味なのです。
 そして、これまでのお経の中で説いてきた十界の中での仏様という仏界。またそれに至るための十界の中の九界という修行の姿を、共々に打ち破って、本門の十界の因果、すなわち、真実の仏様の御境界・仏界の果、またそれに至る、真実の成仏のための仏道修行・九界の因という、十界の因果を説き顕されたのです。これが「本因本果の法門」なのです。
 これは何も難しくありません。この極理をひもとく鍵を私たちは所持しているのです。それが以信代慧の信心なのです。
 この久遠元初の時、名字即の釈尊・日蓮大聖人が、「聖人、理を観じて万物に名を付するの時、因果倶時・不思議の一法あり、これを名づけて妙法蓮華経と称される」のです。この妙法蓮華に宇宙法界の十界十如三千の諸法の一切が集まり来て具わっている。これを妙境として修行あそばされたところ、凡夫即極、不改本位・即座開悟の成仏をとげられ、妙覚の極位に達せられるのです。このご境界を久遠元初の自受用報身如来ともうしあげ、その日蓮大聖人という、両親から賜った身体に、法身・報身・応身という仏身がまどかに具わっているのを無作三身と申し上げるのです。
 「これが釈尊の真実の仏因仏果である」と打ち明けられているのが、寿量品の文底・久遠元初ということになるのです。
 あとの、色々なお経に書かれている仏道修行にしても仏様にしても、全部この久遠の御本仏の修行と御境界とが、分々に示されただけであって、その功徳と果報、またお力、用きも、全部この三大秘法の御本尊様に具わっているのです。
 この三大秘法というのは、あの御本仏の御修行を、私たち凡夫が直ちに修行できるように仕立て直してくださったものなのです。
ですから、私どもが今この三大秘法総在の御本尊を信じ奉って、南無妙法蓮華経と唱えていけば、御本仏の本因妙の修行をそのまま行じたこととなり、この私たちの肉身が直ちに妙法蓮華の当体と開かれ、「個々の姿は無作三身」という仏果を成就することができるのであります。
 誰しもが、ただ御本尊を信じて題目を唱える事により、たやすく仏になることができるのです。それも、この短い一生の内にです。
 さぁ、みんな喜びいさんで、これからもこの信心に頑張ってまいりましょう。
『御本尊七箇之相承』
 「真実の十界互具は如何。師の曰く、唱えられ給うところの七字は仏界なり唱え奉る我等衆生は九界なり。これ即ち四教の因果を打ち破って真の十界の因果を説き顕わすと云々。この時の我等は無作三身にして、寂光土に住する実仏なり。出世の応仏は垂迹施権の権仏なり。秘す可し、秘すべし。」