2021年12月 御法主日如上人猊下 『広布唱題会の砌』

▼大聖人様は『聖愚問答抄』に、「抑仏法を弘通し群生を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以は時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。」(御書 四〇二㌻)と仰せられています。▼私どもはこの御金言を拝し、僧俗一致・異体同心し、断固たる決意と勇猛果敢なる実践によって、なんとしても仏祖三宝尊の御宝前にお誓い申し上げた折伏誓願を達成し、もって広大なる仏恩に報いていかなければなりません。▼そのためには、各々一人ひとりが今一度、身軽法重・死身弘法の御聖訓を拝し、一意専心、誓願達成へ向けて決然として折伏に打って出ることが肝要であります。座して広布を語るのではなく、勇躍として立ち上がり、妙法広布に資していくことが、今こそ肝要であります。▼されば、大聖人様は『一念三千法門』に、「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ちても飲まん事を知らずして死するが如し(同一一〇㌻)と仰せであります。▼どうぞ皆様方には、この御金言を拝し、信心強盛に講中一結して誓願達成へ向けて、いよいよ精進されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

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