今私達の踏みしめている大地こそ、 霊山浄土、これ仏の悟りなり

鹿児島は、念仏の王国であることは、皆さまご存じの通りです。
こんなに多くの浄土真宗の人たちがいても、皆、ただ先祖がその信仰をしていたからという理由だけで、その信仰について誰かから何らかの指摘を受けたとしても、改めて自分の宗教について考えてみようなどという人は、だれ一人としていません。
でも、もしそれが、自分に、あるいは家族に、またその人生の往く末に暗い影を落としているとしたら、そんなに悠長でいられるでしょうか。
信とは無疑曰信といって、疑い無きを信と言います。
でも、坊さんのいうことを只鵜呑みにして、何も考えないことではありません。
疑いが無いというのは、疑問があったことについて、そのわだかまりが消えた状態をいいます。
つまり、疑問が少しでも生まれれば、「では、仏の言葉である経文ではどうなっているのか」、あるいは「道理に照らして見て、本当にこれでいいのか」、あるいは「現実にはどうなのか」と検証して、それで疑問が解消した状態こそ、本物の信と言うのである、と仏は仰せなのです。
浄土真宗の人たちは、自分たちのことを【仏教】だといいます。それならば、仏様のお言葉はどうなっているか、今からでも耳を傾けるべきです。これから申し上げることは、決して悪口ではありません。仏様のお言葉を述べて、よりよい人生を歩んでいただきたい、ただその思いから書かせていただいたものです。
まず、皆さんに質問ですが、お釈迦様がご存命中に、誰よりも早く念仏の教えをお聞きしてこれを信じていった、いわゆる「仏在世の、念仏の祖師」とは誰でしょう。
そう、それは舎利弗尊者ですね。
この方はご存じのように、――お釈迦様のお弟子はどなたも人並み外れた方々でしたが、そのエリート集団の中でも飛び抜けて優秀な十大弟子の中でも――智慧第一でならした人です。
阿弥陀経は、この長老・舎利弗尊者を対告衆として説かれました。
対告衆とは、仏さまが説法される時の聴衆、お聞きしている人の中の中心者のことです。
もちろん、阿弥陀経は多くの人がお聞きしていましたが、お釈迦様は、「舎利弗よ、舎利弗よ」と、舎利弗を中心に説かれたのです。
ところがです、こんなに懇切に自分に向かって説かれた阿弥陀経を、舎利弗尊者はあっさりとお捨てになるのです。
なぜ、そんな大それたことをなさったのでしょう?
それは、後にお釈迦様が法華経をお説きになる直前、仏様みずから、「この阿弥陀経などの浄土三部経には真実を説いていない。方便虚妄なり。ゆえに、これを捨てよ」と、宣言されたからです。
経文では、「これまでの四十余年には、未だ真実を顕さず。」ゆえに、「正直に方便を捨てよ。」「法華経以外の教えの、わずか一偈一句たりとも信受してはいけない」と、厳しく言い置かれています。
そして、そのお釈迦様の御本意とされる法華経の説法を聞いて、舎利弗尊者は華光如来という仏になることができたのです。
しかも、「非己智分」、己の智慧の分際にはあらずと言って、智慧第一の舎利弗ながら、その己の智慧をすべてかなぐり捨てて、信の一字でもってその仏様のお悟りの中に入ることができたのです。これを「以信得入」といいます。
つぎに、阿弥陀仏といえば「四十八願」ですが、これは阿弥陀仏がかつて法蔵比丘と言っていた時、自分の国を仏国土として荘厳しようと願い、世自在王仏のもとで二百十億の仏の世界の様子を聞いてこれを参考にし、五劫の間思索をめぐらした結果、四十八種類の例を選んで、これでもって自国を荘厳すると誓願を立てたものなのです。
この中の十八番があの「念仏往生」で、阿弥陀仏を心に念ずる者は等しく浄土に往生することができる、としています。
ここには但し書きがあって、「ただし、誹謗正法と五逆の者を除く」とあります。  つまり、お念仏をしても、法華経や法華経を信じている人を誹謗――悪口を言ったり、父や母、それに阿羅漢という高僧を殺したり、仏様に対して暴力をふるったり、正法の教団の和を乱したりなどの行為をしたものは、往生はできないとされているのです。  十九番目が「来迎引接」で、もろもろの功徳を修めた人は、臨終の時、阿弥陀及び観音・勢至などが迎え、極楽浄土に引接する、としています。
また、三十五番目には「女人往生」とあって、女人が阿弥陀の名を聞いて歓喜信楽し菩提心を起こせば、浄土に往生して男子となることが出来るとしています。
これら四十八願は、念仏をする人たちの絶対の拠り所でしょう。
この四十八願は、阿弥陀の若かりし頃の法蔵比丘が立てた誓願ということになってはいますが、これは実は、お釈迦様が大乗仏教の精神を教えるために、実際には出現されたことのない架空の阿弥陀仏を使って、慈悲ということを弟子に教えようとされたものなのです。
それはさておいて、この四十八願は、お釈迦様の十大弟子の内、多聞第一で知られる阿難尊者に釈尊より付嘱されました。 付嘱とは、付与嘱託の義で、付とはものを与えること、嘱は事を託すことですから、仏が弟子に教法の弘通を託すことを言います。  ところがです。この多聞第一という、釈尊の説法を真剣に聴聞し、そのことごとくを記憶して経文として残してくださった阿難尊者は、この四十八願をバッサリ、惜しげもなくお捨てになるのです。 なぜそのようなことを――。
これもやはり、先の舎利弗尊者やほかのお弟子と同じように、あの念仏の教えには、釈尊の本意は打ち明けられてはいない。みんなの心を一つに融合させ、法華経にたどりつかせるための方便の教えである。建物を組み立てるために、回りに足場を築くようなものである。
家の本体ができれば、回りの足場はすべて取り払われるように、その方便の教えは捨て去らなければならない。
この仏の御宣言をうけたまわって、正直にこの方便の教えを捨てて法華経を信じていかれたからです。
するとどうなったでしょう。なんと、法華経によってこの阿難尊者は「山海慧自在通王仏」という仏になることが出来たのでした。
阿弥陀経の説法をたまわった長老・舎利弗尊者は、千二百もの羅漢の中に、智慧第一の上首の大声聞、閻浮提第一の大智者、つまり全世界で一番の大智者と言われた方です。肩を並べられる人は誰一人としていませんでした。
あるいは、阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代五十年の説法を諳んじておられた、広学の智人と言われた方です。
このような、当時最高の位にあった僧侶すら、阿弥陀経などの浄土三部経では、往生成仏の望みを遂げることができなかったのです。
仏様が世にましました時の「念仏の祖師」ですら、このようになされたのですから、後世の、祖師の跡を踏んでまいりたいという思いの方は、阿弥陀経などを捨てて法華経を取り、人の一生の内に必ず成仏を遂げることのできる、この信心をなさるべきです。  念仏の方々は、お釈迦様がお亡くなりになって以降、教団ごとにさまざまな偉いお坊さんや学者が名を残されているけれど、大唐楊州の善導和尚に勝る人はいないと、よく主張されます。唐土第一の高祖である、と。
大唐楊州とは、現在の中国・江蘇省の都市で、揚子江下流の北岸にあります。
この人は、初めこの地の明勝という立派な方を師匠として法華経を習っていましたが、道綽禅師という人に出会って浄土宗に移り、法華経を捨てて念仏者となったのです。
この善導和尚には、別の言い伝えがあって、色々仏教を勉強している時に、どの教えを選んでいいのか判らなくなって、それでお釈迦様の経典が全部収められている書庫――経蔵といいます――に入って、何をするかと思えばなんと目隠しをして、それでぐるぐる回ってぱっと手を伸ばして、一番先に自分の手に触れたのが観無量寿経だったので、それで念仏を広めるようになった、というのです。
これを日蓮大聖人は『浄蓮房御書』に、「(善導)案じて云わく、(中略)機に随いて皆利益あり。(中略)されば我(中略)教には依るべからずと思ひて一切経蔵に入り、両眼を閉ぢて経をとる、観無量寿経を得たり」(新編八七八頁)と述べられているのです。
それはいかにも破れかぶれで、無茶苦茶で、無闇矢鱈で、行き当たりばったりの様な気がいたします。民衆のために何を広めるべきなのか、どの教えが人を幸せにするのかと、経典を選択しようとする時に、こんな方法でいいのでしょうか?
たとえて言えば、生涯の伴侶を選ぼうとする時に、見ず知らずの女性をズラーと回りに立たせて、それで目隠しをしてグルグル体を回し、方向感覚がわからなくなった時に手を伸ばして、一番最初に手にふれた人を結婚相手に選ぶようなものです。相手にも失礼でしょう?
これには、善導和尚の慢心が見え隠れします。
つまり、自分の才能や表現力、あるいは説得力をもってすれば、たとえ今はどんな無名の経典であったとしても、自分が広めて有名にしてみせる……。教えの浅深・高低、あるいは仏の意思など関係ない……。結局、だれが広めるかどうか、さ。 そういう声が聞こえてきそうです。
そうでなかったら、人の幸不幸に深く関わっている教えを、崇高なこころざしを持った人なら、こんな幼児性丸出しの方法で選ばないでしょう。
ともかくもこのような経緯で、善導和尚は念仏を広め始めました。
この善導は次に何をしたかといえば、お釈迦様の一代五十年の聖教を、聖道・浄土という二門に分けました。
そして、法華経等の諸大乗経を聖道門と名づけ、自力の行と嫌い捨てさったのです。  法華経などは、高嶺の花のような高度な内容に、さらにおのが才能を頼んで、みずから行じて成仏を目指すというこざかしい教え。こんなんだから、聖道門を修行して成仏を願おうという人の、百人いる内にまれに一人か二人、千人の内にまれに三人五人というわずかな確率でしか成仏できる者がいない……。あるいは、千人修行しても、その中に一人も成仏できないってことも、当然起こりうるのだ。
それに比して、無量寿経二巻・観無量寿経一巻・阿弥陀経一巻の、いわゆる浄土三部経を浄土門と名づけるが、この浄土門を修行して、ただ阿弥陀如来の四十八願の内、十八番目の念仏往生の誓願にすべてをゆだねて、つまり、他力本願をたのんで往生を願う者は、十即十生、百即百生といって、十人いれば十人すべてが、百人いれば百人全員が決定して往生が叶う、と断言したのです。
さらには『観無量寿経』を出典として四巻の疏――解説書を作ります。それが、玄義分・序分義・定善義・散善義と呼ばれるものであり、そのほかに、法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経と合わせて九帖の疏と呼ばれています。
この善導和尚がひとたび念仏を唱えれば、その口より仏が出現する、と言って、称名念仏を一遍なすごとに三体、口より実際に仏が現れたというのです。
また、この善導和尚は、毎日の所作として、阿弥陀経を六十巻、お念仏を十万遍、欠かしたことが無かった、というのです。
あるいは、経典の中に説かれているあらゆる戒律をたもって、その内の一つも破ったことがない。僧の身につける三つの衣・三衣も、善導の体全体の皮膚と変じたかと見まがうがごとく、常に身につけて脱ぐことなく、托鉢に用いる鉢と、食事やご不浄のあとに手を洗うために水を入れる器の瓶(びょう・かめ)は、あたかも人の両眼のごとく身から離すことなく仏道に精進し、不浄な行為をやめ、身心を清浄な状態にしておく潔斎を怠ることがなかったのだそうです。
その上、女性を見ることなく、つまり男女間の色恋の煩悩を起こすことなく一生を過ごし、修行のため不眠、つまり眠らず修行を続けること三十年と豪語し、みずからを称えたというのです。
そういうことが、この人のエピソードとして語られているのです。
しかも、この善導の日常の振る舞いはどうであったかというと、酒や肉、それに五辛というネギ・ニラ・ニンニク・ラッキョウ・はじかみなどを口にすることは元より、手にすることすらなかった。ゆえに、末の弟子らもこのように行じなければならない、と遺戒しているのです。
もしこれに違背するものは、つまり一度酒を飲み、肉をくらい、五辛等を食して念仏を行ずる者は、三百万劫という、とてつもない長い間地獄に堕ちるであろうと、厳しく戒めているのです。
この善導が残した行儀法則は、本来の律にも無い大変厳しいものです。このことは、法然の起請文・誓いを書き記した文にも、この善導の遺戒が書かれているのです。
このような人物でしたから、中国全土にこの人の名はとどろき渡り、人々はこぞって善導和尚を善知識、つまり正直・有徳の人にして、人を仏道に引き入れてくださる大指導者だと仰ぎたてまつり、その結果、貴賤上下・身分の高い人賤しい人、上の位の人も下の方も、みな打ち揃って念仏者となっていったのです。
しかし、その善導和尚の言葉ではあるけれど、釈尊が一代にわたって説いてこられた聖教の中でも大王の地位に位置づけられ、過去・現在・未来と、三世のあらゆる仏様のこの世に御誕生になられる目的・本懐と仏みずからが宣言せられている法華経の文には、
「もし、法華経を聞くこと有らん者は、一人として成仏せざるは無し(若有聞法者、無一不成仏)」と説かれています。
それを善導は「法華経を修行するものは、千人に一人も成仏、得道の者はない」と断言している。誰が見ても、まったく正反対の言葉であるが、それではいずれの言葉を信じ、手にとるべきなのでしょうか?
釈尊が法華経を説くに当たっての、そのつゆ払いとして説かれた無量義経には、念仏のお経を「未顕真実(未だ真実を顕さず・真実ではない、虚妄方便なり)」と断じております。
しかも法華経には「正直捨方便、但説無上道」といって、正直に念仏の観経等の方便の経々を捨てて、無上道の法華経を持つべし、と説かれているのです。
これら一連のお釈迦様のお言葉と、善導の言うこととは、全く水と火のごとく相違しています。
私共はいずれの説に付くべきなのでしょう。善導の言葉を信じて法華経を捨てるべきなのか、仏説たる法華経を信じて善導の主張をしりぞけるべきなのか。さぁ、どうなんでしょうか。
「一切衆生、皆成仏道(すべての人々が、皆成仏が叶う)」の法華経、「一聞法華経決定成菩提(ひとたび法華経を聞けば、必ずや悟りを成ずるであろう)」という誠に尊い妙典が、善導の一言に破れて「千中無一」、千人いても、その中のわずか一人も成仏するものはいない、という虚妄・うそっぱちの教えとなり、「無得道教」・成仏できないお経とののしられ、平等大慧という等しく十界の衆生に成仏の大利益が及ぼされる、この巨益・大いなる利益が全くのでたらめに成り果て、多宝如来の皆これ真実、あるいは十方分身の諸仏の広長舌をもっての、法華経が最もすぐれた教えであることの証明も、善導の一言でことごとく砕け散ることとなりました。
しかしこれは、凡夫の言葉をもって仏の言葉を否定することですから、三世諸仏の大怨敵となり、十方如来の御本意の成仏の種子を失うことになりますから、仏法で最も重大な罪である大謗法の科がはなはだ重い、と言わなければなりません。
これほど大きい罪というものは無い。地獄の中でも最も恐ろしい無間地獄への転落の業因と言わざるをえません。
これらによって、たちまちに精神に異常をきたしてしまったんでしょう。
住んでいるお寺の前の柳の木に登って、みずから首をくくって、身をなげて自殺をしてしまったのです。
邪法を信じ、またこれを広めて民衆をたぶらかした罪により、たちまちに罰があらわれました。
その善導の最後臨終の言葉には「あぁ、なんと嫌なわが身なんだ。様々な苦しみに責められ、しばらくも身の休まるひまもない」と。
そう言い終わるやいなや柳の木によじ登り、西の方角に向かって願って言うのには、阿弥陀如来の絶大なるお力をもって我をお受け取りくださり、脇士の観音菩薩・勢至菩薩もどうか来ていただき、お力添えをいただいて、無事西方極楽浄土へ往生できるよう、お助けください……。」
そう唱え終わって、青柳の上より身を投げて自殺をはかったのです。
ところが、あっさり死んでしまえば、これはこれで楽だったでしょうに、三月十七日、首をくくって飛び降りたのに、首をしめるための縄が途中で切れてしまったのか、はたまた、柳の枝が折れてしまったのか、大干ばつのガチンガチンの堅土の上に堕ちて、腰の骨をうち折り、二十四日にいたるまでの七日七夜の間、悶絶躄地して――七転八倒して、うめき叫びながら死に絶えたのです。
これは、ほかの宗派で誹謗して言っているのではありません。
善導自筆の『類聚伝』の文なのです。
釈尊出世の本懐たる法華経をあなずり誹謗することの原因結果により、あるいは彼らの教義そのものに、両親からいただいたこの身を厭い嫌い、はやくこの世界を去って彼の浄土に生まれ変わろうという祈りが、いつしかその人自身を自殺へと追いやることになるのは、道理の赴くところ当然ではありませんか。
どんなに表面を取り繕うと、極楽浄土に生まれ変わりたい、生まれ変わりたいという祈りは偽れません。
この祈りそのものが法華経という真実の教えに背き、自殺という地獄におちることをそそのかすのです。これ、邪教の邪教たるゆえんです。
私たちは、法華経という人間の尊厳を説ききった信心をお伝えし、これを知らずに泥沼に沈みこんでいこうとしている人を、一時も早く救ってあげたいと思います。
それが、最高の仏法を行ずる私達の使命だからです。
以上

 

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