王舎城事 (九七五頁)
「御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつるよはく、太刀つるぎにてつかう人の臆病なるようにて候べし。あへて法華経の御とがにて候べからず」
この「王舎城事」は、建治二年四月十二日、御年五十五歳の時に、四条金吾殿に与えられたお手紙です。
四条金吾殿とは、日蓮大聖人様ご存命中の御信徒で、詳しくは四条中務三郎左衛門尉頼基と言います。
衛門府というのが、漢の時代に宮門の警衛をつかさどった武官である執金吾を略して金吾と呼ぶ(広辞苑)ところから、この唐名を使って四条中務三郎左衛門尉頼基を略して「四条金吾殿」と通称されていたのです。
このお手紙の冒頭を読むと、この四条金吾殿が大聖人様に、銭一貫五百文の御供養とともに、鎌倉の大火についてご報告したことがわかります。それを受けて、お話しが展開していきます。
先ず、詳しく鎌倉の火災についてお知らせいただいて、大変かたじけない。心から悦んでおります、と。
大火のことは、『仁王経』に説かれる七難の中には第三の火難、『法華経』の七難の中には第一の火難として説かれるところです。
このような恐ろしい火事ではありますが、虚空を剣などで切り裂くことが出来ないように、また、水を火が焼くことが出来ないように、本物の、いわゆる悟りを得られた仏や、大心衆生と言われる菩薩などの聖人、あるいは八風という八つの風、つまり毀誉褒貶という世の風評に一々右往左往するのではなく、物事の正理をわきまえ行動できる賢人、それに福徳の備わったいわゆる福人や、智慧に秀でた智者を、火といえども決して焼くことはできないのです。
ところが私たちは、生身の人間である以上、どんな偉い人でも炎に囲まれれば、やはり焼け死ぬのではないかと、疑ってかかります。
それで大聖人様は、このことが嘘偽りで無いことを証明する故事を述べられるのです。
それは……、昔インドに摩伽陀国という大国がありました。大聖人様の御書にもしばしば出てくる名前ですが、釈尊が法華経を説かれた場所である霊鷲山や、釈尊が生きておられた時、多く釈尊が教えを説かれた祇園精舎と共に二大精舎と称された寺院の一つである竹林精舎がその北方にあり、また阿闍世王の庇護の下、釈迦滅後に初めて経典の結集が行われた七葉窟など、仏教遺跡が数多く残る所です。その首都を王舎城と言います。
ここには九億万家の民が居たと言われます。一億の単位が今の十万だそうですが、それでも大変な数の家々が立ち並んでいた事になります。
この都市が、なぜだか七度も大火に襲われて喪失するということが繰り返されました。
そのために、人々は何かに取り憑かれたようなこの城下から逃れるために、ここから去ろうとする者たちが後を絶ちません。
人が我も我もと先を争うように、我が領土から離れ去ろうとするのを見ることほど、忍びないものはありません。大王は天を仰いで大いに嘆き苦しみました。
その時、一人の賢人が進み出て王に申し上げることには、
「仁王経や法華経に説く、七難の内の大火というのは、聖人がその所を捨て去り、王の福が尽きるところに起きるものでございます。
ところが、今七度までもうち続いた大火を検証いたしますに、民の家を焼くことはあっても、王のお住まいの内裏には、この火が近づいた試しはございません。
この事から結論づけられることは、この大火は決して王の失によって引き起こされたものではなく、万民が知らず知らずのうちに形作ってきた、彼らの心に共通する業によって引き起こされたものと言えましょう。
ですから、民の家を含めて諸共に王の家、すなわち王舎城と名付ければ、火之神もその名を畏れて、決して焼くことは無くなるでしょう」
と、進言したのです。
最初、王は「そういうことがあるのだろうか」と、はなはだ覚束ない辺もあったようでしたが、具申通りに「王舎城」と名付けたところ、本当に火災がピタリと止まったのです。
この例からもお分かりのように、「大果報の人をば大火といえども焼くことはできない」のです。
この度の火災では、この王舎城の例えとは逆に、鎌倉幕府の将軍の邸宅が焼けたのですから、これは日本国の果報の尽きる徴・前兆でなくて何でありましょうか。
それでは、どうしてこの様な事態を招いてしまったのか、その原因を探ってみれば、この国の、法華経という仏の出世の本懐の教えに背く念仏・真言・禅宗らの大謗法の僧侶たちが、おぞましき命で、日蓮大聖人様を降伏…、法力でもって、憎らしい、気にくわない、腹立たしい奴、足腰立たないように押さえつけてやろうと、悪しき心で祈りを為したために、いよいよ災いがやって来たのではないでしょうか。
これを「還著於本人」と言います。
空に向かってつばを吐けば、やがて落ちてきて、自分の顔にかかるようなものです。
その上、「名は体を表わす」と申しますが、両火房という謗法の聖人は、これまで鎌倉中の人々の師として万民より生き仏のように崇められてきましたが、一つの火は己の身に留まって、自分が住職をしている極楽寺を焼いて、地獄寺としてしまいました。
なぜなら、地獄というのは、「炎をもって家とする」(新池御書一四五六頁)からです。生き仏でも無ければ、有徳の聖人でも無いのは一目瞭然ではありませんか。
また、もう一つの火は、この極楽寺に起こった火事が広がって、鎌倉の御所まで焼いてしまいました。
この火災はその二カ所に留まらず、現世の国である鎌倉市中を巻き込んでしまいましたが、これは、極楽寺良観という師と共に、多くの弟子旦那らが未来に無間地獄に堕ちて、炎に焼き尽くされることの先表前触れであります。
仏法の正邪を弁える事の出来ない愚癡・愚かな法師らが、智慧有る人の言うことを用いなければ、とどのつまりがこのような末路をたどらなければならないのです。何とも不憫なことですが、彼らが改めない以上どうしようもありません。
またお手紙にもありました奥様の御祈りのことですが、法華経そのものを疑っていらっしゃるまでは行かないまでも、もしや、御信心が弱くなってしまわれたのではないでしょうか。――「御信心やよはくわたらせ給はんずらん」
経文通り、日蓮大聖人の仰せのままに信心をされているように表面見える人でも、実は本当の深いところでは、それほどでもないという人が居るということを、あなたも薄々お気づきになっている通りです。――「如法に信じたる様なる人々も、実にはさもなき事とも是にて見て候。それにも知ろしめされて候」
普通の人であってもそうなのですから、ましてや女性のお心……、例え風をつなぎ止めることができてもなお移ろいやすく、押さえつかむことが難しいものはこれに過ぎたるものは無い、というではありませんか。――「まして女人の御心、風をばつなぐともとりがたし」
御本尊様に題目を唱え御祈念をして、しかもその祈りが叶わないというのは、弓は十分に鍛えられて弾力があっても、弦の部分が弱くたるんで張りが無ければ、せっかく矢をつがえ、引いて飛ばそうにも、全く飛びません。
あるいはどんな名刀であっても、使い手が臆病で、その上使い方を知らなく訓練も受けていなければ最悪で、まったくのなまくら同然で役に立たないのと同じです。――「御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつるよはく、太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし」
この御本尊さまは、強靱な弾力を備えた弓です。後は強固な私たちの信心と唱題という弦をピーンと張って矢をつがえ、渾身の力を振り絞って引いて、的を見定めて指を離せば、必ず存分のはたらきをするのです。
またこの御本尊様は無明煩悩を切る利剣とも言われる様に、私たちの前に立ちはだかるあらゆる障魔を、バッサバッサと切り倒すことのできる、最高の太刀・剣なのです。
しっかりとした勇気と確信を持ち、日頃の朝夕の勤行怠りなく、日々講中の中で訓練を受けて、いよいよという時生かし切っていくことです。
それを顧みず、御本尊様に責任を求めるなど、とんだお門違いです。
それと、謗法の恐ろしさを十二分に認識しておくということです。謗法の害毒が、ありとあらゆる不幸をもたらしているという仏様の教えをしっかり受けきり、自分も心の底の底から捨て去り、人にもそのことを伝えて教えてあげることです。
このことが不十分だと、御本尊様への確信も弱々しく、ついつい間違った信仰を容認したりして、結果思わしくない方向へしか行かなくなります。
それではどの程度謗法の者を責めれば良いかと言うと、四条金吾殿が人から憎まれるほどにするのを、我がお手本としていきなさい、とこのように、こまごまとお話しをしてください。
女性は、自分の夫の浮気相手を憎み、二度と近づけまいと思うはずです。よもや、御本尊様を軽んじたり、卑しんだりして誹謗する人を、この浮気相手ほどに憎く寄せ付けたくないと思われたことはないでしょう。
それほどまで、謗法を憎み御本尊様を念じていってこそ、本物の信心ともなり、功徳の実証も顕われるようになるのです。
この日蓮大聖人さまの御指南を自分に賜わったものとして捉え、しっかりと確信をもって、幸福になるためのこの信心の大道を歩んで参りましょう。