「どうして女性の戒名には『妙』の字が付いているんですか?」
とても良い質問をして下さって、ありがとうございます。
それは、「女性」と「妙」の一字、それに「寿量品の釈尊」の三者には共通の意義があるので、女性の戒名に妙の一字を付けるのです。
その「共通の意義」ということについては、日蓮大聖人は『御講聞書』(御書一八五六頁)にご教示になっていますので、先ずそれを引用してみましょう。
「一 女人・妙・釈尊一体の事 仰せに云はく、女人は子を出生す。此の出生の子、又子を出生す。此くの如く展転して無数の子を出生せり。此の出生の子に善子もあり、悪子もあり、端嚴美麗の子もあり醜陋の子もあり、長のひきゝ子もあり大なる子もあり、男子もあり女子もありと云々。
所詮妙の一字より万法は出生せり。地獄もあり餓鬼もあり乃至仏界もあり、権教もあり実教もあり、善もあり悪もあり、諸法を出生せりと云々。
又釈迦一仏の御身より一切の仏菩薩等悉く出生せり。阿弥陀・薬師・大日等は悉く釈尊の一月より万水に浮かぶ所の万影なり。
然らば女人と妙と釈尊との三全く不同無きなり。妙楽大師云はく『妙即三千、三千即法』と。提婆品に云はく『一つの宝珠有り、価値三千大千世界なり』とは是なりと云々」
と。
この御書をかみ砕いて述べると、ある女性が子供を産んだとします。そして、今度はその子供が大きくなって又子を産み、更にその子が大きくなって又子を産みということが続いて、こうして数え切れないほどの子供が生まれました。
ちなみに、現在の人類はミトコンドリア・イブという一人のアフリカ女性に、細胞の中のミトコンドリアの遺伝子をさかのぼるとたどり着くことができる、と言われています。
ちなみにミトコンドリアとは、真核細胞内にあって、主に呼吸に関与する、棒状または粒状の細胞小器官で、ADP(グルコース・ブドウ糖)と酸素から二酸化炭素と水を作り、生命活動に必要なエネルギー(ATP)を取り出す役目を担っているものだそうです。
また、現存の人類最古の化石は、発見した調査隊の宿営舎で流れていた、ビートルズのヒット曲・「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド」から名づけられた「ルーシー」という女性であるとか、あるいは最近では「ラミダス猿人の化石人骨・アルディ」である、などと論じられています。
それはサテオイテ、物事を単純化して、人類の祖先をズッとさかのぼって、ある一人の女性にたどり着くことができたとします。
そのたった一人の女性から子が生まれ、その子が又子を産んでと繰り返されて、このようなおびただしい人数になったわけですが、その中に善人の子もあれば、悪人の子もいます。顔もスタイルも美しい子もいれば、そうでない子もいます。健常者と言われる者もいれば身体や精神に障害を持った子もいます。背の低い子もいれば大男もいます。男もいれば女もいます。
こんなに色んな人がいますが、改めて考えてみれば、元は一人の女性から生じたものですから、姿形や境遇に違いこそあれ、子に差別があるはずがありません。
それと同じように、法華経に説き明かされた仏の悟りによると、「すべてのものは妙の一字から生じたもの」とされるのです。
『妙』とは、私たちの心に名付けられたものです。ゆえに『一生成仏抄』(御書四十七頁)には、
「抑妙とは何と云ふ心ぞや。只我が一念の心不思議なる処を妙とは云ふなり」
と明かされているのです。
つまり、地獄も餓鬼も、畜生も修羅も、人も天も、声聞も縁覚も、菩薩も仏も皆そうなのです。さらには、人々の考えや願望をくみ取って、それに応じて説かれた方便の教えもあれば、仏が悟られた私たちの心の本当の姿を、包み隠さずそのままに説かれた実教もあります。善もあれば悪もある、私たちが見たり聞いたり触れたりして認識しているもの、そのすべてが妙の一字から生じたものなのです。
これを「所詮(※つきつめて申せば)、妙の一字より万法は出生せり」と仰せになっているのです。
さらには、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』を開くと、そこに説かれる久遠実成の釈尊から、すべての仏や菩薩は生まれたものであることが明らかです。
つまり、はるか五百塵点劫という久遠の時から今日に至るその中間に、常に娑婆世界で衆生を教化しつつ、さらに余所の百千万億那由多阿僧祇の国においても衆生を導き利益してきたが、その間、釈迦牟尼仏という名前だけではなく、燃燈仏などと名乗って世に御出現になられたことがあったのです。
ようするに、阿弥陀仏も薬師如来も大日如来も、久遠実成の釈尊という天の一月が、地上の万水の上にその影を浮かべられたものだったのです。これを方便垂迹の仏とも、権仏とも申します。
更にさらに、久遠実成の釈尊の垂迹示現は、この仏や菩薩は元より、妙音菩薩が三十四身普現色身、あるいは観世音菩薩の三十三身普門示現……、判りやすく言い直すと、この地上の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天など六道の衆生や、あらゆる年齢層、すべての職業の者、身分の高い人低い人、それに男にも女にも妙音菩薩や観世音菩薩が変化して人々を利益することが説かれますが、実はこれは、寿量品の仏が、十界の衆生の姿を変幻自在に現わして、不思議の化用を垂れて衆生を済度することを、身近な例を挙げてお示しになったものだったのです。
私たちの回りの色んな人たちも、久遠実成の釈尊の変化身なのです。だから、どんな人にも軽賤の想い――軽んじたり賤しんだりしてはならないと、受法の弟子を戒められているのです。
このことを又『総在一念抄』(御書一一五頁)には、
「問うて云はく、成仏の時の三身とは其の義如何。答ふ、我が身の三千円融せるは法身なり。此の理を知り極めたる智慧の身となるを報身と云ふなり。此の理を究竟して、八万四千の相好より虎狼野干の身に至るまで、是れを現じて衆生を利益するを応身と云ふなり。
此の三身を法華経に説いて云はく『如是相如是性如是体』と云々。相は応身、性は報身、体は法身なり。此の三身は無始より已来我等に具足して欠減なし」
と。
この中に説かれていることを『無作の三身』と言って、寿量品の肝心であり、仏法の極理とはこのことなのです。つまり、世の中にまだ教えが顕われていない時に、一人の、後に聖人と呼ばれる方がいて、大変なご苦労の末に、我が身は十界三千の諸法を具えた妙法蓮華経の、その正体であることを悟られました。
我が身は十界三千の諸法を一法も欠けること無く具えている、法の聚集した身ですから、これを法身如来と言います。
これを知り極められた智慧の身と成られたのは、報身如来です。
この理を究竟――源を知り尽くされて妙覚果満の仏となられてよりは、八万四千の相好より虎狼野干に至るまで之を現じて衆生を利益されたのは応身如来です。
八万四千の相好とは、『草木成仏口決』(御書五二二頁)に、
「『草にも木にも成る仏なり』と云々。此の意は、草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり。経に云はく『如来秘密神通之力』と云々。法界は釈迦如来の御身に非ずと云ふ事なし」
と記されているように、草や木でさえそうならば、空を飛ぶ鳥、大地を往来する人や獣、海を泳ぐ魚などの大小様々な生き物、土の中の微生物にいたるまで、これらのそれぞれ違った姿形が皆仏の相好で、寿量品の釈尊で無いものは無い。いずれもが寿量品の仏の多様な生命表現なのです。この一つ一つが、衆生を利益する役目を担っていないものは無いのです。
それは、人々に恐れられた「虎狼野干」に至るまでもです。虎狼はトラとオオカミです。野干とは何でしょう。
野干とは、明治四十三年、南方熊楠が、漢訳仏典の野干は梵語「スルガーラ」(英語「ジャッカル」・アラビア語「シャガール」)の音写である旨を、『東京人類学雑誌』に発表して、ようやく正体がはっきりしました。
インドでジャッカルは、屍林という遺体を火葬したり、遺棄したりした場所をうろつき回り、供物を盗んだり、遺体を喰う不吉な獣として知られていたそうです。(※ジャッカルについては、ウィキペディアを参照・引用しました)
これらのものすら、地球上の食物連鎖の中にあって、ある特定の生物が増えすぎないよう生態系のバランスをとったり、腐敗した動物の遺体を掃除する役目を負っていたりするのです。
最近では、ノーベル生理学医学賞を受賞された大村智氏の研究では、地中から発見された細菌をもとに、アフリカの多くの難病を救った薬のことが脚光を浴びましたが、こんな小さな土の中の微生物までもが、本来人間の役に立つ力を持っていることは、正に「草にも木にも成る寿量品の釈尊なり。(中略)法界は釈迦如来の御身に非ずと云ふ事なし」の御文を証明する出来事ではないでしょうか。
このように、女性と妙の字と、寿量品の釈尊とは全く意義において同じ、不同はありません。
ゆえに、女性の戒名に妙の一字を置き換えて入れることにより、法華経の深義を人々に知らしめようとされているのです。