『経王殿御返事』(御書六八五ページ)
「師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だす事はたゞをなじき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく『師子奮迅之力』とは是也」(題目三唱) この御書は、文永十年の八月十五日、大聖人様が御年五十二歳の時に、佐渡より、鎌倉にお住まいの四条金吾ご夫妻とその子・経王御前にお与えになられたお手紙でございます。
四条金吾とは、正式には四条中務三郎左衛門尉頼基といい、左衛門尉の官名から、その唐名・唐の時代の呼び方によって四条金吾と通称されていました。
四条金吾は、北条氏の支族江間家に仕えていた武士でした。
また、性格としては邪念の無い純粋なたましいの持ち主で、しかも熱血漢であられたようです。
信仰上では、大聖人のご指導をすなおにお聞きし、その教えを自分の実際の行動にすぐさま実践していかれた方であったということを、大聖人様のお手紙を拝見した者は、誰もがほうふつとして頭に思い描くことができるのであります。
その奥様を日眼女といい、その子供に月満御前と経王御前という二人の女の子がいたとされています。
ちなみに、経王とはあらゆる経典の中の王様という意味で、お釈迦様の場合は法華経を指し、日蓮大聖人様では南無妙法蓮華経の御本尊様のことを言います。
その経王御前は、御書の六三五ページの『経王御前御書』を見れば文永九年の誕生ですから、この文永十年にはまだ一歳前後のおさな子ということになります。
その子供が病気で、大聖人に御守り御本尊の御下付と、病気平癒の御祈念をお願いされていたのです。
それで、お手紙の冒頭に、「その後御おとづれきかまほしく候ひつるところに、わざと人ををくり給ひ候」と、その後の便りをお聞きしたいと思っていたところへ、わざわざ人を遣わしてくださいました。
また、今の日蓮にとりましては何よりも重宝なお金をもっての御供養、「山海を尋ぬるとも日蓮が身に当たりて大切に候」――山や海をかきわけてさがしてでも欲しい、窮乏を強いられている日蓮にとってはまことに有難いことです。心より感謝いたしますと、御供養に対する謝辞と、お便りをお待ちしていましたという書き出しになっているのです。
「それについて経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候」――そうその、幼い経王御前のことですが、二六時中、今で言う四六時中ということで、二十四時間、つまり一日中、いつもいつも、日天子・月天子という私たちの寿命をつかさどっておられる諸天善神に御祈念申し上げております。
このような御文を拝するたびに思うことですが、私たちが現世の利益を祈るのは、決して卑しいことではありません。これで、功徳の実証、実際の証拠が現れてこそ、御本尊への確信も出来、歓喜も湧き、人にも教えてあげたい、ということになるのではないでしょうか。教え通り、自分の祈りの結果が良い方に出てきたことで、それでうれしくて、人に話さないではいられない、ということなってまいります。
この時の言葉こそ本物で、人をもそうせずにはおられない状態に導くことになるのではないでしょうか。
「先日のまぼり、暫時もはなさずたもち給へ」――先日お届けもうしあげた御守り御本尊、いっときも身から離さないように……、肌身離さずお持ちなさい。
うっかりお持ちするのを忘れるというのは、心がこの御本尊からわずかでも離れている証拠です。まだどこかに全幅の信頼をお持ちでない心の現れです。
現在の心理学でも、うっかり物を忘れるというのも、それがわざとでないように見えても、どうせたいしたことではないとか、あまり身近に置きたくないという潜在意識のなせるわざだというのです。
だから、こまかい注意を与えて、つねに自分と御本尊とが一緒にあることを意識させようとされ、どんなことがあっても、この御本尊から離れるものか、離れたくないという心を身に付けさせようとされるのです。
「その御本尊は正法、像法二時には習える人だにもなし。ましてかき顕し奉る事絶えたり」――その御本尊さまは、お釈迦様がお亡くなりになって始めの千年の正法時代、次の千年の像法時代には、こういうものがあるんだよと、誰かから聞いて習った人もいなければ、ましてや、我と書き表した人もおりません。
これは正像未弘の御本尊なることを宣言あそばされているのです。
御本尊様の中にも、「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大曼荼羅也」としるされているでしょう?
お釈迦様が亡くなられた後の正法・像法時代には誰も弘められなかった、仏様が亡くなられて二千二百三十有余年、全世界中どこを探しても無かったのです。
こういうことを言っても、法華経の信心をする時には必須の血脈相伝にもとづいて仏法を学んだことのない人は、別段おどろきもなにもしません。「そういう長い仏法の歴史の中にも無かったんだろう。それを、何を今ごろ、何を今さら。結局、日蓮の単なる独創、思い込みってやつじゃないか」と、こういう風に言うのがおちなのです。
お釈迦様が亡くなられて後の正法千年像法千年の時代には、お釈迦様との結縁を持つものがまだ残っているのです。彼らはもと、三千塵点劫・五百塵点劫の昔に妙法蓮華経の下種を蒙り、お釈迦様より中間の化導を受けてきた人の生まれ変わりですから、すでに善ある人々なので、この人たちは色々な経典をきっかけにして過去の下種を思い出して成仏を遂げていけるのです。
このことを大聖人様は『曽谷入道殿許御書』に、
「彼らの衆は時をもって之を論ずればその経の得道に似たれども、実をもって之を勘ふるに三・五下種の輩なり。問うて曰く、その証拠いかん。乃至妙楽の云はく『脱は現にありといえども、つぶさに本種に騰ず』と」(御書七七八ページ)
と述べられているのです。
今の末法という時代は、そのような功徳善根を持ち合わせた者は一人も無く、すべて五逆罪と誹謗正法という謗法の罪を持つ者ばかりになるのです。
その時にはもうお釈迦様の経典では通用しなくなるのです。
ゆえに、『曽谷入道殿許御書』(御書七八二ページ)には、「大覚世尊、仏眼をもって末法を鑑知し、この逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置き給ふ」
と仰せられているのです。
この中に大覚世尊とあるのはお釈迦様のことです。お釈迦様がその仏様の目で未来を見通され、末法の人はすべて五逆罪と謗法との二つの最も重き罪を持つ人であるからと、これを対治する為に『一大秘法』をその人々のために留め置かれたのです。
その一大秘法こそ、南無妙法蓮華経の御本尊様なのです。
涅槃経には、「たとえば七子の父母平等ならざるにあらざれども、しかも病者において心すなわちひとえに重きがごとし」とあります。
これは、子供さんが七人もいるような子沢山の家庭だったとしても、両親は「だれそれは可愛いが、だれは可愛くない」などと、子供に愛情をそそぐのにわけへだてをすることはありません。皆、平等に可愛いのです。
ところが、その中に病気で苦しんでいるような子がいれば、ひとしお、その子に対する思いは強くなっていくのが人情なのです。
これを受けて大聖人様は『法華経薬王品』を引かれ、
「『この経は則ち閻浮提の人の病の良薬なり』云々。七子の中に上の六子はしばらくこれを置く。第七の病子は一闡提の人、五逆謗法の者、末代悪世の日本国の一切衆生なり」(曽谷入道殿許御書七八三ページ)
この中に「一闡提の人」とは、正しい信仰を求めようとせず、そもそも功徳善根などというものが信じられない。だから、悟りを求める心がなく、成仏という最高の喜びから最も遠い距離にある人のことをいうのです。
大聖人はこの曽谷殿という、非常に見識と信心のある方に差し上げられたこの御書の冒頭に「それおもんみれば、重病を療治するには良薬を構索し、逆・謗を救助するには要法にはしかず」(御書七七七ページ)と、申されていますが、まさに、もっとも治しがたい病気の、五逆罪と謗法の人々の充満する今の時代には、南無妙法蓮華経でしか救えないことは、火を見るより明らかなのです。
そして、それを広められるお方こそ、誰あろう、地涌上行の生まれ変わり日蓮大聖人様なのです。
ですから、このお方のご出現、ご誕生については、釈尊が亡くなられた直後の正法時代、その次の像法時代のすぐれた方たちが、色んな言葉をお残しになって、その輝かしい時代の到来を予見されているのです。その中の一つをご紹介しておきましょう。
「道暹云はく『付嘱とは、この経はただ下方涌出の菩薩に付す。何がゆえにしかる。法、これ久成の法なるがゆえに久成の人に付す』」(七八五ページ)
お釈迦様は最もお気がかりの末法の人たちのために、上行菩薩等の地涌の菩薩を召して、この三大秘法の南無妙法蓮華経を御付嘱になりました。そして、他の誰もがいろうべき、手をつけ、口を差しはさめないようにご配慮になられたのです。しかも、地涌上行とは、本法所持の人といって、この人の本地は久遠元初の御本仏であり、一応は、釈尊から上行へ御付嘱という形をお取りになりましても、この人と南無妙法蓮華経とは一体であり、いわゆる上行の生まれ変わりの日蓮大聖人あっての御本尊、御本尊あっての日蓮大聖人ということは、厳として定まっているのです。
だから、仏法の悠久の歴史の中で無かったものが、今唐突に現れたというのは、出所があやしい、日蓮大聖人の思い付きだなどと思ってはならない。「正像未弘」、「仏滅後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅也」の中の、『未弘』の二字、『未曾有』の三つの文字がきわめて重要な意味を持つことにお心をとどめていただきたい、ということを先ず申し上げておきます。
さて、いよいよ本日拝読の箇所ですが、「師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だすことはたゞをなじき事なり」――というのは、師子王とはライオンのことです。このライオンは前三後一――前足二本に後ろ足一本を前に、そして後ろ足一本をうしろにしてダッシュして獲物に飛びかかる方法で、ちいさなありの子どもを襲おうとするときも、どう猛な獲物に向かう時も、心構えも、力をこめることも、いささかも変わることはありません。
これは短距離競争などで、よく見られるスタートの方法ですね。スタートラインに両手を開いて親指と四本指でついて、足は後方のスターティングブロックに置くのですが、一本は後ろに、一本はズーッと前にして、グンと踏み込んで、その反動でスタートダッシュをするでしょう?
これが、前三後一です。
勝負はこの一瞬にかかっていると言ってもよいくらいです。
「日蓮守護たるところの御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく『師子奮迅之力』とは是なり」――日蓮が経王殿を守護すべき御守り御本尊をしたためるに当たっての心構えについてもやはり同じで、小さいからと手を抜いたりなどの、いい加減な気持ちで書いたものでないことはもちろん、全魂かたむけてしたためさせていただいたものです。
ゆえに、これを仏の化導として経文には「師子奮迅の力」――ライオンがあたかも全身全霊をかたむけて物事に当たろうとして発揮する力と書いてあるのです。
「日蓮守護たるところの御本尊」という箇所は、今のように「経王殿の守護のための御本尊」という意味と、「日蓮が胸中に守護申し上げている、つまり、大聖人のお命のなかに暮らしたもう御本尊」という二つの意味があります。
ゆえに、弘安四年九月十一日の『南条殿御返事』には、「かかるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり。舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚のみぎりなるべし」(御書一五六九ページ)と仰せになっているのです。
この中に「日蓮が胸中に秘して隠し持てり」とは、「日蓮大聖人が大事に守護されている」という言葉と同義です。
これを信心ある人の目に見えるように御本尊をおしたためあそばされるのを「御本尊御図顕」とも「書写」とも申し上げるのです。代々の御法主様が御本尊を御書写あそばされるのも同じ意義ですから、御本尊様の中の日蓮の御文字のすぐ横に御法主上人の名をしたためる意味を大聖人は、「代々の聖人、ことごとく日蓮と申すこころなり」と注釈をくわえられたのです。
また、先ほどの、小さな御本尊も、大きな御本尊も、大聖人が全魂をかたむけておしたためあそばすのに、いささかも変わりはない、という文言について、「もはや御本尊はどれも同じである。だから、戒壇の御本尊だからと特別に尊崇して、わざわざ総本山に参詣して御開扉を受ける必要などさらさらない」と言うにいたっては、この人は心が転倒しているのです。邪心があるから、天と地がひっくりかえって、文章の意味が反対に見えてしまうのです。
戒壇の大御本尊様、これこそ、大聖人の出世の御本懐。本尊の中の本尊という意味で、正中の正、妙中の妙と申し上げるのです。この御本尊と、猊下様がこの御本尊を書写してくだされて我々に御下付していただいた御本尊様が等しい、とおっしゃってくださるから、そうなのか、「嬉しい」と歓喜も出てくるんでしょう。
創価学会で言ってることは、大聖人の御心とはまったく逆です。
だから、『松野殿御返事』の「聖人の唱へ給ふ題目の功徳と、私たちの唱える題目の功徳も等しい」という聖文も、俺の唱える題目の功徳も、法主の唱える題目の功徳も等しいのか。法主のもたいしたことないな、とやるから慢心ばかりで、どんどんどんどん、大聖人のお心から遠ざかってしまうことになるのです。
大聖人のお唱えになる題目の功徳は絶大です。「その大聖人の題目と、本来私たちの唱える題目と、その功徳は等しいのですよ」と素直に拝せば、この上無い喜びに包まれることになる。だが、その大聖人の心から離れてしまうと、題目の功徳に違いが生ずるから、気をつけていきなさい、という意味ではありませんか。
創価学会の人らよ、正直為本――正直を根本として信心すれば、そんなにのたうちまわらなくても、この御書の正しい拝し方は自ずと分かってくるようになるのです。。
「また、この曼荼羅よくよく信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さわりをなすべきや」――この御本尊をよくよく信じて題目を一生懸命唱えていきなさい。南無妙法蓮華経はライオンの雄叫びのようなものです。一声ほえれば、百千の獣らが寄って集ってライオンに襲いかかろうとも、たった一声で全部蹴散らすことができるでしょう?
文永九年の『四条金吾殿御返事』には、「たとへば犬の牙の虎の骨に溶く、魚の骨の鵜の気に消ゆるが如し。乃至師子の筋を琴の絃にかけてこれを弾けば、余の一切の獣の筋の絃、皆切らざるにやぶる。仏の説法をば師子吼と申す。乃至法華経は師子吼の中の第一なり」(御書六二一ページ)と。
ライオンの体の中の筋を一つとって、それを琴の糸と取り替えて一回でもこれを弾くと、それだけでそのあたりの獣たちの筋が全部切れてしまうというのです。
いわんや、師子吼すれば、一切の獣は肝を冷やして、そこそこに退散してしまうでしょう。それと同じようにいかなる魔が病となってあなたを襲ってきても、みなこの御本尊と題目の力で蹴散らしてしまうことができるのです。何の障りとなることがありましょうか。
「鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり」――法華経の中には、あの悔い改めた鬼子母神とその子十羅刹女らも、法華経の題目、すなわち南無妙法蓮華経・御本尊をしっかり信じて唱題する人を守護することを誓っております。
彼らは、「法華の御名を受持せん者を擁護せんすら福計るべからず」と、題目の行者を守護することだけでも、その功徳で受ける福というものは計り知れないんだよ、と仏から称賛され、その任を一層果たしていくよう励まされているのです。
「さいはいは愛染のごとく、福は毘沙門のごとくなるべし」――愛染とはインドの言葉の梵語では羅誐(ラーガ)といい、その意味は「愛欲貪染」ということで、妙法五字の光明に照らされて、本来そのものが持つ尊い姿に立ち戻ってからは、人々の煩悩を浄化し、煩悩に染められてしまった生命境涯から解脱させるところからこの名前がつきました。
人は煩悩の渦にのみこまれている時は、はためには、どんなに手に入れたいと思うものを次々と手にしているように見えても、本人は満ち足りた気持ちを味わうことは全くありません。その煩悩が浄化された時、人は初めて幸福感を得ることができるのです。ゆえに「さいわいは愛染のごとく」と申されました。
また毘沙門とは四大天王の内の一人で、多聞天ともいいます。世界の中心にそびえるという須弥山の北側の中腹に住み、常に仏の説法を聞き、仏法の道場を守護するはたらきを持つといわれています。
法華経陀羅尼品では題目の行者を守護することを誓っており、法華経の諸天善神の一人として御本尊の左側の一番上に描かれています。
この神は「福」を得たり、戦さに勝利することを祈願する神であるところから、「福は毘沙門のごとく」と申されているのです。
「いかなる処にて遊びたはぶるともつゝがあるべからず。遊行しておそれ無きこと師子王の如くなるべし。十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかゝるべきなり」――皐諦女という方は、十羅刹女の中のお一人で、天上界と人間界との間を自由に行き来することができたので、何処と呼びます。つまりどんな処でも変幻自在に現れては題目の行者を守り抜くのです。
ですから、いかなる処であそびたわむれていようとも、身に危険が及ぶようなことはありません。ふざけたり、わざと危険をおかしたりしないかぎり、色んな形で守られていくのです。あたかもライオンが悠然として何物にも恐れないように振舞っていきなさい。
「ただし御信心によるべし。つるぎなんども、すゝまざる人のためには用ふる事なし」――ただし、御本尊のお力も、諸天善神の守護も、すべてはご自身の信心にかかっているのです。どんな名だたる刀でも、その人が気がすすまなかったり、これまで練習もしたことがなく、まるで赤ん坊のように使い方がわからなかったり、あるいは勇気がなかったなら、かえって危なっかしくて、何の役にも立ちません。
「法華経のつるぎは信心のけなげなる人こそ用ふることなれ。鬼に金棒たるべし」――南無妙法蓮華経の御本尊も、わが身ははかなくも、こと信心に関しては勇ましく、骨身を惜しまず信行に励む人が用いてこそ本来の用をなすもので、まさに鬼に金棒とはこのことなのです。
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」――この御本尊、ただの文字といってはなりません。『諸宗問答抄』には、「文字はこれ三世諸仏の気命なりと天台釈し給へり」(御書三六ページ)と申されています。
また同御書には、「文字はこれ一切衆生の心法の顕はれたる質なり」とも、「文字は一切衆生の色心不二の質なり」とも申されています。
御本尊に書きしるされた文字は、大聖人の一念の心法(お心)の
あらわれたる姿、大聖人がこの地球上の十界の衆生(十法界)を我、すなわち妙法蓮華経の姿なりと境智冥合あそばされたお姿なのです。
この大聖人の御境涯を自受用身と申し上げるのです。
この自受用身如来は十法界を我が己心に縮め、我を十法界と開く事の一念三千の姿なるゆえに、自受用身即一念三千、一念三千即自受用身と申し上げるので、私たちの成仏の種に光を当てて目覚めさせるための下種の本尊を一切衆生に示そうと思ったなら、一念三千の相貌を文字で図顕しなければなりません。
それが、今我々が拝する御本尊様であり、「日蓮がたましいを墨にそめながして書きて候ぞ。信じさせ給へ」という御文の意なのです。
この御本尊に唱題する修行が仏の一番大本の、真実の「種が家の本因妙」、三大秘法の中には本門の唱題と申し上げるのです。このたった一行の中に、仏の経典にえがかれた一切の修行の意義と功徳とが籠められているから、「一行一切行」とも申し上げるのです。ものすごい修行なのです。
お釈迦様は法華経を説くのが出世の本懐、日蓮大聖人はその法華経の寿量品の文底に秘し沈めてあった久遠元初の本仏の相貌(おすがた)を示すのを本懐とされるのです。
「妙楽云はく『顕本遠寿をもってその命となす』」――寿量品を諸仏出世の一大事とするのも、久遠五百塵点劫の数に復倍上数せる当初、名字即釈尊(日蓮大聖人)が自行成道あそばすのを示すのに尽きるわけですから、『本地の遠寿を顕すのを命とする』、と妙楽大師も証言されているのです。
「経王御前にはわざはひも転じて幸ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だしこの御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願、如清涼地』『現世安穏、後生善処』疑ひなからん」――このように尊い御本尊であるから、経王御前の御病気も、今はつらく苦しいでしょうけれども、この時に真剣に題目を唱えていかれれば、かならず災いも転じて幸いとなっていくに違いありません。
いよいよ強盛な信心の心を奮い起こして、この御本尊に御祈念していきなさい。経文に、「その願いが立派に満たされて、あたかも清涼の池に身をひたしたようになる、現世は安穏になり、後生も善き処に生まれる」、とあるこの御本尊様は絶対です。
苦難の時こそ、信心の原点に立ちもどって、真剣に題目を唱えゆくよう激励くださっているのです。 以上