『持妙法華問答抄』 (三〇〇頁)
「寂光の都ならずば、何くも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。願わくは『現世安穏後生善処』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
この御書は、弘長三年(一二六三)三月、日蓮大聖人様が御年四十二歳の時、伊豆御配流の御赦免直後に鎌倉でおしたためになられたものとされています。
しかし、古来の説の中には、六老僧の一人である日持が執筆したのを、大聖人様が印可されたものとも言われていますが、日持が門下となったのはその七年後、大聖人様が四十九歳の文永七年のことですから、そもそも弟子にもなっていない者が執筆をして、それを大聖人様が師として印可されたとすれば、大変おかしな話になってまいります。
これも、正本が残っていませんから何とも言えませんが、それでもしかしたら、日持が大聖人門下に加わった年と何とか辻褄を合わせようとして、建治二年(一二七六)説や弘安三年(一二八〇)説が生じたのかもしれません。
それはさておいて、この御書の大意として、まず法華経こそ我等の成仏の直道であり、法華経はすべての教えの中で最も勝れている(法華独勝)ことを、多くの経文を引いて立証されています。
しかし動もすると、人は法華経のみが勝れたお経であると言うと、何と狭量な、了見の狭い、心狭い人だと批難します。それに対して大聖人様は、「法華独りいみじと申すが心せばく候はゞ、釈尊程心せばき人は世に候はじ。何ぞ誤りの甚だしきや」(御書二九三頁)とお答えになりました。
つまり、法華経独りのみが勝れていると主張する事が、心狭い事であると言うならば、お釈迦様ほど心の狭い人は居ない、ということになります。と云うのも、これはお釈迦様ご自身の言葉であるからです。
その証拠の経文は枚挙に暇がありませんが、法華経を説くに当たってその露払い・開経として説かれた『無量義経』には、「(今まですでに)種々に法を説きき。種々に法を説く事、方便力を以てす。四十余年には、未だ真実を顕わさず」と、あるいは『法華経方便品第二』には、「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説くべし」とも、「唯一仏乗のみ有って二も無く三も無し」とも説かれ、その後の経文にも、「余の経典の一偈をも受けざれ」などと、明確に示されているのです。
その後、「法華経をどのように心得て菩提の岸、すなわち成仏へと到るべきなのでしょうか」との質問には、
「利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云ひて、無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり。是還って愚癡邪見の至りなり。一切衆生皆成仏道の教なれば、上根上機は観念観法も然るべし。下根下機は信心肝要なり」
と、他宗の僧らは、わざと法華経を我等の手の届かない高みに置いて、高嶺の花であるかのように思わせて、利智・澱みの無い智慧をはたらかせて一心に仏道を求め、智慧によって心を思索し、分別し、照らし見ることの出来る者のみが、法華経の救済の対象であると、智慧の無い私たちのような者には、全く役に立たないとばかりに退けようとするが、これこそが甚だしい愚かな、間違った考えです。
法華経は「一切衆生、皆成仏道の教え」と言って、今まで果たされなかった、女性も、悪人も、一闡提という仏法の因果の功徳を信じない人も、五逆罪(父を殺し・母を殺し・阿羅漢という高僧を殺め・仏の身より血を出し・和合僧団を破壊するなどの五つの逆罪)の人も、謗法という仏の御正意の、南無妙法蓮華経の御本尊に背き、またその御本尊を信ずる人を軽んじ、賤しみ、憎み、嫉むなどの最悪重罪の人も、ついにはすべての人が救われていく教えですから、物事を正しく見たり聞いたりする判断力に秀で、欲望煩悩に左右されにくく、法門を聞いてすぐ理解できる、いわゆる上根上機の人は観念観法の修行をもされればいい。
しかし、今は末法濁世ですから、ほとんどは下根下機という、仏道修行をする力が乏しい者達ばかりですので、妙法の御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と唱える│これを総体の受持と言います│、この「受持の一行が修行の肝要」となるのです。これを「受持即観心」と言うのです。また、これより他に求めてはいけないのです。
これこそが、『持妙法華問答抄』という御書の名の、「持」の意味なのです。
ゆえに、この御本尊やこれを信ずる人を謗れば、かならず厳しき因果律として地獄の穴に転落し、長き苦悩の末に最後は又御本尊やこれを信仰する人に出会って救われることにはなりますが、謗法という御本尊に背くことがいかに重罪であるかを説かれているのです。
また、限りある命なのに、はかない世間の名聞名利にうつつを抜かして仏法を忘れるようでは、その志の程、これ以上ふがいない事はありません。
もし私たちが御本尊様を信じ題目を唱えるならば、「何をもってか衆生をして無上道に入らしめん」との、仏の御本意に叶い、御本意に叶えば自然に仏の御恩を報ずることになりますから、お釈迦様のみならず、三世十方の諸仏も皆お喜び下されるのです。
仏様がお喜びになれば、諸天善神も必ずお喜びになるのです。ですから、伝教大師が法華経を講ぜられた時には、八幡大菩薩がわざわざ現れて、紫の袈裟を御供養されたというではありませんか。
これらのことからも、「七難即滅七福即生」という国土の災難を払う御祈祷をするときも、御本尊に対して行うのが一番です。
なぜなら、「現世安穏」と法華経に説かれているからです。
もし、他国侵逼の難と言って、外国の軍隊によって日本国が攻められようとする時にも、あるいは自界叛逆の難と言って、同士討ちや内乱が勃発するのを防ごうとする時の祈祷にも、この妙法の経典に過ぎたるものはありません。なぜなら、やはり法華経のなかに「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」と書かれているからです。
由旬とは、昔インドの国王の軍隊が、一日に移動する距離を言ったものだといいます。その百倍の領域を、法華経を人々が信ずるならば、患いや衰えが無いようにせしめる、ということが約束されているのです。
そうであるのに、当時の祈祷は逆さまだと言われるのです。災いを除き、福を招来しようというのが祈祷であるはずなのに、あえて仏の御意思に逆行して、不幸を招き入れようとしているからです。
人々が自分たちの未来を託そうとしている経文は、お釈迦様がお亡くなりになった直後から千年の正法時代、さらに次の千年の像法時代に広まるべし、として釈尊が留め置かれた権教、つまり仮の、方便の教えです。
末代私たちの時代に広まる事が定められた、最上真実の秘法ではありません。
それは例えば、去年の暦を引っ張り出してきて用いるようなものであり、カラスを体の色が似ているからと鵜の代わりとして使うようなものです。全く役に立たないでしょう?
このようになってしまったのも、ひとえに方便権教に凝り固まって執着・しがみついている謗法の邪師を貴んで、未だ真実の教えを奉じている明師に出会っていないからです。
何と惜しい事でしょうか、「文武の卞和があら玉、何くにか納めけん」│この卞和が璞のことは、日寛上人が『寿量品演説抄』(日蓮正宗歴代法主全書第四巻一九八頁)に詳しく書かれています。その内容は、こうです。
楚の時代に卞邑│卞という村に和という人がいました。それで卞和と言うのですが、この卞和がある日、荊山の山歩きを楽しんでいる時、璞玉といっていまだ琢かれていない玉、それも大きさが一尺にも余る、と言いますから、およそ三十センチメートルもあるような大きな原石を手にする事が出来ました。
それも、世に比類無き玉である事が、自身の長年の経験から分かりました。
そこで、当時の楚の国王である厲王に献じて、「どうぞ磨かせてみてください。きっとご満足いただけるはずです」と言上しました。
さっそく王は、玉造の職人・玊人を読んで磨かせようとしました。玉と玊は別の字です。玉は宝石、玊は玉造りの職人のことです。ところが玊人はこの璞玉を見るなり磨きもしないで、「これは只の石です。玉などではありません」と答えたものですから、厲王は怒って「王を欺いた罪は浅くないぞ」と、足を切って罰したのです。
しばらくして厲王が亡くなって、武王が即位しました。卞和は今度こそという思いをもって璞玉を王に献じ、同じように「玊人に磨かせてみてください。ご期待は裏切らないはずです」と言上しました。王は悦んでこれを玊人に琢かせましたが、腕が未熟だった所為か一向に光りが現れません。
王はいったん悦んだ分落胆も大きかったようで、「我を欺いたな」と、残っていた右の足を切り取った上に、両足を失った卞和を、獣にでも食らわれてしまえと、荊山に置き去りにしたのです。
かくて、二十有余年の歳月が流れ、卞和は命ながらえたものの、この璞をかき抱いて泣き過ごしておりました。
その後文王が即位して、彼の山に入って狩りをする事三昼夜、その途中、卞和が両足を失って泣き悲しむ様子をご覧になって、「世の中には刑罰によって両足を失う者は少なくない。それなのに、どうしてお前はそのように泣くのだ」と。
それに対して卞和が答えて言うのには、「私はこの刑に処せられたのを、嘆いているのではありません。世の中にこの玉の真価を知るものが無くて、真の玉なのに瓦石と言われ、忠事・誠を致し心を尽くしているのに、これを慢事・人を侮る言動だとされたことが悲しくて泣いているのです」と、答えたのです。
そこで文王は、この璞玉を召して玊人に琢かせたところ、見事な光が天地に輝き渡りました。試に道路端に掲げれば十七両の車を照らしたので「車照の玉」と呼ばれ、宮殿に置いてみれば夜、十二の辻を照らしたので夜光の玉とも謳われました。ようやく、日の目を見たわけです。
このようにして、この玉は代々天子の宝となって趙王の代にまで伝わりました。その趙の隣国に秦という破竹の勢いの王がいて、この玉を手に入れたいが為に十五の城と交換に玉を譲ってくれるよう申し出があったのです。
当時、一城と言えば、縦横一万三百六十六里の城壁に囲まれている、実に広大なものです。それを十五連ねるということですから莫大な所領です。これは損は無いと思って、趙王は秦王に玉を渡しました。秦王は十五城に換える価値の有る玉ということで、「連城の玉」と名づけました。
しかし玉を譲ったものの、約束の城は一つも譲渡されません。欺かれたと知っても後の祭り、大国にあらがう術とてないからです。地団駄踏んで悔しがる王を見かねて、藺相如という家臣が、智慧を巡らし命をかけてようやく玉を取り返します。
このように、この宝玉をめぐる争奪戦が繰り広げられていったのです。
なんと惜しい事でしょう。卞和が身命を賭して文王武王に献じた宝玉は、最初は誰も一顧だにしませんでしたが、素晴らしいと世の評判になると、急に色めき立って、争うようにして我が手元に置きたいと願う。今は果たしてどこに、誰の元へ納まっているのでしょうか。――「惜しいかな、文武の卞和があら玉、何くにか納めけん」
それに比して、何と嬉しい事でしょう。転輪聖王が普段は奥深く秘蔵して、滅多矢鱈には目にする事すら許されない、特に勲功の有った者だけに髻から取り出して与えられる明珠を、今こうして日蓮大聖人様の御化導によって我が身に得る事が出来ようとは……。
それこそ、三大秘法総在の御本尊様であり、如意宝珠という、ありとあらゆる宝を生み出す、その大元であります。――「嬉しいかな、釈尊出世の髻の中の明珠、今度我が身に得たる事よ」
この御本尊様をお受けして題目を唱える時、誰もが仏になる事が出来るとは、十方よりお集まりの諸仏も、皆證明遊ばされている所で、わずかな疑いも差し挟みようがありません。――「十方諸仏の証誠としているがせならず」
いくら、「法華経の信心は、世間には憎む者のみが多く、素直に信じることは難しい」と仏自ら説かれているのも、一切の方便を廃して仏ご自身の心を説かれた、いわゆる随自意の教えであるからで、それでこそ、これを行ずれば必ず仏に成られる訳で、それをどうしてスッパリ疑念を捨ててこの信心に取り組まないで、一分の疑いを残して、せっかく「この人、仏道において、決定して疑い有る事無けん」と仰せられているのに、この度仏に成ろうとしないのだろうか。――「さこそは『一切世間には怨多く信じ難し』と知りながら、争でか一分の疑心を残して、決定無有疑の仏にならざらんや」
過去久遠より今日に到るまでの気の遠くなる年月を、ただ漠然と苦しみを受けてこられたのですか?普通だったら、「もうあんな苦しみは受けたくない、御免だ」と、「これから逃れる道はないか」と、必死に探し求めるものでしょう?それでこそ、過去の苦労も生かされるのです。どうしてそのために少しでも時間を割いて、不変常住の妙因、すなわち御本尊様に題目を唱え、少々のことではびくともしない、永遠に崩れざる成仏の因・種・功徳を植えようと考えなさらないのか。――「過去遠遠の苦しみは、徒にのみこそうけこしか。などか暫く不変常住の妙因をうへざらん」
今世での信心を果たしておけば、それが未来永劫にわたって受ける楽しみともなり、仮に不十分であるにせよ心を養うものともなりますが、あえて、わざわざ、遮二無二、稲光や朝露のように儚く、後の憂いや苦の因ともなる名利を、嘘をついたり、他を蹴落としたり足を引っ張りなどして悪名を世にたれ流しながらまでして、貪ってはなりません。
信心を根本にして、その功徳の実証として社会に名を立て、広宣流布にお役に立てるなら、これは当然許される事で、大いに励むべきことであり、大聖人様もお褒め下さる素晴らしい事に違いありません。――「未来永々のたのしみはかつがつ心を養ふとも、しゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず」
私たちの住んでいる欲界・色界・無色界の三界は心安きことは無く、ただボウボウと燃え盛る家の中で、火事とも知らず遊びほうけている子供のようで、危険きわまりないこと、これに過ぎたるものは有りません、とは仏様のお言葉であり、それゆえ、様々な事象は幻のようなものであり、化城のようなものだとは、菩薩の言葉です。
――「『三界は安きこと無し、猶火宅の如し』とは如来の教え、『所以に諸法は幻の如く化の如し』とは菩薩の詞なり」
南無妙法蓮華経がこの国に広く流布した時、国土も仏国土となるのですが、その時にこそあらゆる災いが除かれるということが『如説修行抄』に、「天下万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、吹く風枝を鳴らさず、雨土くれを砕かず、世は義農の世となり│」と説かれています。また、「この法、法位に住して、世間相常住なり」との御金言のごとく、御本仏のまします寂光の都・本覚の栖であってこそ、私たちの幸せが招来されるのです。それが、「衆生の心けがるれば土もけがれ、衆生の心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔て無し。只我等が心の善悪によると見えたり」(一生成仏抄・御書四十六頁)との御文です。
ただ望むところは、現世は安穏にして、後生は必ず善き処に生まれることができる妙法を持つのみこそが、今生後生の最高の栄誉・誇りとすべきことであります。
そして、あらゆる邪宗謗法の余念・雑念・未練等を捨てて、ひたすら心を御本尊という一境に止め集中して題目を我も唱え、人をも、本当の幸せを掴んでいただくために御本尊の信心を勧めていく│、これこそ、この度この世に生まれ来た、最高の思い出にして参りたいものです。
以上