久遠元初の法なるが故に 久遠元初の人に付す

「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」
「是くの如き十神力を現じて地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累して云はく、経に云はく『その時に仏、 上行等の菩薩大衆に告げたまはく、諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶尽くすこと能はじ、要を以て之を言はゞ、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す』等と云々」(御書六五九頁)
はじめに
この『観心本尊抄』は、文永十年(一二七三)四月二十五日、日蓮大聖人様が御年五十二歳の時、配流中の佐渡一谷においてお認めになり、下総国葛飾郡八幡荘(現在の千葉県市川市)在住の富木常忍に与えられた書です。

法本尊開顕の書
この『観心本尊抄』という御書は、『開目抄』が、大聖人自らが御本仏である事をあきらかにされた「人本尊開顕の書」であるのに対して、日蓮大聖人が証得(※実際の修行によって悟り得られること)された「事の一念三千の本尊」、すなわち「法本尊開顕の書」です。

開目抄は教の重
また、『開目抄』が、「五重の相対」という、「内道(仏法)と外道(仏法以外の宗教)」、「大乗と小乗」、「権大乗と実大乗」、「法華経の本門と迹門」、「日蓮大聖人の下種仏法と釈尊の脱益の法華経」と、浅い所より深い所へと比較して勝劣を論じ、末法今日には、法華経本門寿量品の文底に秘沈された、つまり、寿量品の文上より一重立ち入った、いわゆる文の底に秘し沈められたところの、日蓮大聖人が虚空会の儀式において上行菩薩として付嘱を承けられた、三大秘法の南無妙法蓮華経のみが、私達の成仏の直道であることを示されているので、教行証の三重の中には「教の重」すなわち、「教えの浅深勝劣を明らかにされた御書」、とされています。

観心本尊抄は行の重
それに対してこの『観心本尊抄』は、受持即観心という、大聖人様が、寿量品の文底をたどっていくと顕われる、根本の仏道修行を実践されることによって証得・さとり得られた御境涯を、紙や木に筆でもって御図顕あそばされた御本尊様を信じ、その御本尊に向かって南無妙蓮華経と唱える事で、私達の心がまた、十法界のすべてを具えた、本来本有(もともと)の妙法蓮華経という仏、尊厳なる存在である事を信解させていただけることから、これを「受持即観心」を明かされた、すなわち「行の重」の御書であると、血脈相伝によって御教示されています。

本尊付嘱は唯上行菩薩に
この中で最も重要なのが御本尊ですが、これを釈尊は、並み居る菩薩やお弟子の中で、ただ地涌の菩薩の棟梁・上行菩薩にのみ譲り与えられるのです。
これを「付嘱」と言います。付嘱の語は「付与嘱託」という言葉を略したもので、嘱累ともいい、相承・相伝と同意義です。
例えばよく世間に知られた名前の菩薩として、文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子、観音は西方無量寿仏の弟子、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子、普賢菩薩は宝威仏の弟子、その他、他方からやってきた八恒河沙の菩薩の発誓をまったく無視するようにして、ただ、この下方より涌出せる菩薩の発誓のみを見られるのです。
先の『見宝塔品』では三度、末法弘教についての詔を発せられ、六難九易の例えでは、難事ではあるがその分功徳が大きいことを、さらには、この妙法には、未だかつて明かされなかったところの悪人と女人の成仏が叶う事の実証を示されて、広く弘教する者をさんざっぱら勧め募られたのに、仏の心は最初から地涌の菩薩のみにあったということであり、今までのことは、このことがいかに重要であるかを鮮明にするための序章、いわば引き立て役や露払いの役目だったのです。
このことを天台大師は「但下方の発誓のみを見たり」と言われ、道暹という唐の時代の天台宗の僧侶は「付嘱とは、此の経をば、唯下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾る、法是れ久成の法なるが故に久成の人に付す」と述べられているのです。
後の道暹律師の言葉などは、そのものずばり、妙法蓮華経の御本尊そのものが、久遠元初におわした御本仏が証得されたものだから、その法自体が久遠元初の御本仏の所有されているものであり、身に具わっているものだから、虚空会の儀式では、一応久遠の時の弟子となっている上行菩薩に、譲り渡すという形を取りつつも、実はこの人の身に元々具わっていることを証明するために、付嘱の儀式がおこなわれたのであると、上行菩薩のその本地(本来の境地)は、久遠の御本仏であることを暗に匂わせているのです。

八品は付嘱の始終
この付嘱の次第については『観心本尊抄』(御書六五四頁)に、
「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊等にも付嘱したまはず、何に況んや其の已外をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ」
とあるように、八品にわたって付嘱の様子・すなわち始終が描かれています。
すなわち、
『従地涌出品第十五』で付嘱を承ける人を召し出し、
『如来寿量品第十六』に付嘱する本尊を説き顕わし、
『分別功徳品第十七』に、この本尊において能く一念に信解を生ずる者の功徳を示し、
『随喜功徳品第十八』に、この本尊の謂われを聞いて、五十展転随喜する功徳を示し、
『法師功徳品第十九』には、この本尊を信じて行う、五種の妙行の勝れたる利益を明かし、
『常不軽菩薩品第二十』には、この本尊の末法弘通の方軌(方正軌則の意味で、正しい手本のこと)を示し、
『如来神力品第二十一』には、この本尊を正しく久遠本化の弟子・地涌の棟梁上行菩薩に付嘱し、
『嘱累品第二十二』で、地涌の菩薩は付嘱を承け終わって座を退き、本貫の地へ戻っていきます。
この『神力品』に於いて、本尊の概要を四つの句に結んで譲り渡したのが、冒頭の経文なのです。

十神力
これに先立って、釈尊は「十神力」をお示しになりました。これは一重にこの本尊の功徳を強調せんがためなのです。
一つは「吐舌相」と言って、広く長い舌を伸ばして、梵天まで至らしめられました。偽りで無い徴です。
二は「通身放光」といって、体中の毛孔から光を放ち、十方世界を隈無く照らされました。その他の十方よりお集まりの仏たちも、同じように舌を伸ばし、毛孔より光を放たれました。
三は「謦欬」といって、先ほどの梵天へ付けていた舌を納めて、一斉に咳払いをされました。
四は「倶共弾指」と言って、皆共に指を弾いて音を鳴らされました。随喜を表現しています。
五は「地六種動」といって、釈尊が諸仏と共に発せられたこの二つの音が、十方の諸仏の世界へと波動となって伝わり、その地が六種に震動しました。
六は「普見大会」といって、十方世界の八部衆が皆、この娑婆世界における虚空会の儀式を仏の神通力でもって見ることが出来、心が大きな喜びで満たされます。
七は「空中唱声」といって、彼らが喜びの気持ちでもって、「今娑婆世界の釈迦牟尼仏が妙法蓮華経を説かれている。皆心から随喜し、釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべきである」と言う声が空中から聞こえてくることです。
八番目は「咸皆帰命」といって、かの十方の仏土の衆生が、先ほどの言葉を聞いてこれに呼応して「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏」と、ことごとく皆帰命することです。
九番目は「遙散諸物」といって、はるか十方の国土より種々の宝を降らし、法華経の説法の座を荘厳することです。
十番目は、「十方通同」といって、この時十方の仏土が境界無く、一つの仏土と化したように成ったことです。
このように神通力を示されて、「仏の神通力はこのように推量すら及ばない不可思議なものである。しかし、今妙法蓮華経を上行菩薩に付属するに当たって、これが如何ほど尊いものか、この神通力でもって無量無辺百千万億阿僧祇劫において語ろうとも、猶尽くせないほど勝れているのである」と仏みずから称歎されるのです。
そしていよいよ、「その意義は今しがた述べたように、簡単に申し述べることは出来ないのであるが、要点を掻い摘まんで申せば、『如来の一切の所有の法(名)』『如来の一切の自在の神力(用)』『如来の一切の秘要の蔵(体)』『如来の一切の甚深の事(宗)』皆、この経において宣示顕説す(教)」と、御本尊についての主要な意義を略説されるのです。
その第一「如来の一切の所有の法」を名玄義といい、「如来の一切の自在の神力」を用玄義といい、「如来の一切の秘要の蔵」を体玄義といい、「如来の一切の甚深の事」を宗玄義といい、「この経に於いて宣示顕説す」を教玄義といって、合わせて五重玄といいます。
これを大聖人様は、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。名体宗用教の五重玄の五字なり」(三大秘法抄・一五九四頁)
と、仰って、南無妙法蓮華経の五字七字が単なる経典の題名では無いことを明かされているのです。
この天台大師が、自身の許された範囲で妙法五字について解釈を試みた五重玄について、妙楽大師は『文句記』に、「本地揔別・超過諸説(本地の揔別は、諸説に超過す)」と説いています。
本地の揔別とは何かと言えば、妙楽大師は『法華玄義釈籤』に、「釈名是揔、體等是別(釈名、これを揔とし、體等、これを別とする)」と述べ、揔別とは名体宗用教の五重玄のことであり、この本門寿量品の名体宗用教の五重玄は諸説に超過する、即ち仏法の最大肝要、寿量品の肝心であることを釈なされているのです。
ゆえに日蓮大聖人様は『観心本尊抄』(六五八頁)に、
「『是好良薬』とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」
と、仰っているのです。
ところで、『釈籤』の中の「揔」という字は「統べる・総括する」という文字で、體・宗・用・教の四つをまとめた意義をもつもの、ということなのです。
この一つに、あとの四つは全部含まれているのです。別の言い方をすれば、この一つの内容を詳らかにすれば、以下の四つになるということです。
天台大師はこの「四句の要法」について、
「結要に四句あり。一切の法とは、一切皆仏法なり。
此れは一切皆 妙の名なることを結ぶ。
一切力とは通達無礙にして、八自在を具す。
此れは妙の用を結す。一切秘要とは一切処に遍して皆実相なり。此れは妙の体を結するなり。
一切深事とは、因果は是れ深事なり。
此れは妙の宗を結するなり。
皆於此経宣示顕説とは、揔じて一経唯四而己なることを結し、その枢柄を撮って之を授与するなり」
と、釈しています。

名玄義
それでは先ず、立名・名を立てることについてお話しします。
天台大師は『法華玄義』の中でこの様に申しております。
「聖の名を建てるを原ぬれば、蓋し深を開いて以て始めを勧め、ことごとく視聴をして倶に見聞することを得、途を尋ねて遠きにおもむき、しかして極に至らしめんが為なり。故に名を以て法に名づけて、衆生に施説す」
と説いて、御本仏が至極の深理に名を付けられたのは、題目の修行という、根本の仏道修行を開いて初心の人々に勧め、ことごとく視聴の者をして、つまり、いまだ信を取るに到ってない者についても、ついには信心の志を起こさせ、しかして仏の 境界に至らしめようという計らいに他ならない。ゆえに、三世十方を貫く至極の深理を妙法蓮華経と名づけて、人々に施し説かれるのである、と明らかにされています。
この釈を承けて妙楽大師は、
「声色の近名を尋ねて無相の極理にいたる。故に、此の妙法の名を以て実相の法に名づく」
と説きました。
「声色の近名」とは、普段私ども凡夫が目にしたり耳にしたりする言葉や文字のことです。
「無相の極理」とは、形や姿が無く、本来不可説、つまり「言語道断」と言って言語の道絶えて説くことも、それに「心行所滅」ですから心も及ばない、思い描くことも出来ない、ゆえに無相・姿形が無いというのです。
ですから、本来ならば我等は取っ掛かりも無い状況でありますが、御本仏は大慈大悲を奮い起こされてこの実相の深理に妙法蓮華経と名を建立して、この相貌を御本尊として御図顕になりました。
私達はこの御本尊に南無妙法蓮華経と唱える修行をお教え頂いたことで、これを受持信行する時に、易々と仏のお命の中に帰入できるようになる、と補釈されているのです。
大聖人様が御本仏として名を建立される有様は、あの『当体義抄』の次の御文しかありません。すなわち、
「至理は名無し。聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。この妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふ」(六九五頁)
の御文です。
まさに、妙法蓮華経という大聖人の一念の心法に、十界三千の諸法を具えたもうお命を師と為し本尊として修行、つまり折伏という不軽菩薩の跡を踏んであらゆる人に向かって礼拝行をなされた所、ついにあの龍の口の法難の時、この境(本尊)と大聖人の智とが冥合し、真身の成道を遂げられて、南無妙法蓮華経という自受用身(十法界と我が智とが一つと成り、法界全体を我・我即ち法界の全体なりと悟りを開かれた仏)の境界に昇られたのです。
日蓮大聖人様は『船守弥三郎殿許御書』(二六二頁)に、
「一念三千の仏と申すは法界の成仏と云ふ事にて候ぞ」
と、大聖人様が一念三千の成道を遂げられた上は、法界は皆仏法妙法蓮華の仏ならざるは無い、ということであります。
それが、「一切、皆妙の名なることを表す」との、一切法すなわち十界のすべてが、妙法蓮華経と言う名の仏ならざるは無い、という意味ではないでしょうか。
『御本尊七箇之相承』(平成校定日蓮大聖人御書第三巻二〇九四頁)に、
「七、日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮体具)師の曰く、首題も釈迦多宝も、上行無辺行等も、普賢文殊等も、舎利弗迦葉等も、梵釈・四天・日月等も、鬼子母神十羅刹女等も、天照八幡等も、悉く日蓮也、と申す心なり」
と、お示しの通り、南無妙法蓮華経も日蓮大聖人なら、ほかの十界の衆生も日蓮大聖人なりと仰せなのですから、皆妙法蓮華経ということになるのではないでしょうか。
それが、法界全体が成仏した、真の諸法即実相妙法蓮華経と言うことだと思います。
この法界を一仏の御境界と開くのを自受用身という、御本尊の相貌なのです。
日寛上人は『神力品談義』に、
「本門寿量品の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱える故に常寂光当体の妙理を顕わすなり。これすなわち、『声色の近名を尋ねて無相の極に至る』」なり。これ即ち、本門寿量の肝心、南無妙法蓮華経の五重玄の中の、名玄義の意なり」
と、されている通りであります。

自在の神力・用とは力用 
次の「如来の一切の自在の神力」とは、天台大師は「用とは力用なり」
と解釈しています。これについて、「人法の力用」が有ることが説かれています。先ず「人の力用」とは、『報恩抄』(一〇三六頁)に、
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」
とありますが、何の力や用きに、人々の盲目を開き、無間地獄に堕ちようとするのを止める以上の力用があるでしょうか。有りません。これ、日蓮大聖人の力用です。
次に「法の力用」とは、『法華取要抄』(七三五頁)に、
「諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。諸薬の中に南無妙法蓮華経は第一の良薬なり」
と有りますように、世の中に第一の重病たる謗法を治すのは、一重に御本尊の妙能でありますから、「法の力用」とは『寿量品』の肝要・名體宗用教の五重玄たる、南無妙法蓮華経の題目であります。
そして「人法の力用」とは、正直に権教方便を捨てて但本門寿量の教主を信じて南無妙法蓮華経と唱える人の、この「断疑生信」の得益は、「当体蓮華」を証し、「常寂光当体の妙理」を顕わすことでありますが、日寛上人は「これ則ち我等が上の如来の妙能、この法華経の勝用、断疑生信の得益、本因下種妙法蓮華経『用玄義』というもの也」と御教示されているのです。

通達無礙にして八自在を具す
この、「通達無礙にして」とは障り無く達すること、「八自在を具す」とは、涅槃経に説かれる常楽我浄の四徳のなかの、我徳の自在の力用を八種にわけて説いたものです。
一は、「一多自在」―一身を示してもって多身とする。(自在の故に微塵の身をあらわす)
二は、「小大自在」―一塵の身が三千大千世界に満つることを示す。(御本仏の一身一念は法界に遍く満つ)
三は、「軽重自在」―広大な身を以て軽く挙がり、空中を飛んで礙りが無い。
四は、「色心自在」―衆生の種類に従って無量の形を現ずるが、常に一土に住して、しかも他土を悉く見ることが出来る。
五は、「六根自在」―一根に六根の機能を備えている。
六は、「得法自在」―自在の故に一切法を得ることができる。
七は、「説法自在」―説法の一偈の義は、無量劫を経ても尽きることがない。
八は、「令見自在」―身は一切諸処に虚空のように遍満し一切を見ることが出来る。
との八つです。
第一の「一多自在」とは、日寛上人が『三宝抄』に、「仏恩深重の事 蓮師十界の相を示現して一切衆生を利益するなり」(日蓮正宗歴代法主全書第四巻三九四頁)と述べられ、一つ一つ御書を引用されて、確かに十界の相を示されたという、大聖人のお言葉で綴られている証拠をお示しになっています。
 まさに、大聖人が十界の相を顕わして、衆生を御利益される姿が、御本尊に図顕されているではありませんか。この御文は、今は長くなりますので一々引用しませんが、是非読んでみて下さい。
正しく「草にも木にも成る仏なり」(草木成仏口決五二二頁)の通りです。
又『総在一念抄』(一一五頁)に、
「問うて云はく成仏の時の三身とは其の義如何。我が身の三千円融せるは法身なり。此の理を極めたる智慧の身と成るを報身と云ふなり。此の理を究竟して、八万四千の相好より虎狼野干の身に至るまで、之を現じて衆生を利益するを応身と云ふなり」
とありますが、「八万四千の相好より虎狼野干の身に至るまで、之を現じて……」というお言葉が、どうして十界の衆生を指していないと言えるでしょうか。御書の通り、無作三身如来が一切衆生となって、互いを利益する姿なのです。

如来の一切の秘要の蔵
次の「如来の一切の秘要の蔵」とは、「諸法実相」ということであります。『諸法実相抄』には、『方便品』の「諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体乃至如是本末究竟等」の経文を挙げて、この意を、
「下地獄界より上仏界までの十界の依正の当体、悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」(六六四頁)
とも、
「さてこそ諸法と十界を挙げて実相とは説かれて候へ。実相と云ふは妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経と云ふことなり」
これは、「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる。これを本尊とは申すなり」(日女御前御返事一三八八頁)
とあるように、大聖人様の龍ノ口の御法難の時、久遠の時さながら自行成道あそばされたとの同時に、十界が理にも事にも、本有常住と開かれていったのです。これを真実の諸法実相と言うのであります。

如来の一切の甚深の事
最後の「如来の一切の甚深の事」ですけれど、天台大師は「因果は是れ深事」と釈されています。
因果の因とは「修行の功徳」の事であり、果とはその修行による果報としての仏、この仏の位に具わる万徳のことです。
それを『観心本尊抄』(六五三頁)に、
「釈尊因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」
と仰っているのです。

妙とは薩、薩とは具足の義
それではなぜ、それ(因行果徳の二法)が妙法五字に具わっているのかというと、「妙」の字の功徳、元々が妙とはインドでは「薩」ということで、具足・そなえている、という意味なのだそうです。さらに詳しく言えば『聖愚問答抄』(四〇八頁)に、このように書かれています。
「玄義には、名體宗用教の五重玄を建立して妙法蓮華経の五字の功能を判釈す。五重玄を釈する中の宗の釈に云はく『綱維を提ぐるに目として動かざること無く、衣の一角を牽くに縷として来たらざること無きが如し』と。意は南無妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし。譬へば網の目無量なれども、一つの大綱を引くに動かざる目もなく、衣の糸筋巨多なれども、一角を取るに糸筋として来たらざることなきが如しと云ふ義なり」と。

大綱?衣の一角?何の表現なの?
この中に「大綱」あるいは「衣の一角」の譬えにされているのが、本因妙という御本仏の本地の御自行と、無作三身という真実の仏果のことであり、「網の目無量」と「糸筋巨多」というのが、釈尊の万行万善諸波羅蜜の一切の、いわゆる修行の功徳と、「すべての色相荘厳の仏」の徳のことなのです。
釈尊がかつてどれほど修行を重ねてきたかは、例えば『方便品』の冒頭にも、
「仏はかつて百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞こえたまえり(仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞)」
と、仏はかつて数え切れないほどの仏の御許で次々と修行を重ね、その凄まじいまでの修行に専念する様は、十方世界に轟いて、その名を知らない者はいないほどだった、と述べられています。
又、『観心本尊抄』(六四九頁)の、
「過去の(釈尊の)因行を尋ね求むれば、あるいは能施太子、あるいは儒童菩薩、あるいは尸毘王、あるいは薩埵王子、あるいは三祇百劫、あるいは動踰塵劫、あるいは無量阿僧祇劫、あるいは初発心時、あるいは三千塵点劫等の間、七万五千・七万六千・七万七千などの仏を供養し、功を積み行満じて、今の教主釈尊になりたもふ」
の御文にも、過去世の釈尊の修行について説かれていますが、「三祇百劫」「七万五千等」の文は、蔵教・通教・別教の中には蔵教の修行の有様を説かれたものです。つまり、
初阿僧祇に、先の釈迦仏から尸棄仏まで七万五千の仏に仕え、
二阿僧祇に、尸棄仏から燃燈仏まで七万六千の仏に仕え、
三阿僧祇に、燃燈仏から毘婆尸仏まで七万七千の仏に仕え、これらの期間には但化他の為だけの、六波羅蜜の行に専念します。
更に百大劫という更に長きにわたって、相好の因を植えるための、自行の修行が行われたのです。

釈尊満行の時の修行
その最後満行の時の修行が、尸毘王(布施)・普明王(持戒)・忍辱仙人(忍辱)・太施太子(精進)・尚闍梨(禅定)・劬嬪大臣(智慧)の、あの物語なのです。
こうしてインドに生まれ一丈六尺、寿八十の劣応身としての仏果を得られた、と表わされているのです。
こういう類のものが、通教・別教・円教と、ワンサカあるのです。

久遠実成の意図するものとは
ところが驚くことに、釈尊は寿量品に来て、「然るに善男子、我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫なり」と今世で初めて仏に成ったというのも、そのための数々の菩薩の修行というのも、そしてそして、その他多くの仏さえ、皆真実ではなく、虚妄方便・垂迹であることを打ち明けられるのです。
真の修行も仏も唯一つ後は皆影
一月万影と言う言葉があるように、仏に成る修行は唯一つ・天空の月の如くであり、いくつも有るというのが、月が地上の水を湛えた所に影を映すようなもので、多く有ることが垂迹方便の何よりの証拠なのです。
その唯一つの仏の修行というのが本因妙という、私達の修行でいえば三大秘法の唱題と折伏なのです。
そして、天月の様な唯一つの真実の仏とは、大聖人の如き、無作三身なのです。ここに一月に万影の光が収まるように、釈尊の万行万善諸波羅蜜の一切の修行の功徳も、あらゆる仏の、いわゆる果位の万徳も、この無作三身に収まる徳なのです。
だから、衣の一角を牽くように、あるいは漁師が魚を捕る網の大綱を引くように御本尊様に信行具足の題目を唱えれば、何も知らなくても、彼の因果の功徳を自然に譲り与えられることになるのです。
ですから、「祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として現れざる無きなり」との御文も、決して誇張ではないのです。
サア、皆さん、初心の時に戻って、強い強い信心のもと、頑張って題目を唱え、折伏を貫徹してまいりましょう。

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