『諌暁八幡抄』(一五四三頁)
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり。月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ。日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光、あきらかならず。在世は但八年なり。日は光明、月に勝れり。五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ」(題目三唱)
この『諌暁八幡抄』は、日蓮大聖人様が弘安三年十二月、五十九歳の時身延でおしたためになられた御書で、御正筆は我が総本山大石寺にございます。
この御書の題名は、八幡大菩薩を諌暁、つまり「いさめる抄」という意味ですから、法華経の行者を守護することを法華経の虚空会で誓っておきながら、法華経の行者の日蓮大聖人が幾多の大難をお受けになっていることを承知しているのにもかかわらず、一向に守護しようとしないことについて、八幡大菩薩の怠慢をいさめるためにしたためられた書である、ということが判るのであります。
今日拝読の所は、この『諌暁八幡抄』の結びの部分です。
「天竺国をば月氏国と申す。仏の出現し給ふべき名なり」
天竺とは、昔、中国や日本の人達が使っていた、インドの呼び名です。
例えば、私達は自分たちの国を日本と名乗っていますが、アメリカなどはジャパンと呼びます。又逆に、私たちはアメリカを米国、イギリスを英国と呼んだりしますが、「天竺国」とは、まさにそのような、その国の人ではない、日本や中国という外国の人々によって、通り名として使用されていたインドの国の名前だったのです。
ちなみに、私たちの国のジャパンという名称は、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で日本を「ジパング」と呼んだのに始まります。このジパングが次第に転化して、ジャパンと呼ばれるようになったのです。
この天竺国は、又別に月氏国と言います。この月氏国とは、唐の時代に中国の言葉に意訳されたものなのです。(唐の時代に意訳されたから漢訳ではなく唐訳です)この呼び方も、中国や日本では、インドを指す名前として、広く使用されていました。
ですから、「天竺国をば月氏国と申す。仏の出現し給ふべき名なり」とは、インドの古い呼び方である天竺国は、又別に月氏国と言いますが、この国を、月にゆかりのある人の国というのは、まさに仏様が御出現になるのにふさわしいお名前であると申せましょう。
これに対して、私たちの国を、古代の中国の人達は「扶桑国」と呼んでいました。
なぜ、扶桑国なのかといいますと、中国の神話では、太陽は、中国から見てはるか東の海の中に、ある島があって、その島の陽谷という所に住んでいると信じられていたのです。
その陽谷には、桑の大木が二本、寄り添うように生えていると語られていて、これが扶桑の名の由来となりました。扶桑の扶とは、助け合って、寄り添うように、という意味ですから、皆さん、その光景を想像してみてください。
現代人には滑稽に感じられるかもしれませんが、太陽は毎朝、この陽谷から、金色の三本足のからすの背中に乗ってこの桑の大木をよじのぼり、ようやくてっぺんまでたどりついたところで、この太陽の母親である羲和の御する、六頭の竜のひく車に乗って天空をめぐることになっているのです。
その桑の大木が二本、寄り添うように生えている島国、太陽の昇り出づる国こそ、我が日本なのです。
ですから、「扶桑国をば日本国と申す」と申されているのです。
インドの月氏国という名前の中に、すでに、仏がご出現になる事を予見させるような意義が著し示してあるというのであれば、日の本、太陽の生まれ出づるという名の日本国、どうして聖人が御誕生にならないということがあるでしょうか。いや、かならず御誕生になられるのであります。どうして、そういうことが言えるのか、そのわけを、この後のべられるのです。
「月は西より東に向かへり。月氏の仏法、東へ流るべき相なり」
旧暦(太陰太陽暦)での毎月の第一日を朔日といいます。この朔の時は、月は見えないのが普通ですから、俗にいう闇夜となります。
この朔日を「ついたち」と言いますが、この言葉は「月立ち」から転じたとされています。つまり、この朔の日から月の旅(運行)が始まると考えられたわけで、朔から三日目の月が、いわゆる「三日月」となるのです。
普通、朔および二日目の月(新月と言います)は見えません。三日目になって初めてあの細い鎌のような月が、夕方に西の空に低く見えます。
それから日毎に月は太くなりながら、同時刻に見える位置が東へ東へと移動します。朔から七日目か八日目になりますと、月は真南に姿を現しますが、その時の月は半月の形をしています。
そして、この半月を弓に見立て、弦の部分・直線が左側・上に見えるようになるので、これを「上弦の月」といいます。
この上弦の月から数えて七日か八日後、つまり朔から十五日くらいたつと、東の空から真ん丸のお月様が出ます。これが満月です。満月は、夕方東から出て、翌日の日の出と共に西の空に沈みます。
つまり、ずーと夜の間中、満月の光は地上を照らし続けているのです。
このように、月は、朔の月立ちの日から、徐々に徐々に太くなりながら、東へ東へと見え始める位置を移動していくのです。だから、「月は西より東に向へり」なのです。(「暦の見方・つかい方」松田邦夫著海南書房刊を参照しました)
この姿は、月氏の国で起こったお釈迦様の仏法が、インドから中国、そして朝鮮半島を経て日本へという、仏法東漸――東へ東へと流れ伝わっていくことを象徴し、また実際に合致しています。
「月氏の仏法、東へ流るべき相なり」
つまり、月氏の仏法だから、月の見え始めの位置が東へ東へ移動するように、西から東へと流れ伝わっていったのです。あるいは、月の出が日毎に東へ東へと移動するのは、やがて月氏に起こった釈尊の仏法が、かならず東へ流れ伝わることを前もって指し示したものだったのです。
だから、月氏国という国の名と、そこにお釈迦様が御誕生になるというのは単なる偶然の一致ではなく、仏が出現される以前に、すでにお釈迦様が御出現されることを見越して、天地宇宙法界の不思議な働きで、その仏様にふさわしい国の名前が先についていたのです。
これを難しくは、「嘉名早立」と言うのです。
月氏の仏法が月の見かけ上の運行と軌を同じくして東へ伝わっていったのなら、日本国の仏法も、太陽の軌跡と同じ様に西へ伝わっていかなくてはなりません。
それが「日は東より出づ。日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり」の御文なのです。
これが大事です。
太陽の如き、こうこうたる輝きの仏法が日本国に出現し、太陽のたどる道のように、今までの釈尊の仏法とは反対に、朝鮮半島、あるいは中国、シルクロード、東南アジア、インド、そして全世界へと流伝していくのです。
この太陽のたどる道は、その日本国出現の大仏法の広宣流布の道のりを示す、瑞相、前ぶれとして現れているものだと、先の月氏国のことを例にして知らなくてはなりません。
その「日本の仏法」とは、末法即久遠・久遠即末法の本因妙の教主釈尊、すなわち御本仏・日蓮大聖人の「三大秘法の南無妙法蓮華経」であります。
このことを、他の日蓮宗の人々は知りません。それは不相伝家のゆえんです。相伝がないと、こんなに明白な御文なのに、彼らには、釈尊の仏法に勝る大白法が、日蓮によって日本国に出現したとの大宣言が見えないのです。聞こえないのです。分からないのです。
誠に誠に、「この経は相伝にあらずんば知り難し」です。私たちは、血脈御所持の御法主様の元にあることを今更ながらに喜ばなければなりません。
そうでなければ、わざわざ、釈尊の法華経を月に、大聖人の法華経を太陽にたとえて、その勝劣をお延べになる必要がないではありませんか。
不相伝家のように、日蓮大聖人の弘教を、ただ釈尊の法華経を南無妙法蓮華経の五字七字に縮めてお広めになったというのであれば、この『諌暁八幡抄』の御文は、僭越もはなはだしい、と言わざるを得ません。これほど、釈尊に対して不遜な言葉もないわけです。
ところが、お釈迦様が亡くなって二千年が経過しますと、末法という、お釈迦様の仏法の利益が無くなって、今度は「久遠」という、御本仏の化導の最初、成仏のため種子を植えつける、この下種益の南無妙法蓮華経の仏法が広まっていくというのは、正しきお釈迦様の『法華経神力品』という証明付きなのです。
ですから、ここでお釈迦様が言い置かれた上行菩薩のお生まれ代わりというお方が出てこられて、凡夫僧の形のままで題目をお広めになられ、幾多の大難の果てに凡夫即極の本仏の実証を開かれ、三大秘法の大仏法をこの私たちの世界にお示しにならなければ、法華経以前の方便の教えはもとより、法華経も何もかもすべては虚妄、水泡に帰してしまうのです。
それを証明するのが『法華経神力品』の「日月の光明の、諸々の幽冥を除くが如く、この人、世間に行じて、よく衆生の闇を滅す」という経文なのです。
日蓮大聖人は、「この人とは上行菩薩なり、世間とは大日本国なり、衆生闇とは謗法の大重病なり」(御義口伝・一七八四頁)と仰せになり、南無妙法蓮華経という久遠の本法をひっさげて大日本国に御誕生になり、謗法の大重病たる衆生の闇を滅し去られる仏様は、上行菩薩のお生まれ代わり、日蓮、その人であることをお示しになっているのです。
なぜ日蓮大聖人が上行菩薩かは、釈尊が如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事は、この中にすべて含まれているとされた題目を人に先駆けてお広めになったこと。その間、様々な法難をお受けになりましたが、そのことごとくが、法華経の中であらかじめ予告されていた、法華経の行者が必ず受けるであろうとされた迫害法難と、全く一致するからなのです。
ここに、ただ私たちが信じている宗教の開祖だから持ち上げるんではなく、経文上の証拠から、あるいは道理の上から、そして現実の日蓮大聖人のお振る舞いの上から、日蓮大聖人を御本仏であると仰ぎたてまつっていることが正しいことがおわかりでしょう?
そして、そういう客観的な面から申し上げることももちろん大切ですが、何よりも、ご本人にそういう自覚があったのか無かったのか、ということが重要になってくるのですが、他門の日蓮宗では、「まさかご本人にそういうお考えがおありになったはずがないではないか」と言い張りますが、もう一度、虚心坦懐、この『諌暁八幡抄』を、静に読み返してみるべきなのです。
「月は光あきらかならず。在世は但八年なり」
月は光がさほど明るいというわけではありません。これは、お釈迦様の法華経による御化導が、ただ八年に限定されていたことを象徴しています。
在世とは、仏様がこの世に在した期間のことをいいます。
それに比べて、「日は光明、月に勝れり。五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」太陽の光は、確かに、月より格段にまぶしいほどに光かがやいています。
これは「五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」とは、まず五五百歳ということですが、これは五番目の五百年という意味です。ちなみに、一番目は解脱堅固の五百年、二番目は禅定堅固の五百年、この二つを正法時代といいます。次の三番目は読誦多聞堅固の五百年、四番目は多造塔寺堅固の五百年、この千年を像法時代といいます。そして、この五番目の五百年は闘諍堅固・白法隠没といって、釈尊の仏法の力が消滅して漆黒の闇が世界をおおう、末法の始めをいうのです。
しかし、この時は同時に、久遠元初という仏法の始源の時の再現宜しく御本仏が誕生されて、妙法の太陽が東天に昇り出づる、新たなる仏法出現、最初の時に当たっているのです。
これを、明暗来去同時といいます。
そして、この三大秘法の南無妙法蓮華経は、末法万年の長きにわたって、全人類の無明煩悩の闇という、人に不幸をもたらす根本原因のどす黒い命を明るく照らし、変毒為薬、毒を変じて薬となしていきますから、まさに、太陽の光は、この御本仏日蓮大聖人の仏法が尽未来際に至るまで全人類を利益していくことを表す、前ぶれ、前兆、吉瑞としての姿と言うことができるのであります。
そして、そして、この月の光は釈尊に、太陽の光を大聖人にたとえるのは、こればかりではありません。
お釈迦様は法華経誹謗という極重大病の人を治すということをなさいませんでした。それは、お釈迦様の時には、そういう人はいなかったからです。
仏の教えをそしることが無いように、いわゆる私どもが仏のお姿として信じている格好で身を飾り、人々の要望願望に従って教えを展開しながら、しかも徐々に徐々に境涯を高めさせ、そうして皆の心を一つに融合させ、その間、四十二年間もの長い時間を費やされ、法華経を謗る者の無いのも当然なのです。
それでも、法華経に背く人が出そうになった時にはその前に、この人達をして座を立たせてしまわれたのです。
それが『方便品』の五千人の人々の作礼而去なのです。彼らは、自分の意思でそうしたように思い込んでいましたけれど、本当は仏の神通力で、そうなさしめられたのです。
彼らは、これだけ用意周到の御化導を受けながら、いまだ得ざるをこれ得たりと思い、いまだ証せざる…、悟っていないのに悟ったと思い込む、増上慢の命が生まれつつある人々だったのです。
だからこれ以上、この座にいれば、必ず法華経を誹謗して、今までの功徳を帳消しにして地獄に堕ちてしまうことがおわかりになったから、それが不憫で、仏様は彼らを座から去らしめられたのです。
そして、若遇余仏・便得決了、もし、自分以外の仏(大聖人)に遭遇すれば、たちまち成仏することができる、と言い置かれたのです。
さて、ここでクイズです。この時、お釈迦様が御化導を放棄され、増上慢の命のため成仏ができず、放浪の旅を続けた者の末裔とは誰でしょう。
それは、私どもなのです。まさに今、仏様の未来記の通り、お釈迦様以外の仏様、日蓮大聖人にお会いして、成仏させていただく機会が巡って来ているのです。
それはさて置いて、このようにして、純有貞実という、汚れを持たない人々だけを相手に、お釈迦様の法華経の化導は行われたのです。
しかし、よくよく考えて見てください。簡単な病気しか治すことが出来ないお医者様と、他の人にとってはお手上げの、すべてのお医者様が匙をなげられた患者を喜んでお引け受けになって、大変な重病をお治しになるお医者様とは、どちらが優れていると言えるでしょうか?
普段のちょっとした病気だったら、そこら辺のありふれたお医者さんでもいいでしょう。
ところが私たちの病気は、最低最悪の極重大病なのです。
このことを日蓮大聖人は『大田入道殿御返事』に、「大涅槃経に『世に三人の其の病治し難き有り。一には大乗を謗ず。二には五逆罪、三には一闡提。かくの如き三病は世の中の極重なり』」(九一一頁)と仰せになっているのです。
この極重の病気を退治することができるから、大聖人の南無妙法蓮華経は太陽であり、これを対治されることのなかった釈尊の法華経は月なのです。
『曾谷入道殿許御書』には、「大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知し、この逆・謗の二罪を退治せしめんが為に、一大秘法を留め置き給ふ」(七八二頁)
かつて釈尊は、仏様の未来を見通す眼でもって末代の我らの時代の様子をご覧になった時、五逆罪と謗法の者らが充満することをかんがみられ、この二つの罪を消滅させるために、上行菩薩に託して、一大秘法をこの土にお留めになられました。
この重病の謗法を治す、ただ一つの良薬。その一大秘法こそ、我らが総本山の奉安堂に御安置申し上げるところの、一閻浮提総与の大御本尊様であります。
真剣に唱題に取り組み、人にも勧めて参りましょう。