寂日房御書

「経に云はく『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』と。此の文の心、よくよく案じさせ給へ。『斯人行世間』の五つの文字は、上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり。」

 この『寂日房御書』は、弘安二年九月十六日、大聖人様が御年五十八歳の時、寂日房にお与えになったお手紙でございます。
 寂日房については、詳しくは寂日房日家といい、上総の国、つまり現在の千葉県の、夷隅郡興津の領主である佐久間兵庫亮の子供で、文永年間、大聖人様が房総地方を巡化された時、一家をあげて大聖人様に帰依し、その時日家も大聖人の弟子になり、後に、安房の国、現在の千葉県南部の、大聖人御聖誕の地である小湊に誕生寺を創建したとされています。
 この御書は冒頭に、「是まで御をとづれかたじけなく候」とあるように、寂日房がはるか彼の地よりよこされたお手紙に対する御返事です。
 そしてこの次に、あの有名な御文が記されています。いわゆる、
 「夫人身をうくる事はまれなり。已にまれなる人身をうけたり。又あひがたきは仏法、是又あへり。同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者なり。」
の御文章です。
 私たちがこうして人間としてこの世に生を受けることは、極めて稀なことであることを先ずお示しです。私たちはありふれたことと思っていますが、本当は人として生まれることは、容易なことではないのです。ゆえに『崇峻天皇御書』(一一七三頁)にも、
「人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露」
と説かれているのです。つまり、得難い上に失いやすいのが我らの命であると仰っているのです。また、『戒法門』という、二十二歳の時におしたためになった御書にも、
 「それ人は天地の精、五行の端なり。故に悟りあて直きを人と云ふ。心に因果の道理を弁へて人間には生まれける由を知るべし。一代聖教のおきてには、戒を持ちて人間には生まるるとおきてたり」(十二頁)と、どれほど素晴らしく、また勝れた果報であるかをお示しになっているのです。
 先ほどの例えですけれど、桜島の火山灰を右手にどっさり取って、それを左手の爪の上に落として、果たしてどれくらいの量が残っているでしょうか。多分、ほとんど残っていないか、奇跡的に残っていても、ほんの一粒か二粒に過ぎません。生命は、地球上の色んな生き物に生まれ変わる可能性がある中に、人間として生まれるということは、このほんのわずかな確率に等しい、いやそれ以上であると仰っているのです。
 その得難い人間の命を、すでに私たちはこうして受けることができました。しかし、ようやく人として生まれても、仏法に出会うことがこれまたむずかしいのです。ところが私たちは幸運にも、その遇いがたい仏法に遇うことができました。
 そして、その遇い難い仏法の中にも、釈尊ご自身が一大事の因縁・出世の本懐と名指しされた法華経の、さらにその肝心であるところの、寿量文底の南無妙法蓮華経の題目に巡り会うことができ、結句・ついには題目の行者となることができました。これは経文によると、過去に十万億にも及ぶ仏を供養した果報でもって、御本尊様を受持信行できる境涯になることができたということです。なんと喜ばしいことではありませんか。
 その中にあって、「この日蓮こそ日本第一の法華経の行者である」と言っても、決してうぬぼれでも出任せでもなんでもありません。
 なぜそう言えるのか。それはすでに、法華経の『勧持品』に説かれている、末代悪世の真実の法華経の行者はかならず、俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢という三類の強敵によって、悪口を言われ罵られることは元より、杖でぶたれ刀で斬りかかられ、瓦や石を投げつけられ、毒を盛られ、讒言せられ、しばしば所を逐われるなどの、数多くの命に及ぶほどの大難に遭うであろうとの仏の未来記を、全部その身で受けられたからです。
 経文を読むということについて、大聖人様はこれに三つあることを『土籠御書』(四八三頁)にお示しです。それが、
 「法華経を余人のよみ候は、口ばかり言葉ばかりは読めども心は読まず。心は読めども身に読まず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」
の御文です。
 人が法華経を読むのは、口先ばかり、言葉ばかりは声を張り上げて読むけれど、本当に心で読んでいる……、上辺ばかりでなく仏語は実にして虚しからず……空想の産物などのたわごとではないと心底信じている者はいません。そのなかに、わずかに心から信じているものがいたとしても、実際にそれを日々夜々に実践し、こうすればこうなるとの経文どおり、その迫害法難のすべてを身に受けたもの――、つまり身読したものは、これまでの仏法の歴史上いまだかつて只の一人もいません。心も大事、しかしそればかりでなく、実際の経文どおり身をもって実証体験できたものをこそ、尊いと言えるのです。
 その比肩する者がいない日本第一の法華経の行者こそ、我らが日蓮大聖人様その人なのです。
 ちなみに「俗衆増上慢」とは、法華経の行者を口汚くののしり、刀杖を加えたりなどの迫害をする、仏法に無知な在家の人々のことです。
 「道門増上慢」とは、高慢ちきでしかも邪智だけには長けている邪宗の僧侶らのことです。
 「僣聖増上慢」とは、よこしまな命を持たず、しかも物事の一切に通じているかのような聖者を装い、これが功を奏して世間に名は通ってはいるものの、内面では利欲に執着し、常に悪心を懐いて、法華経の行者が清貧のままに仏法の真実を、言葉も飾らず民衆に語るのを見るに堪えられず、これを怨嫉し、ついには権力と結託して流罪死罪に行おうとするもののことです。
 これら「三類の強敵」が、題目を弘める者の前に必ず立ちはだかって迫害をなそうとも、我等はこれを忍んで妙法を弘通いたしますと、決意のほどを仏に示した八十万億那由他の菩薩は、口ではお述べになったけれど、実際にこの世にお出ましになって、このような修行をされた方は、誰一人としておられません。
 経文に説かれていることの一つ一つ――文々句々が、どの一つも違えず、但ひとりの日蓮大聖人の一身の上に現実となるということは、前代未聞――つまりいまだかつて無かったことであり、これを不思議と言わなければ、何をほかに不思議と言えるでしょうか。
 かかる不思議の日蓮大聖人をお生みになったご両親は、これまた日本国のすべての人々のなかに於いて、一番の果報の方であると、言うべきでありましょう。
 その人の父母となり、あるいは親子となるのもただの偶然ではない、かならず宿習なのです。過去世からの因縁によるものなのです。
 若し、日蓮大聖人様が法華経・釈迦如来のお使いであるならば、どうして両親にそれ相応の因縁由来、由緒が無いことがあるでしょうか。
法華経の『妙荘厳王本事品』に説かれる妙荘厳王という父、そのお后の淨徳夫人という母、そしてその王子の淨蔵・淨眼の四人が家族として生まれてこられたのさえ、過去に、共に法華経を行ずる同志であった因縁が語られているではありませんか。
 それは……、父となり王となられた方は、昔、他の三人のため、縁の下の力持ちに徹した方だというのです。というのも、四人が四人とも信心修行のため家を空けていては、炊事も洗濯も家の片付けもする者がなく、家はゴミ屋敷のようになってしまいます。
 それで、この人はみんなが思う存分信心に打ち込めるように、あるいは外から帰ってきて疲れているのに、それから食事の準備に取りかからなくても良いように、家の中の家事一切を引き受けてくださったのです。
 この四人は次の世に生まれて来るときも、昔大の仲良しだった関係で、今度は家族として巡り会うことになりましたが、みんなが修行に打ち込めるよう影の力になってくださったあの方は、この功徳によって国王となり、みんなの父となって生まれ変わりました。しかし、過去の修行が充分でなかったためか、今世では信心を素直にすることができません。そこで、ほかの三人は、この方の昔の御恩に報いるために、信心のすばらしさを実証で示して、ついに父である王を信心に導き入れることができたのです。
 これらのことを踏まえて考えれば、宝塔の中の釈迦・多宝の二仏が、日蓮大聖人様のご両親となられて、日蓮大聖人をこの世に生み出されたのかもしれません。というのも、『見宝塔品』の中で、お釈迦様と多宝如来が、多宝塔の中に並んでお座りあそばされて談合を重ねられ、互いに頷きあわれたのは、ひとえに地涌の菩薩の棟梁・上行菩薩を召し出して、この妙法蓮華経を末法濁悪の世に弘めんがためであったということは、経文を見れば明らかであるからです。
 もしくは、あの仏より神通力をたまわって、末代悪世の様相をビデオでも見るように観察して、三類の強敵の出現を予見した八十万億那由他の菩薩が、自身は弘教することは出来なくても、その弘通される方をこの世に生み出すため、その両親となって出現されたのかもしれません。はたまた、唯一釈尊より末法における妙法蓮華経の弘教を託された、地涌の菩薩の上首唱導の師たる四人の菩薩――、つまり上行・無辺行・淨行・安立行菩薩の中の垂迹として、両親の身を現して日蓮大聖人様をお生みあそばされたのでしょうか。
いずれにしましても、まことに不思議としか言いようのないことであります。
 さて、すべてのものにわたって、名前が大切であるのは当然であります。それゆえ天台大師も妙法蓮華経の五字を解釈する時、名体宗用教の五重玄をもってされましたが、その筆頭に他の四つを総括する意として、まず名玄義を挙げられました。そして、聖人が至極の深理に名を建立あそばされる所以として、「視聴の者をしてことごとく見聞することを得さしめんがためであること」を述べられています。
 かくも、そのものにふさわしい名が付けられるということは大事なことであります。
 日蓮大聖人様が、ご自身で「日蓮」と名乗られたことは、「自解仏乗」とも言うべきものだと、自ら仰せです。
「自解仏乗」とは何かといえば、「師の説法を聞くことなしに、真実の仏の境地を悟ること」をいいます。
 しかし、日蓮大聖人がご自分でこのように仰せになれば、こざかしく、また思い上がりもはなはだしいように多くの人は受け取るかも知れませんが、道理の指し示すところ、誰もが首肯せざるを得ないことがあるように思えるのです。
 というのも、法華経の『神力品』には、「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と書かれているのを、よくよく考えてみるとよいでしょう。
 この中に「斯人行世間」の五つの文字は、何を意味しているのかというと、「上行菩薩が末法の始めの五百年に、五道の中には人として御誕生になり、南無妙法蓮華経の五字の大灯明を閻浮提のなかには日本国に始めて掲げられるということ。そして、すべての人々の無明煩悩という心の闇をくまなく照らして成仏の境涯へと導かれる」ということです。
 この中に無明煩悩と有るのは根本の迷いで、私たちが妙法蓮華という尊極の仏の当体であることを知らず、またそうであると信ずることを拒絶する命が、我が身の尊厳を知ることを妨げてしまうために、常に己自身を卑しみ、軽んじ、様々に惑うことで自棄になり、おのずと十悪業などを犯し流転しいく姿となるのです。
 これらを根底から救うために、先ず自ら折伏という名の本因妙(真実の仏の因)の修行を行い、ついには仏としての内証真実の姿を顕し、これを人々に本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇という三大秘法として授与され、題目を唱えせしめることは、上行菩薩お一人に与えられた資格・権能なのです。ゆえに、龍樹菩薩も天台大師も伝教大師も譲り状無きがゆえに、心にはご存知であられたけれど、決して口にお出しになることはありませんでした。他の一切の介在――他の者が手を出したり、口を差し挟んだりすることを許さないのです。それは法華経を見れば明白です。
 まず『宝塔品』では、「誰か能く此の娑婆世界に於いて、広く妙法華経を説かん」と、仏滅後の此土(娑婆世界の)弘教をすすめられたのに対し、『勧持品』では、二万の菩薩が此土に、五百の羅漢・学無学の八千人の声聞が他土に、八十万億那由他の菩薩が十方世界にそれぞれ弘教を誓い願い出ました。さらに『涌出品』では他方の国土よりやってきた八恒河沙の菩薩達が此土における弘教を願い出たのに対し釈尊は「止みね善男子」と、この一言をもって制止され、下方の大地より地涌の菩薩を召しいだされ、その棟梁たる上行菩薩に妙法蓮華経の五字七字を授与されたのです。
 それが、「斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅す」の言葉なのです。
 これと日蓮とお名乗りのことが、自解仏乗という「真実の仏の境地を悟ること」とどういう関わりがあるのか、ということですが、上行菩薩は日月の徳をお持ちであることは、今まで幾度も見てきた通りです。
 上行菩薩も人々の心の闇を照らすということで、日月が地上を照らすことに於いて、同じなのです。ですから、上行菩薩を日月と置き換えることができるのです。
 ゆえに『産湯相承事』(御書一七○九頁)に、
 「日蓮の日は則ち日の神、昼なり。蓮は即ち月の神、夜なり。月は水を縁とす、蓮は水より生ずる故なり」
と、述べられているのです。
 つまり、文字通り「日蓮の日は日月の日である。日蓮の蓮は日月の月である」とあります。それで、蓮がどうして月の精(神)なのかということは、月は水を縁としてそこに宿り、その水より生ずる蓮華は月の精、変化の姿である、ということなのです。
 月と水の関係は、もう幾度となくお話ししてきましたから、覚えておいででしょうけれど、後漢時代の王充という人の撰による『論衡』には、「月は水の精なり」と書かれています。
 これらのことからも、日月はすなわち日蓮の二文字に置き換えることができるのです。
 日蓮すなわち日月、日月すなわち日蓮なのです。
 このことは、私の勝手な推測ではなく、日寛上人も『蓮祖義立八相事』という書に述べられているというのも、以前述べました。
 念のためもう一度引用しておきますと、(研究教学書九巻六六二頁)
 「本化(地涌上行)の徳を説いて云はく、『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如し』と云々。乃至これらの文意は、本化(地涌の菩薩の棟梁上行)菩薩、末法に出現して、応に日蓮と号すべしと云々。乃至この文に日蓮の義あり。謂く、日月即ち是れ日蓮なり。日は即ち文のごとし。月は水を縁となし、蓮は水より生ずるゆえなり」
と。以上の事から、大聖人さまが日蓮とお名乗りになったのは、「自解仏乗に等しい、すなわち自ら仏の境地を悟った事の声明である」と、仰っているのです。
 それでも、大聖人は立宗宣言された直後に日蓮とお名乗りになったのであって、まだ修行も迫害法難にもお遭いになってなかったではないか、と疑問をお持ちの方へは、「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空の五大即妙法蓮華経なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(総勘文抄・一四一九頁)あるいは「聖人、理を観じて万物に名を付するの時、因果倶時・不思議の一法之あり。これを名づけて妙法蓮華経と名づく。この一法に十界三千の諸法を具足して欠減なし」(当体義抄・六九五頁)との妙解の上に、これを迷いの中にある人々のために言語にして教え、しかも、自身はこれを境妙御本尊と立てられて、本因妙という修行にうって出られたのです。
 ゆえに次下に「聖人、此の法を師と為して修業したまふ」と述べられているのです。
これすなわち妙行です。これを従果向因の法門というのです。
 ですから、傍目にはまだ修行も何もないように見える時だったのですが、上行の再誕としてその徳・日月を日蓮の名に置き換えられて、みずから名乗られたのです。
 しかし、日蓮大聖人様の仏法を修学すること短く、膝下にあって学ぶ機会が少なかった寂日房日家へは、へりくだったお言葉を用いて自身を「日蓮等此の上行菩薩の御使ひとして」と述べられ、耳を疑い心を驚かせぬよう細心の注意を払って、徐々に境界を深めていけるよう御指導されているのです。
 そして、日蓮大聖人様が、万民を相手に題目を受け持つよう勧めているのは、このような深い意味からのことであり、 この身延山に入ってからも、人には隠居のように受け止められているけれど、実は以前と変わらず広宣流布実現のため、弘教の手をいささかもゆるめることなく励んでいることをご表明なのです。
 『神力品』には、冒頭に掲げた経文に引き続いて「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と誡められています。
すなわち、お釈迦様が亡くなられたあと二千年たったいわゆる末法の人々は、この上行菩薩の弘宣される南無妙法蓮華経の御本尊を受持信行すべきである。この人は成仏ということについて、大地を的として矢を射るようなもので、必ず成し遂げられるということは、決して疑いを差し挟む余地の無いことであると、お釈迦様が太鼓判を押されているのです。
 そして、このような者(日蓮)の弟子・檀那となった人々はあれこれ迷わず、これは宿縁が深いのだと思って、日蓮と同じく法華経を広めて、仏様のお眼鏡にかなっていきなさい。
 法華経の行者と言われてしまうことは、「乗りかかった船だ」という位の諦観した気持ちで受け入れていきなさい。もう、免れることが出来ない身なのです。いっそ、法華経に功名を立ててみせる!ぐらいの気持ちで挑んでいきなさい。腹をくくって、本気で取り組んでいくってことです。
 過去の樊噲・張良・将門・純友などという豪傑・英雄と言われた人たちは、名を惜しみ・恥を思うゆえに、たとえ窮地に陥っても臆病風に吹かれることはありませんでした。彼らは、そうした人々の口に「臆病者」とのぼることさえ恥ずかしいと思って行動したのですが、今生の恥など物の数ではありません。ただ、後生の恥こそ大切であります。
 一生の内の信心がおろそかで、獄卒の奪衣婆や懸衣翁が三途の川のほとりで、死者の衣装を無理やり剥ごうとするときを思い描いて、法華経の道場たる寺院や総本山に、喜びいさんで参詣していくようにと、懇切に指導され、いよいよ強い信心に立って、折伏弘教に頑張っていくよう激励されているのです。
 私たちもこの御書を胸に、日如上人猊下様の御指南のままに、薩摩広布のために団結前進してまいりましょう。
以上

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