始めは事無きようにて終に滅びざるは候はず
四月度のお経日にあたり、永代供養の方々、また本日願い出のお塔婆供養の方々、それぞれねんごろに御回向もうしあげました。
本日の供養のために、少々お話しをもうしあげますので、しばらくお耳を御拝借願いたいとぞんじます。
さて、最近創価学会の者が盛んに法華講員の家へ来て、創価学会にもどるよう説得してまわっているということを聞いています。
いわゆる、脱講運動というやつです。
本日おみえになっていらっしゃるような方は何も心配いらないんですが、日ごろそういう創価学会員の話も、僧侶の創価学会批判の話も聞きたくないと耳をふさいで、情報を自ら遮断されていらっしゃるような方が、意外とこういう創価学会員の話に丸め込まれやすいのです。
大聖人様は娑婆世界に住む人々の習いとして、自分はそういうゴタゴタにはかかわりたくない。そして、人からはおだやかな人と思われたい。また、どのようなことがあっても、自分の信念は一貫して変わらないものである。そう思って、そういう回りの情報を一切シャットアウトして、自分の心がかき乱されないように自分の周囲にガードを設けている人は、しっかりしてるようで、逆に簡単に人にだまされやすいものであるとして、次のような例えをあげられています。
「魚は命を惜しむ故に、池にすむに池の浅きことをなげきて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑにばかされてはりをのむ。鳥は木にすむに、木のひききことをおじて木の上枝にすむ。しかれどもゑにばかされて網にかかる。人も又かくの如し」〔佐渡御書・五七八ページ〕と。
人は誰だってわずらわしいもめごとにかかわるのは御免です。あるいは、創価学会の非をただすことによって、今まで仲の良かった人たちが急に自分に対して冷たくなるのも普通の人には耐えられないことです。
それに、どっちが正しい、いや間違っていると言い合うことは、醜いコップの中の嵐のようで、世間体も悪く、何より自分の人格すら貶めてしまうようで気持ちよくありません。
しかし、それは自分さえ良ければいいという、本当に思慮の浅い捉え方です。そういう人はえてして、彼らを何とか救いたいと、猊下様が最前線で創価学会員の身に入っている魔と戦っていらっしゃるのに、それすらも、どこで聞いたのやら、学会の謀略宣伝に乗せられて、結局自分で撒いた種じゃないか、とか、遊蕩三昧の法主だからこのていたらくだと、口に出さないまでも、心の中で思い、自分がこの戦いに臨まない都合の良い言い訳にし、自分ばかりが良識ある人間であるかのように取り違えをしたりします。
ですから、魔は、そういう人々の命をみすかして、ものの見事に、簡単に彼らをおとしてみせるのです。それは、ほんのわずかなエサでいい。
だから、私たちがそういう風にならないように、事前にお話ししておきたいのです。
まず、彼らが法華講員を創価学会に引きずりこむのに成功しても、この人をちやほやニコニコ優遇するのは、ほんの数ヶ月だということです。
彼らは、一度創価学会を正義にめざめ脱会した人を、二度と信用いたしません。ただほめそやすそぶりをみせてるだけです。彼らは、ふたたび創価学会に入会したものを、ひそかにブラックリストにのせ、要注意人物として、気づかれないように常に監視し続けるのです。そのような、影の組織が学会にはあるのです。
そして、創価学会の幹部の者たちは、誘導尋問によってこの人から引き出した発言を元に、自分たちが大幅に手を加えたこの人の告発記事らしきものを、聖教新聞や創価新報にセンセーショナルな見出しで掲載し、この人の口や手を借りて宗門や法華講の組織をののしり、イメージダウンをはかるのです。
さらには、座談会やさまざまな会合で、創価学会側で作成した体験談の原稿を読み上げさせられ、いかにも法華講の組織や寺院での信心にへきえきした、ということを、これでもかこれでもかという具合に、発表させられるのです。それが半年ぐらいです。
その後、新鮮味が無くなって、利用価値が無くなったこの人は、もう信心はコリゴリ、創価学会もお寺もイヤ、という、まさにボロボロの雑巾のような状態にして、ポイと捨てられるのです。
実際に、彼らの誘導に負けて、日蓮正宗の清浄な信心を捨てた人が、どのような無残な末路をたどっていかなければならなかったか、そういう哀れな姿をこの目で見させていただいたことがあります。私たちの力が足りなくて、このような状態になるのを押し止めることができなかったのですから、その時は本当につらい涙を流さざるをえませんでした。自業自得とはいえ、まさに「賞罰、厳しき御本尊」であります。
これは、ここにおすわりの、日髙講頭も御存知のことであります。
現証と言えば、創価学会の人たちが鼻息も荒く、日蓮正宗のクソ坊主をとっちめてやると、いつも一人ではなく必ず二、三人で徒党を組んでまいりますが、この押しかけて来た者たちが、いつも自分たちの旗色が悪くなると恐ろしい形相で言う、決まり文句というか、捨て台詞があります。それは、「屁理屈じゃ叶わないけど、現証勝負だッ」というものです。
どうやら、正しい方には功徳があらわれ、間違っている方には恐ろしい罰が出るから、それで正邪を決しよう。泣きを見るなよ、という意味らしいのです。
このようなことは普通、よほどの自信と根拠が無ければ言えないことですから、このような大きな態度や声で言うのは、何か自分たちによほどの確信があってのはずだと、一般の人は動揺するらしいのです。皆さんはいかがでしょう。
私は、彼らの根拠が、ただ池田先生がそうおっしゃっているから……、というだけであることを知っていますから、何も驚かないのです。ただのこけ脅しなのです。だからそういう場面に遭遇しても、そういうことしか言えない彼らに、逆に哀れみさえ感じます。
ところが、彼らのいう「正邪を決する現証」、いわゆる現実の証拠、三才の子供でもわかる形が、続け様に本当に出たのです。
まことに、あの創価学会員の人たちのおっしゃる通りでした。
それは、平成十三年五月二十一日、池田創価学会名誉会長の側近で、信任厚かった西口浩副会長が死去されたことです。五十三才でした。
人が亡くなることは、これは何も創価学会の人ばかりでなく、私たちの仲間でも当然これは起こりうることです。ところが、これから少し挙げる人たちの場合は、そういう普通の死去ではなく、まさに、私どもの家を訪ねてくる創価学会員の人々が云う、こうしたからこうなったという、仏法の厳しさ因果の理法を示す、現実の証拠、つまり現証に当たるものなのです。
西口氏は、足立区の創価学会総責任者から創価学会が作った青年平和会議の議長を経て、平成五年、池田名誉会長の抜擢で創価学会の広報室長に就任します。
それよりは膨大な資金力に物をいわせ、あるいは、潮などの学会系のメディアを動員して、日顕上人や創価学会を脱会された法華講の人たちや僧侶を執拗に口撃してきたのです。
ところが、そのお話しするのがお役目の広報室長西口氏が、舌のガンでお亡くなりになるのです。
しかも、その死はしばらく伏せられて、なんと家族葬という極々身内だけで済まされたというではありませんか。あれだけ、池田名誉会長に尽くされた方なのに、本来ならば「創価学会本部葬」をもってされても惜しくない人がです。
例えば鹿児島の末端の創価学会員などは、創価学会に葬儀の導師を依頼しさえすれば、どんな人でも葬儀の参列者が少なく惨めな思いをしないようにと配慮されて、友人葬・同志葬という名でもって動員を呼びかけ、時には霧島や川内の方からもやってくることがあるのだそうです。そして、三色旗を振りながら学会歌を歌い、普通一般からすればまことに派手な葬式を行っているにもかかわらずです。ところが、それだけではないのです。
あの「プレイガール」というテレビドラマで姉御役を演じて一世を風靡した「沢たまきさん」も、参議院・議員宿舎のお風呂場で、「虚血性心不全」のため死去されたというのです。平成十五年、すなわち、七年前の八月九日のことです。享年は六十六才でした。
彼女は、あのテレビでのイメージを買われて、総本山大石寺の墓地をご自身も購入されているにもかかわらず、大石寺が墓地として認可されている土地以外に墓地を広げ不当な利益を得ていると、宗教法人大石寺と、その住職である日顕上人猊下様を裁判所に訴え、同じ趣旨で動員された他の創価学会員とともに、うすぎたない言葉で猊下様をさんざん誹謗されたのです。
そして、その論功行賞として公明党から出馬、創価学会員の票によって参議院議員に当選されて、政治には全くのずぶのしろうとでしたが、まさにわが世の春を満喫されていたところでした。
でも、本当は大変な辛労があったのかもしれません。その人生の幕は、誠に突然に下ろされたのです。本当に不本意であったことでしょう。それだけじゃないんです。
今度は、同じ平成十五年の暮の十二月二十四日、総本山を去った離脱僧の中で、最も頭脳明晰と自他共に認め、その教学の知識をフルに悪用して猊下様を盛んに誹謗していた椎名法昭氏が、「多臓器不全」ということで死去されたのです。五十一歳でした。
創価学会員が当時、盛んに勝った勝ったと言って、聖経新聞のコピーを持って回っていましたが、最高裁が宗門の上告を棄却したあの「写真偽造事件」の写真は、この法昭氏の父親の古希の祝いに、この親子ともう一人の僧侶とで猊下様をはじめ、僧侶を十一名、そして、その方々の奥様たち九名をご招待もうしあげた会食の席であったにもかかわらず、これを、猊下様がお一人で、信徒の真心の御供養を湯水の如く散財・遊蕩する姿にでっちあげたのは、ほかならぬ、この椎名法昭氏と野崎勲副会長だったのです。
裁判の記録からすると、法昭氏が、当時自らが撮影したスナップ写真を創価学会の連絡局の局長であった竹入央迪氏に渡し、竹入氏は特別企画室の室長であった野崎勲副会長に渡したのです。
そこで、この野崎副会長は、この写真を利用して日顕上人をこきおろす記事を作るよう部下の木村芳孝氏に命じたというのが、この木村氏の裁判所での証言なのです。
この写真偽造〔コンピューターのスキャナーで読み込んで、周囲の人を消したりしている〕は、猊下様個人への名誉毀損に当たるのみならず、日蓮正宗の教えから言って、同時に猊下様が必ず御住職をおつとめになる大石寺と、猊下様が管長にご就任される日蓮正宗をも、その名誉を著しく毀損するものであるという当方の訴えを、日蓮正宗の教義の独自性を理解できない最高裁は、「名誉毀損に当たらない」と、宗門側の上告を棄却したのです。(猊下様個人に対する名誉毀損は確定しています)
そのことを創価学会は、「勝った勝った」と馬鹿騒ぎをし、最高裁が、日顕上人猊下様がいい加減な御法主であることを認めたと、愚にもつかないことを宣伝して回っているのです。皆さんは決してまどわされてはいけませんよ。
その創価学会の行為がいかに卑劣で愚かなことか。これを諭すように、まず椎名法昭という人が、まるで大聖人様が『兄弟抄』(九七九頁)に、「獅子を吠うる犬は腸くさる」とおおせの通りの死因をもって亡くなり、さらにこれに間髪を入れず、強烈なインパクトを創価学会員に与えるように誰かがお考えになったかのように、今回の問題の、日蓮正宗攻撃の最高責任者・司令官としての野崎勲氏が、先ほどの最高裁が宗門の上告を棄却した二月二十四日から一ヶ月もしない三月十四日に、あの沢たまきさんと同じ「虚血性心不全」で亡くなったのです。六十一歳でした。
そしてやはり、その衝撃の波紋が広がるのを恐れるかのように、その偉大な功労者の葬儀は「親近者による家族葬で営まれる」(聖教新聞・平成十六年三月十六日付け)と前もって宣告されてしまいました。
創価学会学会員の中にはお世話になった人もいたでしょうから、お通夜や葬式に参列したいと思った方もいたはずです。しかし、聖教新聞でこのように書かれれば、葬儀場に行こうにも、親近者による家族葬だから行かないようにと本部から足止めをされているようで、一般の会員は行きづらくなるのではないでしょうか。
何を創価学会の上層部は隠そうとしているのでしょう。怖いのです。また、あまり知られたくないのです。
あれだけ渾身の力をふるって池田先生を守り、創価学会を守って、戦いに戦っていった人ですから、これは創価学会が求めるあるべき人の姿として、お手本として、鏡として、師匠の池田大作氏も野崎氏のひつぎの横に立って、大勢の会員を前に一筋の涙でも流しながら彼の功績がいかに偉大であったか、最大級の賛辞をもって讃えるべきでしょう。それもしていません。
亡くなられた三月十四日は、創価学会の3・16「広宣流布記念の日」を世界で祝うイベントが目白押しの最中です。この一連の記事でにぎわう「聖教新聞」の片隅に、彼の死を知らせる記事がそっと載っています。この表面のにぎやかさ派手さと、この裏面の暗さとのギャップはなんなんでしょう。
だから創価学会では、なんとかこの死の連鎖の恐怖から人々の目をそらすため、しゃかりきに脱講運動に創価学会員をかりたてているわけです。できるだけ、彼らの死の衝撃を薄めるためにです。
そんなわけで、創価学会員の方々が、あなたたちの家をたずねてやってくるのです。あの方々の内、大幹部は内心おびえて、がたがたふるえておられるのですが、この際、なぜこのような現証を見なければならなかったか、じっくりあなた方が諭してあげてください。
これを言えば、創価学会の人たちは、人の死を卑しんではならないと言うかもしれませんが、私たちは死者を決して卑しんだり、あざけり笑っているわけではありません。峻厳なる死を前にして、この御本尊だけはいい加減な気持ちではだめだと、改めて信仰に対する気持ちを戒めているところです。
ましてや、これは、創価学会の人たちの、自らの謗法の原因に基づく結果ではありませんか。創価学会の人たちこそ「宗門と創価学会、それぞれの中で起きる現証で勝劣を決しよう」と申されたのであります。
私がこう言っても、身内の法華講の人が「いくらなんでも死者に鞭打つようなことをいっては、人で無しになる」などと思ってはなりません。
大聖人様も『乙御前御消息』に、「檀彌羅王と申せし悪王は、月氏の僧の頸を切りしにとがなかりしかども、師子尊者の頸を切りし時、刀と手と共に一時に落ちにき。弗沙密多羅王は鶏頭摩寺を焼きし時、十二神の棒にかふべわられにき。今日本国の人々は法華経のかたきとなりて、身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり。かう申せば日蓮が自讃なりと心得ぬ人は申すなり。さにはあらず、これを云はずば法華経の行者にあらず、又云ふ事の後にあへばこそ人も信ずれ」(八九七ページ)とおっしゃっているのです。
この中で言われている檀彌羅王というのは、北インドのケイヒン国の王様でしたが、仏法を信ずる心がまったくない悪名高い王様でした。
この王様が、国内の仏教寺院を次々と破壊し、国中の僧侶を殺害するという暴虐のかぎりをつくしましたが、その時には何の罰も現れませんでした。
しかし、お釈迦様の亡くなられた後、バトンリレーのように仏法を伝えるお役目の人を付法蔵といいますが、その第二十四代にあたる師子尊者という方の頸を切ったところ、恐ろしいことに、逆に王の腕が見えない力によって断ち切られ、刀もろともその腕がドサッと大地の上に堕ちたというのです。
次の弗沙密多羅王は、アショカ王の末裔で孔雀王朝の最後の王といわれていますが、これまた悪王で仏法をたいへん嫌っておりました。この王が鶏頭摩寺という、かつてアショカ王が建てたインドの中心的寺院(総本山のようなものです)を焼き払った時には、ここを守護する十二体の神々の棒によって、頭をたたき割られたと言います。
いわんや、今末法の世に、教主釈尊の勅宣を捧持して、南無妙法蓮華経を広めんとする法華経の行者・日蓮を迫害するものは、すべて法華経のかたきとなることによってその身を亡ぼし、やがて国を滅ぼすことになるのです……。
このように言えば、何と日蓮はうぬぼれの強い僧侶だろうと云うかもしれませんが、そうではないのです。これを言わなかったら真実の法華経の行者じゃありません。言って、その後実際にそうなって、それを見せつけられてこそ、人はこの日蓮のいうことは本当だったと、やがて南無妙法蓮華経をも信ずるようになるのではないでしょうか。
この仏法は生きています。生きている証拠に、これを真剣に修行すれば、必ず功徳があらわれます。これをあくどい形でそしれば、還著於本人といって、そしった人に罰の現証がかならず出るのです。まちがった人に罰が出なければ、正しく修行された方にも功徳はありません。
この賞罰の厳然たる姿を見て、人は真実の宗教の存在を知るのです。
ですから、大聖人様のように(聖人御難事・一三九六ページ)「過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(過去や現在に、日蓮正宗の御本尊を信ずる僧俗、ことに猊下様を軽んじ卑しむ人は、始めは何事も無いようだけれど、必ず罰の現証が出ないものはない)と叫ばなければならないのです。
あるいはかつて、九州の普賢岳が二百年ぶりに噴火した時に、これは前日の池田大作氏のスピーチに関連があると、日蓮正宗では指摘したことがありました。
なかには、そんな馬鹿な、何を無理やりこじつけようとしているんだと思った方もいたかもしれません。
普賢岳の普賢とは、普賢菩薩からとられた名前です。この山が噴火したことは、この普賢菩薩について書かれている経文を見ろ、という諸天の警告なのです。それこそが『仏説観普賢菩薩行法経』という法華経の結びのお経なのです。
そこには、仏法を踏み外した者の為に、懇切な懺悔の法が説かれています。懺悔はいつ、どこで、どのような形で、そしてその効果は、という風です。
しかし、池田氏は一向に反省懺悔される様子は無く、普賢岳の地獄跡火口という所にはやがて溶岩ドームが形成されていった……ということは、皆さまの記憶にまだ残っているところでしょう。
いま手元に、「平成六年十月二十九日付け」の『聖教新聞』があります。そこには「明年は『関西勝利の年』今年に続き、全国・世界をリード」の大見出しが踊っています。さらには、「兵庫の時代がやって来た!!」として、「アジア・太平洋の世紀」を展望して、兵庫文化祭(国際青年博)を開催し、総合的文化イベント・展示・シンポジウムも大々的に行うことが、三ページを使って紹介されています。
ところが、全国の創価学会員の目が注がれたこの兵庫の地は、そのまさに、創価学会にとっての兵庫の年に、あの阪神淡路大震災に見舞われたのでした。
この数日前、この兵庫では、「池田先生がこんなに兵庫の私たちを大事に思ってくださっている。池田先生のお心に何か具体的な形でお応えしたい」と、今もっとも懸案の、先生のご意向を受け創価学会が自分たちで作成し販売することになった本尊を、喜んで自分たちが受け入れる姿を示そうと、会合の皆の見ている前で日顕上人の御本尊を焼却して、総本山との決別の意を表したというのです。
ここに、依正不二の原理によって、あの災いは引き起こされました。
事態は切迫しています。何とか彼らを救ってあげたいものです。
以上