新年之辞 日如上人猊下

新年之辞

立宗七百七十二年の新春を、宗内僧俗御ー同には清々しく迎えられ、決意も新たに、愈々の精進をお誓いのことと存じます。
扱、本年「折伏前進の年」は、各講中共に仏祖三宝尊への御報恩のもと、僧俗一致・異体同心し、全力を傾注して折伏を実践し、以て一天広布達成へ向けて、大きく前進すべき誠に大事な年であリます。
特に、今日の新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延状況を仏法の鏡に照らして見る時、
その根本原因は『立正安国論』に、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨て、相去リ、聖人所を辞して還らず。
是を以て魔来たリ鬼来たリ、災起こリ難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずん
ばあるべからず」(御書二三四ページ)
と仰せの如く、正しく「世皆正に背き人悉く悪に帰す」故、即ち謗法の害毒にあることを知らなければなリません。
去れば、斯くなる時こそ、私共は僧俗一致・異体同心して、妙法広布に全力を傾注していくことが肝要であリます。
大聖人は『聖愚問答抄』に、
「抑仏法を弘通し群生を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなリ。所以は時に正像末あリ、法に大小乗あリ、修行に摂折あリ。 摂受の時折伏を行ずるも非なリ。折伏の時摂受を行ずるも失なリ。然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まリて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はリて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなリ。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを撞にし、邪正屑を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・浬槃に定め置き、天台・炒楽の解釈にも分明なリ。是仏法修行の大事なるべし」(同四〇二ページ)
と仰せであリます。
この御金言を拝する時、世界乃至日本の混沌とした現状を鑑み、将に今こそ、一人ひとりが破邪顕正の信念のもと、断固たる決意を持って、
「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独リ成仏の法なリと音も惜し
まずよばはリ給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(同六七三ページ)
との御指南を肝に銘じ、一天広布を目指して講中一結・異体同心、勇猛果敢に大折伏戦を展開し、以て自他共に一生成仏を果たされますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。

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