『立正安国論』(御書二五〇ページ)
「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち、三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(題目三唱)
この『立正安国論』は、日蓮大聖人様が初めて題目を唱え出された年の建長五年から数えて七年後の文応元年(一二六〇)の七月十六日、御年三十九才の時におしたためになり、宿屋入道光則を介して、当時の幕府の最高権力者であった北条時頼を折伏すべく呈出された、最初の「国主諫暁の書」であります。
この御書をおしたためになった由来については、大聖人ご自身がこのようにおおせになっています。
「正嘉元年八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地震。同二年八月一日大風。同三年大飢饉。正元元年大疫病。同二年四季に亘りて大疫やまず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。しかる間、国主之に驚き、内外典に仰せつけて種々の御祈とうあり。しかりといえども、一分のしるしも無く、かえりて飢疫等を増長す。日蓮、世間の体を見て、粗一切経を勘ふるに、御祈請しるし無く凶悪を増長するの由、道理文証これを得了んぬ。ついに止むことなく、勘文一通を造り作し、その名を立正安国論と号す。文応元年七月十六日、屋戸野入道に付し、故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。これ偏に国土の恩を報ぜんがためなり」(御書三六七ページ)
今の御書は『安国論御勘由来』の御文ですが、もう一つの『安国論奥書』にも「去ぬる正嘉元年八月二十三日の大地震を見て之を勘ふ」(御書四一九ページ)とあることからも明らかなように、正嘉元年(一二五七)、つまり、今年から数えて七五二年前の、八月二十三日の巨大地震が契機となっておしたためあそばされたものであることがわかります。
逆に、このことによって、この時の地震がいかに大きく、鎌倉中の被害が甚大であったかが大方想像できますが、実はこの地震の前後の八月一日と十一月八日にも、鎌倉で巨大地震が起こっていたのです。
人々は八月一日の地震の被害に嘆き悲しんでいる間もなく後始末に忙殺され、まだその傷も癒されていないのに、八月二十三日にはそれをあざわらうかのようにさらに強大な地震が襲うのです。
人々は建物が倒壊し、波のように揺れ動く大地の上を必死に逃げまどい、どうにかこうにか助かった者もようやく我にかえってあたりを見渡すと、そこには地獄さながらの惨状が横たわっていたのです。
このような時、人間はどのようなことを考えるのでしょう。きっとこれは、私たちが住んでいる世界がこわれてしまう前兆、前ぶれに違いない、と思うのではないでしょうか。きっと、この世の終わりだと……。
そして、それに追い打ちをかけるように十一月八日にも大地震が襲います。その、明くる年の八月一日には大風、その翌年の正嘉三年は大飢饉になり、同年は改元され正元と成りますが、今度は大疫病が流行して翌年まで持ち越すなど、これでもかこれでもかと人々は苦しめられます。
そして、これらによって、国民の大半が既に死に絶えてしまったような状況だったというのです。
それが『立正安国論』の冒頭の「旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上にはびこる。牛馬巷にたおれ、骸骨路に充てり。死を招くのともがら、既に大半に超え、之を悲しまざるの族、あへて一人も無し」(御書二三四ページ)の御文なのです。
このような状況が打ち続く中、幕府もただ手をこまねいていたのではなく、早急に、あらゆる宗教に呼びかけてさまざまな祈とうを行わせるのです。
もちろん、タダではありません。
しかし、どんなにお金をそそぎこみ、今までの邪宗教の僧らを総動員して頑張って祈とうを試みたとしても、わずかなしるしさえも現れるどころか、逆に飢えや病気の蔓延が一層ひどくなる様相さえ見せてきたのです。
このことは誰の目にも明らかで、決して日蓮一人の思い過ごしではない。これは、宇宙法界が我々に何かを語りかけようとしているのに違いない。
日蓮大聖人は、このような世間の状況をしっかりと脳裏に焼きつけ、その上ですべての経文に目をさらして、一つ一つの疑問について問いただすようにご覧になっていきました。
なぜ、今までの宗教という宗教の祈りが祈りとならず、かえって凶悪、むごたらしい状況がさらに悪くなっていくように見えるのだろう、と。
そしてついに、その道理と、経文上の確かな証拠を見つけられるのです。
そして、これを知った上は、どうしても一人胸の中にしまい込んでおくなどできようはずがございません。
この道理と文証を一冊の書としてまとめあげ、これを『立正安国論』と名づけて、時の北条幕府、なかでも、当時の実質的な最高指導者である前の執権・北条時頼に差し出されたのです。
つまり、災難の起こる根本原因とは、
「世皆正に背き、人ことごとく悪に帰す」(立正安国論・御書二三四ページ)
と仰せのように、世の人々の多くが正しい仏法に背き、邪宗教を信ずること――これを背正帰悪といいます――によって、
「善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず」(立正安国論・御書同ページ)
つまり、本来国土を守護すべき善神、あるいはその方がおわれることで国土の安穏が保たれている、いわゆる聖人という立派な方もこの国土を捨てて去ってしまわれ――これを神聖去辞といいます――、その隙を見計らうようにしてこの国土には、
「魔来たり鬼来たり」(同ページ)
と、人の命や功徳を奪い取ったり、国土を破壊することを好む魔や鬼などが乱れ入って大暴れをするから、
「災起こり難起こる」(同ページ)
と、今日のような、底知れぬ人心の乱れと、考えもつかぬ災難が打ち続くようになるのです。
このような論理は、仏法を習ったことのない世間の人々にとっては、へたをすると荒唐無稽にも聞こえるかもしれない、まさに驚天動地の内容であり、容易には信ずるこののできないご教示かもしれません。
しかし、これこそが、日蓮大聖人が依正不二という、環境国土と、そこに住まう人間とが相関わって、二つながらにしてしかも一つであること、あるいは色心不二という、外形としてあらわれた具体的な相と、心法すなわち生命内奥の世界が二つながら本来一体であるという理の上から説きいだされた、私たち凡夫の狭く浅い考えを超絶した、乱れた世の中を根底からお救いになる、そのための大原理なのです。
※ 依正不二について改めて申し上げれば、依正とは依報と正報の二報のことをいいます。報とは、自分の過去のさまざまな行為の因果が、現実の具体的な色法・目に見える形であらわれた必然の報いのことです。そこに情実が入る余地はありません。
この報いを受ける主体である私たち有情(心を持ち合わせていない木石などの非情などに対して、私たちや動物などのように心がある生き物全体を指す言葉です)の心身を正報といい、この私たちの体と心が住する、いわゆる環境や国土を依報といいます。
この依正の二つは、ともに自分の過去の業(行為)によって招いたものですから、二果二報(二つの結果、二つの報い)ともいいます。
つまり、互いに依存しあい、相かかわっているので、二而不二(二つにして一つ、一つにして二つ)であることを依正不二というのです。
いつものことながら長くなって申しわけありませんが、大聖人さまはこのことを『瑞相御書』に「それ十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。また正報をば依報をもて此をつくる云々」(御書九一八ページ)と、仰せになっています。
あるいは『一生成仏抄』には、「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。ただ我らが心の善悪によると見えたり」(御書四六ページ)とあって、国土が地獄・餓鬼・畜生の三悪道さながらの様相を呈するのは、心汚れたる人・つまり法華経を持たざる人(新池御書・一四五八ページ)が充満し、かえって正しい法華経の行者を誹謗するゆえであることを証明されているのです。
このように、今日本国で盛んに起きている天変地夭は、国中の謗法によるものですが、国主やその側近の人たちはこれに無知なため、邪宗謗法への祈とうによって、ますます災難を大きくして、いよいよ民衆を苦しめる結果ともなっています。
そこで、大聖人様は『立正安国論』の中で、『金光明経』『大集経』『仁王経』『薬師経』の四経の文を引いて、正法を信ぜず謗法を犯すことによってかならず三災七難が起こることを証明されて、北条時頼等をお諌めになられたのです。
そして当時、特に、邪悪な教えで社会を覆い、人々の心をむしばんでいる一凶ともいうべきものは念仏宗であるとして、この一凶を断って布施を止め法華経に帰依するならば、一切の災いが消えて平和安穏な世界ともなるが、もし南無妙法蓮華経の正法に帰依しなければ、七難の中にまだ起こっていない自界叛逆の難という同士討ち、内乱ですね、これと他国侵逼の難という外国から日本国が攻められるという国難がかならず起こるであろうと予言されて、きびしく警告あそばされるのです。
何よりも大事なのは「国が滅びる」ということでしょう?『蒙古使御書』「一切の大事の中に国の滅びるが第一の大事にて候なり」(御書九〇九ページ)
現代の人々は、「国なんか無くたって、自分たちはけっこう幸せに生きて行ける」などとほざいていますが、亡国の悲しさを本当に知らないから、こんな能天気なたわけたことを言うのです。今、世界のいたるところに、そういうことの良い見本がありますから、少し見てくるといいのです。大聖人の弟子旦那を名乗るなら、もう少し国のことを考えた方がいいのです。
さて、もし、日蓮の言葉をご信用ありて、このことを大変とおぼし召したら、ただちに法華経に帰依するようにと信心を強くお勧めになるところが、今日拝読した箇所なのです。
「汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ」
あなたは、早く信仰の寸心、寸心とは、小さな狭い考えのことですから、仏様の大きな心も知らず、わずかな、人々のせまく小さな考えによって勝手に打ち立てられた邪宗教をかなぐり捨てて、すみやかに実乗の一善に帰依すべきであります。
実乗とは、真実の教えという意味です。船という乗り物が、良く川や海を渡ることができることから、船を仏の教えにたとえるのです。
川や海は、生死という苦しみ、あるいは煩悩という自己に愛着するところから生じる迷いに譬えるのです。
海の底は暗く、また底知れないでしょう?そのような生死・煩悩の愛河を渡るには、ちっぽけな、あるいはあっちこっち痛んでいるボロ船では役に立ちません。
大きくて、がっちりとしていて、力強く、目標までまっすぐ進む船、これを実大乗教・大聖人様の三大秘法の南無妙法蓮華経と申し上げるのです。
そして、このただ一つの教えしか、私たちの成仏の法はありませんから、一善というのです。お釈迦様も法華経の『神力品』というところで、「如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆この経(南無妙法蓮華経の御本尊様)に於いて宣示顕説す」と証言されているのです。
ですから、あなたは早く邪宗謗法の信心を捨てて、ただちに三大秘法の御本尊を信ずべきである、という意味になるのです。
もし、このことを御決断になれば、国民もこぞってあなたのなされることになびくようになり、一国こぞって妙法を信仰するようになれば、私たちの住んでいる三界、つまり地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界などの六道の衆生が住まう世界は、皆仏国土へと変じるでありましょう。
今は、そういう一人の権力者によって、国民全体の意思が決定されていくということはございませんから、一人ひとり折伏をして、そして日本国こぞって御本尊様を信ずる時が来た時のことになるのですが、その仏の果報によって荘厳された世界が衰えていく、ということが果たしてあるでしょうか。
このような、一人ひとりが無作三身の仏として、立派な成仏の境界を成就しえた人々によって埋めつくされた見渡すかぎりの国土は、すべて永遠の楽土となっていきます。
これは、宝石でわざわざ飾るのではありません。私たちの世界は、本当は最高の仏様の本国土なのです。このことが、大御本尊様の信心によって私たちの心が本来の姿に立ち戻れた時、はっきりと、皆がこぞって観ることが出来るようになるのです。このことを『松野殿御返事』には、「ただ在家の御身は余念も無く、日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱へ候ひて、最後臨終の時を見させ給へ。妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ。法界は寂光土にして瑠璃をもって地とし、金縄をもって八つの道をさかひ、天より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき給へば、我らも必ずその数に連ならん」(御書一一六九ページ)とお述べになっているのです。
なぜ、そうなるのか。それは今までの妄想、ひが思いというものが解けて、仏眼でもって世の中が見えるようになるからです。
山田風太郎氏の『人間臨終図巻 下巻』(徳間書店発行)にルノワールの死の間際のことが書かれていますが、彼もこのような光景を見た人の一人らしい。
ルノワールは三十八才の時、自転車に出かけた先で転んで骨折し、この骨折がもとで、長い間難病に苦しめられることになったといいます。ちょっと長いけど読んでみます。
「以来、その後遺症として起こったリューマチは、間欠的にはげしい発作を起こしたり、あるいは陰湿な痛みを持続させたりしながら、徐々に彼の右手を、さらに四肢をむしばんでいった。六十才のころには、彼は歩くのに二本の杖を必要としなければならなくなった。
一九〇七年、ルノワールが六十才のころ、彼の胸像を作った彫刻家のマイヨールはいう。『彼は口と呼べるようなものは持っていなかった。唇はダラリと垂れて、見るも無残なありさまだった』
彼はカーニュの二・五ヘクタールという宏大な土地のオリーブに囲まれたコレット荘と呼ばれる家で、毎朝、折りたたみ寝台に寝かされたまま二階のアトリエに運びあげられ、エア・マットをしいた椅子に坐らせてもらう。パレットを膝においてもらい、厚手の包帯で包まれた人差し指と親指の間に鉛筆をさしはさんでもらう。そして描きはじめる。苦痛にゆがむ彼の手は、しかしカンヴァスの上に、寸分狂いのない豊麗な傑作を創り出してゆく。
ときどき戸外に出してもらうと、彼は『畜生、なんて美しいんだ!くそっ、なんてこの世は美しいんだ!』と叫んだ。ルノワールの眼には、女も、子供も、風景も、ひたすらに美しい、光と色彩にあふれた絵の対象であったのだ。」
あまり、参考にならないかもしれませんが、心の隅にでも覚えておいてほしい。そういえば、前にもご紹介したことがありますが、『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』という本の中にも、ガンにかかった男性が、衝撃、落胆、絶望という山を幾度も越え、その果てにたどりついたのが、この金色にかがやくばかりの光景であったことが述べられていました。
それは、ただの感傷がもたらしたのではない。余命半年とガンの告知を受け、限りある命を自覚した時、この人の生が凝縮されることによって、感性がきわめてするどいものとなり、その目でもって回りを見渡したとき、本当に尊い、本有の仏の世界をかい間観ることができたのだと思います。
なぜ、仏法とは関係の無いような話を二題お話したかというと、大聖人様の広宣流布における仏国土とか、宝土とかいうことが、たわごとか、絵空事でないことを立証するために、有効かもしれないと思ったからです。
広宣流布という、妙法を受持する者が横溢する国は、決して衰微、衰えて勢力が弱まるということはありません。また、国土が破壊しゆくということもありませんから、私たちの安全は保たれ、心はつねに落ち着いて、安心して生活していけます。
このことについては、立正安国論の中にずーっと述べてきたことですから、この言葉を心から信じ、そして妙法を深く崇めていくべきです、と。
この中に「速やかに実乗の一善に帰せよ」とは、立正を勧め、「然れば即ち、三界は皆仏国なり…」以下の文は安国の大利益を述べられたものであります。
私たちも、人々が滝のごとく地獄に堕ちる現状を心から憂い、民衆救済の志を持って立ち上がりましょう。
それこそ、大聖人が示された折伏行です。
以上