『上野殿御返事』(御書一二一九ページ)
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候もわたくしの計らひにはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計らひなり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば、ゆゆしきひが事なり」(題目三唱)
この御書は、弘安元年四月一日、身延から南条時光殿にお与えになられたお手紙の一部です。
この御書には、お釈迦様と大聖人の仏法のちがいが、はっきりと示されています。
大切な内容がふくまれておりますので、お手紙の最初の方から、かいつまんで解説してまいります。
書き出しは、「白米を一斗、イモを一駄」――馬の背中の両脇に一俵づつ、都合二俵を担がせたものでしたね――「それにこんにゃくを五枚のそれぞれを、確かに御供養としてお受けいたしました」と、お礼のお言葉が述べられています。
次に、「何よりもまず申し上げなければならないことは、石河兵衛入道殿」――大石寺の東側に少し行ったあたりの、昔の地名である重須の地頭であった石河新兵衛実忠という方のことであると言われています――「の姫御前」――娘さんが、「たびたびお手紙を私のところにお寄せくださっていたのですが、三月の十四日か十五日の夜のことでしたか、その時にもお手紙をくださいました。」
そのお手紙には、「今の世の中を見ていますと、健康で病気になってないような人でも今年を無事に越すというのが困難なような気がいたします。ましてや、普段から病がちな私のこと、最近きゅうに病気が重くなったようなことから、お手紙を差し上げられることも、これが最後かと思います。今生のお別れを申し上げることは誠にお寂しゅうございます…」と、このような内容でしたけれども、ついにお亡くなりになったとの事。
人の死に際である臨終に南無阿弥陀仏ととなえることのできた人は、仏様のお言葉であれば、きっと極楽浄土に生まれ変わることができるとは、ほかの人も、私も、つまり、誰もが知っていて、信じて疑わないことでした。
しかし、どういうわけか、お釈迦様は前言をひるがえさせられて、先の言葉をみずから否定されて、阿弥陀経などのお経には、まだ真実をあらわしてない。ゆえに、いささかのためらいもなく、この方便の教えを捨て去らなければならない、「未顕真実・正直捨方便」とお説きになられたのには、まったくおどろくばかりでした。
このように、南無阿弥陀仏と唱えても、仏みずからが捨てよと仰せになっているのですから、極楽に往生なんか出来ない、と日蓮が言えば、「そらごと・上の空なり」と怒号を投げかけ、暴力をふるいます。
今で言えば、「うそつけっ、いい加減なこと言うなっ」ということになるでしょうか。
そして、あくまで念仏に固執して、法華経をそしれば、正法誹謗と、教主釈尊への不知恩・恩知らずが原因で、無間地獄に堕ちることは免れえないのです。
こればかりでなく、仏様の御化導のごく初期の段階で説かれた小乗教という教えでは、この世界よりほかには仏様はおられず、人々に仏様と同じ命・いわゆる仏性は無いと説かれていましたが、自利利他、つまりおのれ自身も成仏を求め、人にも救いの手を差し伸べゆく菩薩の信心たる大乗教には、四方八方に上方下方を加えて都合十方世界になりますが、そこにも仏がおわしまし、一切衆生、いわゆる生きとし生けるものすべて、特にこの人間界の、どんな人にも仏性・本来の仏の生命が具わっているということが説かれたのですから、今さら誰が以前の小乗教を用いるでしょうか。皆、大乗教をこそ信じていくようになりました。これひとえに、仏様の御金言を重んじるがゆえであります。
こればかりでなく、さらに私どもの想像を絶するような、教えと教えとの勝劣の節目、教えの優劣をお示しになるのです。
つまり、お釈迦様が法華経を説くにあたられては、すでに説かれていた華厳経・阿含経・浄土三部経・大日経・般若経などなどの爾前経、それに今しがた説いた無量義経、そして法華経を説いた後に説こうとなされる涅槃経など、お釈迦様のお経を全部列挙して、網羅されて、それを全部「方便なり」と破り捨てられたのです。
しかもその上で、明らかに、「この法華経のみが真実なり」と説かれたのに、長い年月を仏のもとにあって、その時々のお経がいづれも真実だと信じて疑わずお聞きしてきたのに、「これは全部方便で、これからのが真実だ」といわれるのですから、お弟子たちは驚きのあまり茫然となったのか、ともかく信じようとしないので、はるばる東方の宝浄世界から宝塔に乗って多宝如来という仏がやってこられて「これ真実なり」と証明を加えられ、あるいは十方仏土より来集され、大空を覆い尽くすほどのおびただしい数の分身の諸仏は、いまだかって嘘をついたことがない仏の絶大な果報として具えられた、長い長い舌をさらに引き伸ばして大空をおおわれます。
そして、「虚妄ではない」と証明されたのです。
インドでは、嘘をつかず、真実のみをのべる人は舌が長いと信じられていたのです。日本では、「舌を出す」とは「人を馬鹿にする」ということですから、同じ仕種でも、国によってずいぶん意味が違うものですね。
この仏自らの「すでに説き、今説き、まさに説かん。その中において法華経最第一なり」の御宣言。そして、あの多宝如来や十方分身の諸仏の証明によって、法華経最勝の義は不動のものとなったのですから、この諸仏の証明が済んだ後は、たとえお釈迦様が別のお経を立てて法華経を破ろうとしても、他の人々が色々な経文に照らして法華経がもっともすぐれた教えであることを厳として主張いたしますから、ノコノコくつがえそうなどの誰の悪だくみも決して成功しないのです。
だから、法華経以降の経々、たとえば普賢経・涅槃経には、法華経をほめる経文はあっても、そしることは一切無いのです。
それを、真言宗の祖師の善無畏は、法華経と大日経を比べるに、法華経も大日経も本迹二門、開三顕一、開近顕遠などの法門が説かれていることは同じだが、法華経には口に真言陀羅尼を唱える口密と、手に印を結ぶ身密とが欠けているから、「理同事勝」といって、真言大日経の方が法華経よりすぐれている。いわゆる、「法華経は略説、大日経は広説とするのだ」、という大邪説を立てたのです。大聖人は「この法門、第一の誤り、謗法の根本なり」(善無畏抄・御書50ページ)と仰せになっています。
また、禅宗の祖師と称するものは、法華経などの経文は月をさす指、真実は教外別伝・不立文字、禅の奥義は釈尊が棺の中からむっくり上半身を起こし、摩訶迦葉に拈華微笑して以心伝心して伝承されたと、天魔のしわざともいうべき、経文否定の悪義を主張しているのです。まさに、慢心のきわみともいうべきものでしょう。
そして、悪いことには、日本国の人々がみんなこの間違ったことを疑いもせず、信じきってしまっているということです。
これは例えれば、日本国開闢以来の謀反人である平将門や阿倍貞任などにだまされて、その一味に加わった人たちのようなものなのです。
ですから、この日本国全体がお釈迦様や多宝如来、それに十方の諸仏の心にそむいて仏法を失わんとしているわけですから、仏の大怨敵――大いなるうらみのあるかたき――となって、すでに数年が経過していることから、日本国のあちこちに亡びのきざしが見え始め、国の力が衰えるのを、心有る人は感じるようになってきたのです。
また、このことに注意を喚起する日蓮を誹謗し、迫害をなされるために、今日本国の滅びなんとするわざわいの上に、法華経の行者を迫害するという、日本国にとってさらにわざわいを積み重ねるという愚行を犯すことになり、この国土は天の責めをこうむらざるを得ない状況に瀕してしまったのです。
このような状況にもかかわらず、この石河新兵衛実忠の姫御前は、過去の宿業のなせるわざか、はたまたどういうことでこのような立派な、生と死のはざまという困難な中で南無妙法蓮華経とお唱えになることができたのでしょうか。
この臨終にお題目を唱えられるという臨終正念のお振る舞いこそが、あの経文の、一眼の亀が千年に一度海底から浮かび上がってきて、杉や檜でなく、赤栴檀の浮木の穴に入ることであり、富士山のてっぺんから風の強い日に糸をたらし、ふもとにつき立てた針の穴に糸を通すことができたことと同じことなのです
まことに私たち凡夫の思慮を越えたことで、本当に尊いことです。有難いことです。
また、南無阿弥陀仏と念仏を行ずることは、「もし人信ぜずしてこの(法華)経を誹謗せば、その人命終して阿鼻獄に入らん」と法華経にあることにあてはまり、阿鼻地獄・別名無間地獄に堕ちることは免れられないのです。
なぜなら彼らは、法華経を行ずる者は難行道なるゆえに、千中無一、千人の中に一人として成仏するものはいない、というように法華経を下して、だからお念仏しか駄目なんだよと、全く仏様のお言葉を無視して称名念仏を広めているからです。
このように念仏は無間地獄の原因を積むことであるということは経文に明白に示されているのに、人は皆、日蓮の口からでまかせにいいふらされているものだと思っています。
世に「文はまつげのごとし」という言葉がありますが、まさにこの通りで、空のかなたの遠い所のものと、そのまた逆の、目の至近距離のまつげは近すぎて見ることはできません。
すぐ近くにあるのに見ることができないことの良いお手本だと思います。
この姫御前は、もし日蓮の法門がいい加減な間違ったものだったとしたならば、まさか臨終にいささかも心をみださず、御本尊と自分の心とを一つにするという「正念」に身を置くことは出来なかったはずです。
また、日蓮の弟子等の中に、いろいろ仏法を学んできて、法門を知ったかぶりする人、今までの仏教の考え方から日蓮の法門を見ようとするものは、うっかり教えを習い損ねかねないということを言っておきましょう。いつもいつも、法門を聞く時は虚心坦懐の心でいなさい。赤子のような気持ちで聞きなさい。
南無妙法蓮華経というのは、法華経の題名にただ南無の二字をくっつけただけではない。法華経の中の肝心であり、人間でいえば、いわばたましいのようなものである。
だから、これとほかのものを並べて、さして変わらないとか、同じようなものだという考えを持つものは、どこかの王国のおきさきが二人の王をならべて夫とするようなものであり、あるいはおきさきが王だけではもの足らず、大臣以下の男どもとふしだらな関係を持つようなものであり、もしこうなれば必ず国は危うくなるように、南無妙法蓮華経を唱えていても功徳は顕れないどころか、その信心は破綻します。
ではなぜそれだけの仏法を、どうしてお釈迦様が亡くなって直後の千年の正法時代、さらに次の千年の像法時代に広めなかったのか。それは、お釈迦様の五十年の御化導に出会えなかった人々も、もともとは久遠より色々な形でお釈迦様の御化導を受けてこられた本已有善という善根をすでに持ち合わせておられる方々だから、この人たちは仏の滅後には、それぞれほかのお経を縁として成仏を遂げていけるのです。そのお経を失われることがないよう、正法・像法には広められなかったのです。
今、末法に入った以上、もう法華経以前に説かれたお経も、法華経もせんなし、私たちの役には立ちません。これらのお経は、久遠に成仏の種である南無妙法蓮華経をお聞きしながら退転してしまった人に、久遠と、お釈迦様がインドにお生まれになって御化導された今日とのその中間に、或説己身、或説他身などと、その国柄やその人の境遇境界に応じて、さまざまに仏の姿を変え、教えの内容を工夫して展開し、育てあげられた人々の成仏、つまり脱益のための教えなのです。
法華経寿量品では、その久遠の時の御化導を、地涌の菩薩の証言を交えつつ、人々の心に呼び覚まされるのです。彼らは、これを聞いて久遠の種子を思い出し、等覚・妙覚の位にのぼり成仏するのです。
ところが私たちは、そのような下種を受けたことがない、初発心の、本未有善という善根など持ち合わせていない衆生ですから、一番おおもとの南無妙法蓮華経、三大秘法の御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える、根源の修行でしか成仏できないのです。
だから、「ただ南無妙法蓮華経なるべし」なのです。
そして、朝晩の勤行怠りなく、時を感じて妙法を随力演説、自分の勇気をふりしぼって折伏を行じてさえいけば、かならずこの一生の中で成仏できるのです。
次の世で、なんて悠長なことはいってられません。なぜなら、よほどの人でない限り、自分の誓願の力で、じゃあ、自分はいついつ生まれてこようと、生まれてくる時を特定できないからです。
いつになってしまうかわからない。遠い遠い先のことになってしまうかもしれない。今やらない人に、仏様があてにされることはないからです。
この三大秘法こそは、久遠の時には下種が家の本因妙と申しまして、根本の唯一の仏になる修行なのです。
いわゆる、空の一月のようなものです。それに対して、地上にはいくつもの月の姿が、海にも川にも湖にも、そして小さなみずたまりにさえ映っています。
空の一月はこの本因妙の三大秘法・南無妙法蓮華経です。地上の大小さまざまな水の上の月影は、色んなお経の中の無量の菩薩の修行です。でも、その無量の月影は、全部空の一月が映ったものですから、すべて一つの天の月に納まると言えるのではないでしょうか。
つまり、南無妙法蓮華経という根本の一行に、膨大な経典の中のかぞえきれない菩薩の修行の功徳が全部おさまるのです。これを一行一切行というのです。そのような功徳あふるる我々の題目の修行なのです。
このように申し上げるのも、日蓮の勝手な考えではありません。お釈迦様、多宝如来、十方分身の諸仏、そしてあの仏の久遠の成仏を証明し、末法濁悪の世に南無妙法蓮華経の三大秘法を広宣流布することの付嘱を受けるため、下方の大地を割って陸続と出現した地涌の大菩薩のお考えによるものなのです。彼の人々の総意を受けて日蓮が申し上げているものなのです。
それを日蓮を卑しんで妙法をみくびってはなりません。ほかのどの教えでもあれ、交えて信じようものなら、はなはだしい冒涜となるのです。かくのごとく信じて、力強く唱え、ゆるぎない境界をつかんで参りましょう。