『お彼岸の意義』

お彼岸は誰でも知っていますが、それを説明するとなると簡単ではありません。
 折角、私たちの生活に溶けこんでいるお彼岸、その意義を知っているということは大変意義有ることだと思います。
 お彼岸のポイントは三つあります。その一つは「善悪決定の時節」だということです。
 ご存じのように、春秋の彼岸は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、冬の寒さも夏の暑さも和らいで、寒くもなければ暑くもない、生活するのにもっとも適した季節になります。
 お彼岸の中日のように、昼と夜の時間が同じで、太陽が真東から出て真西に沈む……、このような日を時正というそうですが、『彼岸抄』という御書には、
「若し此の時衆生あって一善も修すれば、たとい衆罪の札に著くべきも、善根の日記に著くるなり。悪業を作れば善の札を留めて悪の札に定む。ここに知んぬ、善悪決定の時節なり。二季の時正、この時に小善は大善となるなり。小悪は大悪となる者なり。善悪、二の道を定むといえども、一善なれども能く菩提の彼岸に到る。ゆえに彼岸と号するなり」
と、このように書かれています。
 つまり、この時ある者が一つの善い行いをしたとしましょう。すると、本来この者の行状からするならば様々な罪を犯した者という札付きとなるところを、善根を積んだ者として、閻魔王の日記を書き改められるというのです。
あるいはその反対に、せっかくのこのような日に、あえて悪い行いをなせば、今までは善人であった者でも、それを改められて悪の札付きとなるのです。
このことをもって考えれば、この春秋の彼岸という日は、この人が善の性であるか、あるいは悪の性であるか、その生命の傾向性が定まる日である、と言っても過言ではありません。
 「二季の時正」、つまり春と秋の彼岸の中日には、わずかな善も大きな功徳善根となり、その反対のわずかな悪は大悪となってしまうのです。こういう風に、善悪という二つの道のいずれを歩みいく人なのか定まりいく一日であるけれども、わずかな善を修すればよく菩提という彼の岸に達することができるので、この日を彼岸と呼ぶのである、とおっしゃっているのです。
 善行といえば、当然唱題や折伏です。それと『聖愚問答抄』(三九九頁)に、
 「我、釈尊の遺法をまなび、仏法に肩を入れしよりこのかた、知恩をもって最とし報恩をもって前とす。世に四恩あり。これを知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす」
とあるように、四恩という、四つの恩を知って四つの恩に報いることがこれに当たるのです。
 これについては枚挙にいとまがありませんが、『上野殿御消息』(九二一頁)にも、
 「三世の諸仏の世に出でさせ給いても、皆々四恩を報ぜよと説かる」
とおっしゃっているように、大聖人のみならず、過去・現在・未来の仏様も、共通して四恩を知って四恩に報いることを、教えの柱として、あるいは人間が人間らしくあるべきための徳目として挙げられているのです。
 四恩とは国主の恩・三宝の恩・一切衆生の恩・父母先祖の恩ですが、これは広範囲にわたっており、私たち凡夫には簡単に、すぐに実行できるものではありません。
 しかし、誰もがもっとも身近で、誰もが思い付き、誰でも行えるものとして父母先祖の報恩があります。それで、彼岸には墓参りをしたり、寺院に参詣して塔婆供養をするということが行われるようになりました。「まず隗より始めよ」ということです。
 そして、御本尊様への信行や折伏など、すべての人々の幸福を実現していくための行動へと、徐々に導き入れようとされているのです。
 また、このことからもお判りのように、この日の題目や折伏の効果はいつも以上に大きいので、つとめて行うようにしたいものです。
 二番目は「仏好中道」ということから、この彼岸会が行われている意義があります。
 念仏の方では「二河白道」といって、彼岸の中日に、太陽が真東から昇って天空の真ん中を通り真西に沈むのは、この二河白道を指し示している、とこのように説くのです。
二河白道とは、二つの河と一本の白い道ということですが、二つの河とは、仏の世界の向こう岸に行こうとするとき、それを妨げようと立ちはだかっている怒りとむさぼりという自分の命、これを濁流うずまく河と燃えさかる炎の河に例えるのです。その、前に進もうとするのを阻むこの河の真ん中を、たった一本の真っ直ぐな白い道がある。それが念仏の信仰である、としているのです。
 そして、この日その太陽の沈みゆく彼方こそ阿弥陀如来の極楽浄土のありかを指し示すものであるから、彼の方角をのぞみ、浄土の様を頭に思い描いて、往生を願う心を強くするのだというのです。これを観察正行といいます。
ところがこれは単なるこじつけで、この太陽が天空を真っ二つに割って真西に沈むという現象を大事にし彼岸の行事を行うのは、仏様が中道という事を特に重要視されており、その姿を大空全体で示しているからに他なりません。
中道ということについては色々な説明がありますが、日寛上人は『一生成仏抄』を用いて説いておられます。ちなみにそれを引用してみましょう。
 「一念の心を尋ね見れば、有りと云はんとすれば色も質もなし。また無しと云はんとすれば様々に心起こる。有と思ふべきに非ず、無と思ふべきに非ず、有無の二の語も及ばず、有無の二の心も及ばず。有無に非ずして、しかも有無に遍して、中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名づくるなり」(御書・四七頁)
 これは、方便品の十如是を三度くり返して読む意味、つまり三転読誦について、その深義を明らかにされた部分です。しかも、「一念の心」と書いてありますから、ここでは「如是性」という部分について述べられて、如是相や如是体等もこれに準じて理解するよう求められているのです。
 方便品の十如是を三度くり返して読む中に、『是性如(この性、如なり)』と読めば、これは御書の中の、「有りと云はんとすれば色も質もなし」という部分に該当します。
つまり、心が有るかという仏様の質問に対して、当然私たちは「有り」と答えるわけです。すると仏様は、少し意地悪く、「それではその心とやらの色は、黒ですか?それとも青?あるいは赤?それならば黄?もしくは白?」と聞かれるのです。しかし、心にそういう色はなかったと思うので、「色は有りません」と答えるしかないのです。
 次に仏様は、「心が有るという以上、当然形はあるよね。それは三角ですか?四角?それとも丸い形をしてるの?」……心にそんな形は無かったはずですから、「形は有りません」と答えるしかないのです。
 「それでは、その心とは短いものか?長いものか?それと、太いものか?はたまた細いものか?そもそもあなたが有るというその心とやらは、一体どこにあるんだい?」
「ものがある」という時には、形や色、長さや太さ、あるいはその場所等をいうことで証明できるのですが、このように次々と、色や形、長さ、太さ、場所という事について質問を投げかけられても、そのいちいちに答えられないのです。
 つまり、「心は有る」と言ったものの、形も色も無く、太いものでも細いものでもありません。かといって長いものでなければ短いものでもない。しかも、心のありかを尋ねて、頭のてっぺんから足のつま先までスライスするように切った画像を見ても、そこに心のありかを見いだすことはできません。
 それで、心は有るという言葉に当てはまるものではありませんから、有に非ず、すなわち空ということなるわけです。それを「是性如」と読むのです。
 その次は『如是性(かくごとき性)』ということですが、これは御書の中では「また無しと云はんとすれば様々に心起きる」の御文に相当します。
 先には、心は「有り」という概念では言えなかった訳ですが、そうはいっても、次々と心は起こってきます。しかも地獄や餓鬼、それに畜生と、あるいは仏様まで思い描きます。それを「法として備わらざること無し(無法不備)」というのです。それはあたかも、巧みな絵描きがどんなものでも描いて見せるようなものです。このように、心はまわりの様々な縁に触れて現れてきます。いつも、その状態であるわけではないけれど、縁に触れて生ずるのをもって、具わっていることを認める。だから、無に非ず、無いということではない、これを仮というのです。
 先には有るものでは無いといい、今は無いものでは無いという。誰もが、一体どっちなんだと思います。そこで仏様は、有でもなければ無でもない。しかも有であって無でもある。これを「中道一実の妙体」と言うのだと、おっしゃったのです。
 日寛上人は、これは言葉が省略されていて、詳しくは「中道一実の妙法蓮華経の正体」と呼ぶのが正しい、とされているのです。
 つまり、日ごろ卑しい、つまらない、何の値打ちもないなどと思い込んでいた私たちの心や姿かたち、そしてこの体が、すべて中道一実の妙法蓮華経の正体なのだ、尊極の当体なのだと示された、仏様のお悟りなのです。
 「諸法実相の悟りの前には、覚体に有らざる無し」という、御本尊様に示されたそのものを、天空の上に、印象強く訴えられている一日だから、この日を大切にし、法会を催し、いよいよ題目行に精進していくよう、仏様が励まされているのが彼岸なのです。
 三番目の彼岸会の意味は、パーラーミターという彼岸の元の言葉に由来します。
 これは「到彼岸」という、迷いのこちら岸より、生死の河を渡って悟りの向こう岸に到る、ということで、菩薩の修行を指しています。
 それは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つのことで、仏様はかつてこの修行をされてきたので、ついにインドの菩提樹の下で悟りを得て、仏様になることができた、と書かれているのです。
 しかし、どの経文を見ても、いづれも長いながい年月がかかり、しかも、一生だけではとうてい無理で、何度も何度も生まれ変わってこなければ達成できない修行なのです。
 その代表が『阿含経』に説かれている「三祇百劫の修行」です。
三祇とは、お釈迦様が菩薩であった時、化他といって、ただ一切衆生のためだけに修行された期間のことで、詳細には三阿僧祇といいます。阿僧祇が三回あるんですね。
 その最初の阿僧祇の間は、いにしえの釈迦仏から尸棄仏まで、なんと七万五千の仏様に仕えて修行されたというのです。この時の功によって地獄・餓鬼・畜生・修羅などの四悪趣、あるいは女人に身を受けなくてもよいようになりましたが、まだいつ成仏できるのかご存じではありません。
次の二阿僧祇の間は、尸棄仏から燃燈仏にいたるまで七万六千の仏様に仕え、修行をいたします。そしてこの時の最後の燃燈仏より、九十一劫の後成仏するであろうとの記別・成仏の約束を受けます。
 次の三阿僧祇の間は、燃燈仏から毘婆尸仏にいたる七万七千の仏様に仕え、修行をいたします。そして、ようやく自分の未来の成仏を確信するにいたり、人にも向かって説かれるようになります。
 一人の仏に出会うことすら、どれほどの時間を待たなければならないか。仏がお亡くなりになって、その次の仏様が御誕生になるまで、気の遠くなるような時間を待たなければなりません。それを、七万五千・六千・七千ということは、本当に気の遠くなるような長い年月、菩薩の修行をされたということなのです。
 しかも、これで終わりではありません。菩薩はかならず自行と化他の修行をしなければならず、今までの修行はこれ化他のためだけの修行なのです。
この次に、未来に仏になった時の用意のため、自身の身を飾る因を積むために百劫、つまり百大劫の修行をされるのです。
 大劫とは成・住・壊・空の四劫のことで、たとえば成劫とは地球の表面がようやく生命が住めるまでに回復した状態のことで、住劫とは地球環境と生命が安定している状態の時期のこと、壊劫とは生命、国土の順に破壊期を迎えた状態のこと、空劫とは破壊期が終わり、何も住めなくなっている地球上の状態のことです。
 これが百回くり返したのが百大劫という時間です。これほど長い間、自身の修行のため、六波羅蜜の修行をされるのです。そして、これが因となって仏としての三十二相、八十種好の相好が身につくようになるのです。
この百大劫の最後の時、いよいよ六波羅蜜の満願の修行が行われるのです。
 それが、尸毘王として生まれ、鷹に追われてふところに飛び込んできた鳩の命を助けるために、体中の肉を切り裂いて鷹に与えたのが、布施波羅蜜の満行の時の修行です。
普明王として生まれ、城を出る時に約束した僧に御供養を果たし、これまた鹿足王との約束を果たすために、刻限ぎりぎりまであらゆる困難を乗り越えてもどってきたのは、持戒波羅蜜の満行の時の修行です。太宰治の『走れメロス』を彷彿とさせる話です。
 忍辱仙人として生まれ、王様のお供の女人の求めに応じて仏法を説いていたのを王より誤解を受け、身を切り刻まれても良く耐え忍んでいかれたのは、忍辱波羅蜜の満行の時の修行です。
 大施太子として生まれ、飢饉により飢えた民を救うために竜神より得た宝珠を取り返すため、はまぐりの貝殻で海の水をほとんどくみ干したのは、精進波羅蜜の満行の時の修行です。
 尚闍梨として生まれ、座禅のさなかつがいの鳥が髪の毛の中に巣作りをし、卵をうみ、ひながかえり、そのひながやがて成長して巣立っていくまでその座を立たなかったのは、禅定波羅蜜の満行の修行です。
劬嬪大臣として生まれ、よく国を治めるために、あえて閻浮提を七つの州にわけて統治していったのは、智慧波羅蜜の満行の時の修行です。
 この話は、仏教説話で語られるところですから、誰でもご存じでしょう。でも、この時の修行だとは、ほとんどの方が知りません。
 こうして、仏様はインド誕生の時をお待ちになり、ついにインドの国にお生まれになり、菩提樹の下で悟りを得た、ということになっていたのでした。
でも、この時から四十二年後、法華経寿量品の時、本当の仏になるための修行と、初めて仏になられた時のことを打ち明けられたのです。
 その結果、法華経以前のお経の中の仏様も、あるいはその仏になるための過去の修行も、仏自らのお言葉で全部真実ではないと、否定されることになるのです。
天台大師もこのことを三つの理由をあげて、それが方便垂迹の仏、方便の修行であることを証言しています。それは「近き故に・後に払われる故に・多種なる故に」ということです。
「近き故に」とは、先の三阿僧祇百大劫にしても、随分遠い昔のことのように思えますが、寿量品の「五百塵点劫」という長遠な年数に比べれば、法華経迹門に説かれる三千塵点劫という昔でさえ、なお信宿のごとし。信宿とはホンの二三日前ということになる、というのですから、三祇百劫はほんのわずかな、ちょっと前のことになるのです。ですから、当然本物の仏になる修行であるはずがありません。
「後に払われる故に」とは、寿量品にきたって種明かしをされ、「菩提樹の下で初めて成道を遂げた」とこれまで説いてきたのは、近成――「この世で初めて仏に成られた」という事を求める人々のために、あえて方便で、その姿を示したのにすぎない。だから、菩提樹の下で初めて成仏したというのが方便として払われるなら、そのための過去に三祇百劫の間修行したというのも、方便の修行であり真実の修行ではありません。
 「多種なる故に」とは、釈尊が様々な経典で、実に色々な修行をしてきたことを挙げられていますが、この多種なることが、そもそも方便垂迹であることを表しています。
つまり「一月万影」という言葉のように、「月がいっぱいある」というのは、本当は空の月が、地上の大小さまざまな水たまりの上に、その影を宿していることに他なりません。
 そして当然、本物の月は、空の中の一つでしかないのです。
このことは、仏と言い、その仏になるための本物の修行といい、多種多様なるはずがありません。その時には、これは方便垂迹のものであり、真実の仏果も、仏になる真実の修行もただ一つのものなのです。これを「修一円因、感一円果」と難しくは言うのです。
 それが「久遠元初の時の本因妙の御修行」であり、その時ただちに成道を遂げられた「久遠元初の自受用身」こそ、本物の一月なのです。
 大事なのは、この久遠の教主釈尊の御修行を、「日蓮が修行は久遠を移せり」(百六箇抄・新編一六九四頁)とありますように、日蓮大聖人が末法の今、この日本国においてそのままに修行されたということです。
 それこそが、あの『当体義抄』の、
「至理は名無し。聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法これ有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。この妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減なし。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来となり給ふ」(当体義抄・新編六九五頁)
の御文であり、そしてその御境界を、御本尊として御図顕くだされたということです。
ですから、
 「釈尊因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給ふ」(観心本尊抄・新編六五三頁)
とあるように、釈尊がかつて修行されたという膨大な六波羅蜜の修行の功徳も、それによって報われた仏としての果徳も、妙法蓮華経の五字と表現されている「三大秘法総在の御本尊様」の中に厳然として具足・具わっているのです。後は、私たちが信の一字をもって御本尊様に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、自然に、何の造作もなく、彼の釈尊の因果の功徳、あらゆる六波羅蜜の修行の功徳を譲り受けることになるのです。
 題目の一行の中に、一切の経典に書かれる菩薩の修行の功徳を、全部含まれるのですから、これを「一行一切行」と言うのだ、とも示されているのです。
このようにして、私たちは数多ある仏教の中で、迷いの凡夫の当体を改めずして、ただちに無作三身という仏の果報を受ける……、つまり彼岸にやすやすと渡ることができるのであります。
 これこそが真実の「彼岸」の意義であります。

この日を境に、ますます信行に励み、人をも教化・救いきっていけるよう、共に頑張って参りましょう。                     以上

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