『義浄房御書』(御書六六九頁)
「寿量品の自我偈に云はく『一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず』と云々。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり。秘すべし秘すべし」
初めに
この御書は、『観心本尊抄』をおしたためになったその一ヶ月後、文永十年五月二十八日、御年五十二歳の時、流刑の地である佐渡でおしたためになり、清澄寺の義浄房へ送られたお手紙です。
義浄房
義浄房は、安房(現在の千葉県)清澄寺の住職であり大聖人の師でもあった道善房のお弟子で、大聖人の兄弟子に当たる方です。
十二歳で清澄寺に上がられた大聖人さまにとって、兄弟子のこの義浄房ともう一人淨顕房のお二方は、初歩的な学問を教え、寺での所作の手ほどきをするお役目の、大石寺で言うところの「お小僧さん係」であり、大聖人のお言葉によると「師匠」でもあったのです。
天下第一の御奉公
ところが、このお二人の兄弟子が後に、弟弟子の大聖人を師と仰がれる様になっていくのです。大聖人が建長五年四月二十八日に立宗宣言をあそばされた時には、この説法を聞いて激高した地頭の東条景信が大聖人の襲撃を企てている事を察知して、必死の覚悟で二人して大聖人をおかくまいくだされたので、無事に清澄寺から脱出することができたのです。
このことを、後日、『報恩抄』に、
「但し、各々二人は日蓮が幼少の師匠にてをはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしが、かへりて御弟子とならせ給ひしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしに、をひてしのび出でられたりしは、天下第一の法華経の奉公なり。後生は疑ひおぼすべからず」(御書一○三一頁)
と述懐されているのです。
その義浄房が、流刑の地である佐渡にてご苦労されている大聖人様に、お見舞いかたがた、御法門について伺ったことに対する御返事が、このお手紙なのです。
「御法門の事委しく承り候ひ畢んぬ」
ご質問の法門のこと、詳しくその旨を承りました。
法華経の功徳とは?
まず、法華経の功徳についてですが、これは一口ではなかなか言い表すことは出来ません。
と言うのも、法華経の功徳というのは、「唯仏与仏。乃能究尽」といって、ただ仏と仏、つまり多宝塔の中に在す釈迦多宝の二仏のみが、乃し能く究尽・究め尽くすことが出来る境地であり、その他の十方分身の諸仏の智慧でさえも、そこまで及ぶかおよばないか判らない、という程の内証(さとり)だからです。
妙とは不思議
ですから、天台大師も妙の一字を、「妙とは妙は不思議に名づく」と、解釈されているのです。
不思議という言葉は「思議すべからず」、つまり「言語道断、心行所滅」と言って、言葉で表現することも、心をあれこれとめぐらしても及ばない…、つまり過去の経験も、知識にも無い。ともかく私達の思慮・分別・想像をはるかに超えた尊いもの…、と言う意味になります。
この妙の意味については、あなたもすでにご存知のとおりです。
では、それほどまでにすごい功徳とは何でしょうか。この答えは、後で出てまいります。
これまで、この法華経については、読む人によって様々な修行が考えられてきました。
像法時代としては、天台大師や妙楽大師、それに伝教大師のみ知る法門であり、なかにも日本の伝教大師は天台大師の後身、いわゆる生まれ変わりでありますから、本当は重々ご承知ではあったのですが、「独断や単なる思いつきでは無いのか」などという人々の疑念を晴らすために、わざわざ中国に渡られて確認を取られたほどの重要な法門で、それは「十界互具・百界千如・一念三千」というものです。ここには、ひととおりではない大事な意味が含まれていますが、これは『摩訶止観』という書に記されています。
「次に『寿量品』の法門は、日蓮が身に取ってたのみあることぞかし」
「たのみ」とは、大聖人のおっしゃっている事を裏付ける、これに依拠・より所とする、あるいは踏まえる、則る等の意味があります。
天台大師・伝教大師等もほぼご存知ではあられましたが、言葉に出して述べられる、ということはありませんでした。何より、釈尊から付嘱をお受けしていないので、資格が無かったからです。また、末法という時も来ておらず、本未有善という最初下種を受ける機の人々も、まだ生まれていなかったからです。
龍樹菩薩や天親菩薩も同様です。
一心欲見仏 不自惜身命
その寿量品には「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」とありますが、日蓮大聖人の己心の仏果は、この経文によって顕わす事が出来た、と述べられているのです。
その理由を、「寿量品の一念三千の三大秘法を成就したのは、この経文を実際に日蓮が身の上に行じたからだ」と、仰っているのです。
冒頭に言われた、「十方分身の諸仏の智慧も及ぶか及ばざるかの内証(さとり)といわれた法華経の功徳」の内容が、ここで明示されます。
法華経の功徳…無作三身の仏果
それは「己心の仏果」とも、「無作の三身の仏果」とも言われるものです。
大聖人は一念三千という事について『草木成仏口決』(新編五二二頁)に、
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」
と御指南されて、これまで、手垢にまみれ、埃をかぶり、皺くちゃになって、まるで役立たずの、ご用済みの邪魔物のように暗い物置の奥に忘れ去られていたものを、光を当て、埃をはらい、振り洗いをしてすすぎをくり返して垢をキレイに洗い流し、青空に向かって鞭をしならせてパンパンと音を立てるように大きく布地を振って皺を伸ばすように、大聖人は正にそのようにして、真実の一念三千の相貌を大曼荼羅として御図顕になられたのです。
一念三千は十界互具より
でも「どうして、三千もの名も書かれていないのに、一念三千だなどと言うのだろう」と思われている方は、御本尊を見ての通り、地獄界から仏界までのいわゆる十界の衆生を縦横に書く事によって、十界互具(十界おのおのが十界を具する)を表現し、つまりは三千の諸法を顕わすことになるのです。
十界×十界×十如×三世間=三千世間
このことを大聖人様は『開目抄』に、「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(新編五二六頁)
と御教示になり、さらには諸御書に『金錍論』(新編一〇三頁)を引かれていますが、その中にも、
「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」
とあって、大聖人様のお顕わしになった御本尊の形に、十界互具・百界千如・三千の諸法が具わっていることを、傍証ではありますが、証明する文言を見ることができます。
一念三千の仏とは法界同時の成仏
そもそも一念三千の悟りを得た仏というのは、何を表しているのかと言えば、例えば『船守弥三郎殿許御書』(新編二六二頁)には、
「一念三千の仏と申すは法界の成仏と云ふ事にて候ぞ。」
とあるように、一人の仏の成道は、十法界の衆生が同時に成仏をした、ということなのです。ですから、『日女御前御返事』(新編一三八八頁)に、
「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊とは申すなり。経に諸法実相と云ふは是なり」
と、仰っているのです。
この一念三千の相貌は、自受用身という仏様を表しています。これを『御義口伝』(新編一三八八頁)に、
「自とは始めなり、速成就仏身の身とは終はりなり、始終自身なり。中の文字は受用なり。仍って自我偈は自受用身なり。法界を自身と開き、法界自受用身なれば自我偈に非ずと云ふ事無し。自受用身(ほしいままにうけもちいる身)とは一念三千なり。伝教の云はく一念三千即自受用身、自受用身とは尊形を出でたる仏と。出尊形仏とは無作の三身と云ふ事なり云々。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者是なり云々」
このなかに〝自受用身〟を「ほしいままに受け用いる身」と、訓読みすることをお教えですが、これはどういう意味でしょう。自受用身とは尊形を出でたる仏とあって、飾りを捨てた、というより飾らない仏、凡夫僧のお姿の無作三身であるとされています。
『総在一念抄』(新編一一五頁)には、
「問うて云はく、成仏の時の三身とは其の義如何。答ふ、我が身の三千円融せるは法身なり。此の理を知り極めたる智慧の身と成るを報身と云ふなり。此の理を究竟して、八万四千の相好より虎狼野干の身に至るまで、之を現じて衆生を利益するを応身と云ふなり。此の三身を法華経に説いて云はく『如是相如是性如是体』云々。(中略)悟りの仏と云ふは、此の理を知る法華経の行者なり」
と、法界三千の諸法を残らずわが身に具えていると同時に、この一身一念が法界に遍く充ち満ちていること、すなわちこれ、「形を十界に垂れて、種々の像を作す」(諫暁八幡抄一五四三頁)ことを、「ほしいままに受け用いる身」と、このように仰っているのではないでしょうか。
日寛上人は『法華取要抄文段』(文段集五一三頁)の中で、
「自受用身とは境智冥合の真仏なり。即ち所照の境は是れ無作の法身なり。能照の智は是れ無作の報身なり。起用は即ち是れ無作の応身なり。止観の第六に云はく『境について法身と為し、智について報身と為し、用を起こすを応身と為す』云々」
と。
大聖人十界示現の相
それでは実際に、大聖人はこの境智冥合あそばされてより以来、十界の衆生の相を示現して一切衆生を利益されたことを示す、そういった文証があるのでしょうか。
勿論、有るのです。日寛上人は『三宝抄』(歴代法主全集第四巻三九四~三九五頁)にその証拠の御書を数多く列挙されているのです。
例えば「仏界」は、
「今日蓮は去る建長五年四月二十八日より今年弘安三年十二月にいたるまで二十八年の間又他事無し。但南無妙法蓮華経の五字七字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。是れ則ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(『諫暁八幡抄』(新編一五三九頁))
の御文です。
「天界」は『四恩抄』(新編二六六頁)の次の御文です。
「法華経の故にかゝる身となりて候へば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。人間に生を受けて是程の悦びは何事か候べき」
「三悪道」は『法蓮抄』の、
「北国の習いなれば冬は殊に風はげしく雪ふかし。衣薄く食乏し。(中略)栖にはおばなかるかやおひしげれる野中の御三昧ばらに、おちやぶれたる草堂の、上は雨もり壁は風もたまらぬ傍らなり。昼夜耳に聞く者はまくらに冴ゆる風の音、朝暮に眼に遮る者は遠近の路を埋む雪なり。現身に餓鬼道を経、寒地獄に堕ちぬ」(八二一頁)
他のものはスペースが無いので、御自身でご覧になることをお薦めします。
「叡山の大師」とは伝教大師ですが、唐に渡って「一心欲見仏」の文について相伝されたところです。それによると、一とは一道清浄の義、心とは諸法ということである。諸法とは十界の衆生のことですから、そこに一貫して変わらぬ清浄な命の存在を見出すことができるのです。ゆえに天台大師は心の字を釈して「一月三星心果清浄」と言われたというのです。
この「一月三星」は、現在では「三星伴月(三つ星に寄り添う月)」と呼ぶことが多いようです。
実は私は朝まだ明け切らぬ、溝辺空港に向かう高速道路を走っている車の中から、この光景を見た事があるのです。澄んだ東の空に、旧暦の二十七日頃だったと思います。月と三つの星が、ちょうど心という字に似た形を作っていたのです。
それはさておいて、大聖人様は一心欲見仏の経文を、一とは妙、心とは法、欲とは蓮、見とは華、仏とは経、すなわち妙法蓮華経の五字であり、これを弘通するには不自惜身命でなければ叶わない。
また、一心欲見仏の文字について、以下のようにも訓むことができるとされています。
すなわち、「一心に仏を見る」…これは一念の心を、因果俱時の不思議の一法なるがゆえに、妙法蓮華経と名づけられたこと。しかも妙法蓮華経に法界三千のすべてが具わっていることを見出し、これを師として、本尊と崇め奉ったことを指されています。これ、根本妙行のいわゆる「本因妙の四妙」の中には「境妙」を表しています。
「心を一にして仏を見る」…これは『持妙法華問答抄』(新編三〇〇頁)に、
「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべし」
とある御文と一緒で、「心を一にする」とは以信代慧の信心で、本因妙の四妙の中には「智妙」のことです。
この信は必ず行を引き起こします。
これを本因妙の四妙の中には「行妙」と言います。
日寛上人は『報恩抄文段』(文段集四六九頁)に、
「本門の題目には必ず信行を具足す。信は是れ行の始め、即ち本因妙。行は是れ信の終わり、即ち本果妙。是れ則ち刹那の始終、一念の因果なり」
と御指南あそばされています。
「一心を見れば仏なり」とは、『観心本尊抄文段』(文段集一九八頁)に、
「正しく我等衆生の観心の相貌は如何。答う、末法の我等衆生の観心は、通途の観心の行相に同じからず。謂わく、但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり」
とあるように、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、所信所唱の本尊の仏力・法力によって、煩悩・業・苦の三道は法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦は即一心に顕われ、その人の所住の処は常寂光土となるのです。能居・所居、身土・色心、倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華仏との境界を開いていく事が出来る様になるのです。
これ本因妙の四妙の内の位妙ですから、本地無作三身の仏果・己心の仏果とは、この本因妙、すなわち三大秘法の信行によって成就されることをお示しになっているのであります。
これから私たちの、どんな信心を遮ろうとする障魔が現われようと、それに従おうとする弱い心に、その誘惑に負けず、飽くまで御本尊を信じ切る心を師として行きなさい。
さすれば、かならず成仏の本懐を遂げる事が出来る、と励ましてこられたのは、正にこの事だったのです。
いよいよの信行倍増をお祈りします。