「日蓮が如くなりたくば日蓮が如くせさせ給へ」

私たちの勤行の意味をお話しする前に、インドのお釈迦様はかつてどのようなご修行をされて仏になられたか、見てみましょう。
これについて、大聖人様は『観心本尊抄』(御書六四九頁)に
「過去の因行を尋ね求むれば、或は能施太子、或は儒童菩薩、或は尸毘王、或は薩埵王子、或は三祇・百劫、或は動踰塵劫、或は無量阿僧祇劫、或は初発心時、或は三千塵点等の間、七万、五千、六千、七千等の仏を供養し、劫を積み行満じて今の教主釈尊に成りたまふ」
 とあります。
 この御書に示されている通り、釈尊がどうやって仏になることが出来たかということについては、いずれの経文においてもおびただしい数の、しかも気の遠くなるような年月をかけて、六波羅蜜の修行がくり広げられたことが書かれているのです。
 一般的によく知られた、「蔵教」に説かれた仏の修行について見てみると、これは、『観心本尊抄』の御文の中では、三祇百劫というものがそれに当たります。
 天台大師は『法華玄義』という書の中で、「昔、陶師になりて、先の釈迦仏に会い、三事供養す。草を敷くと、燃燈と、石蜜の漿となり。願を発し記を得、父母・名字、弟子、侍人、皆先仏のごとくならんと。すなわちこれ初阿僧祇の発心なり」と述べられています。
 これを見ますと、お釈迦様ははるか昔、陶器を作る人か、瓦やレンガを焼く職人であったようです。きっとそのレンガを焼く工場だったのでしょう。このむさくるしい場所に、先の釈迦如来がお弟子をつれてご訪問になられたのです。千載一遇のチャンスとばかりに、精一杯の御供養をささげるのです。それが、やわらかな干し草のクッションと、貴重な明かりと、甘いお飲みものだったのです。自分のようなものが、粗末なものとはいえ、このように仏様に御供養することができた。この感激は生涯忘れまい。そうして、願を発したのです。それは、自分も仏法を修行し未来成仏の約束たる記別を蒙ろう。そして成仏の時には、両親も、仏としての名も、弟子も舎利弗・目連等と、ことごとく、眼前の仏様やそのお弟子方と同じ名を名乗ろうと、そのように決心されたのです。
 これが、三阿僧祇の中の初阿僧祇の発心なのです。
 そして、六度を行じて化他を専らにする三阿僧祇の修行が始まるのです。
初阿僧祇 先の釈迦仏から尸棄仏にいたる七万五千の仏に仕え供養をいたします。この間、女性や地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣に身を受けなくなりましたが、まだ自らの成仏の時がいつかは知りません。
二阿僧祇 尸棄仏から燃燈仏に至る七万六千の仏に仕え供養いたします。燃燈仏より九十一劫の後に成仏すべき記別を蒙ります。
三阿僧祇 燃燈仏から毘婆尸仏に至る七万七千の仏に仕え、ようやく自らの未来の成仏を確信するにいたり、他にも向かって説けるまでになります。
 この間中、六波羅蜜の修行を人々のためだけに行じていかれたのです。
 そうして、ようやく自分のための、自分が未来に仏となった時、わが身を飾るための、三十二相の因を植えるための、いわゆる自行のための六波羅蜜の修行が始まるのです。
 これを『百劫』詳しくは百大劫というのです。
 そして、この百劫という長い長い修行が終わりを告げようという時、六波羅蜜の満行の修行が行われるのです。
 尸毘王として生まれ、鳩の命に代わって我が肉を鷹に施したのが、「布施波羅蜜の満行」です。
 普明王として生まれ、不妄語戒を守るために身を捨てて行動されたのが、「持戒波羅蜜の満行」です。この修行は太宰治の「走れメロス」を彷彿とさせる話です。
 忍辱仙人として生まれ、自分の忍辱波羅蜜の行がうそ偽りで無い証拠に、刀で切り刻まれても良く忍んでいかれたのは、「忍辱波羅蜜の満行」です。
 大施太子として生まれ、竜神から如意宝珠を取り戻すため、ハマグリの貝殻で海の水をほとんど汲み上げられたのは「精進波羅蜜の満行」です。
 尚闍梨として生まれ、禅定のさなか鳥が頭の毛の中に巣作りをし、卵をうみ、その卵から雛がかえり、その雛がやがて成長して巣立つまで座禅を止めなかったのは「禅定波羅蜜の満行」です。
 劬嬪大臣として生まれ、よく国を治めるために、あえて閻浮提を七つの国に分けて統治していったのは、「智慧波羅蜜の満行」です。
 こうして、ついに自行の方の六波羅蜜も完全に終了し、仏としての相好の因を具え、迦葉仏の所で一生補処の記を受けます。一生補処とは、もう一度人と生まれたなら、その次の誕生の時には仏になる、そういった時期のことをいいます。
 そうして、人々が自分の教えを受けるまでに機が熟するまで、兜率の内院にあって、誕生の時をお待ちになり、そうして機の熟したのを見て誕生になったのが、あのルンビーニ園での出胎だったのです。
 このように修行を積まれた釈尊は、十九才で出家され、三十才で菩提樹の下で成道を遂げられたのです。これを「三十四心 断結成道」といいます。
 しかし、このように物凄い修行を積み重ねられて仏になられたわけですから、仏様のいかに尊いかは分かりましたが、その仏になるための六波羅蜜の修行は、時間的な長さと言い、一つ一つの困難さといい、到底私どもにはできそうには思えません。これでは、仏様が一番の大元に立てられたという「我がごとく等しくして異なること無からしめん」という折角の本誓願も、空しいものになりかねません。 
 ところが、その後釈尊が寿量品を説かれた時、これまでの疑念を晴らすような、まさに天と地がひっくりかえるほどの、驚きの事実が明かされるのです。
 先ず初めに「一切世間の天人及び阿修羅は皆、今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からざる道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと謂へり」等と人々の釈尊に対する思い込み、つまり仏は今からたかだか四十数年前に菩提樹の下で悟りを開かれたに過ぎない。いわゆる仏としては出来たてほやほやの、まだ湯気が上がっている新米の、この世に出られてさほど久しくない仏である、というすべての大菩薩等の思いを、まず挙げられるのです。
そして次に
「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺、百千万億那由他劫なり」と、真っ向からその考えを否定されるのです。
「此の文は、華厳経の三処の「始成正覚」、阿含経に云ふ「初成」、浄名経の「始坐仏樹」、大集経に云ふ「始十六年」、大日経の「我昔坐道場」、仁王経の「二十九年」、無量義経の「我先道場」、法華経の方便品に云ふ「我始坐道場」等を、一言に大虚妄なりと破るもんなり。本門寿量品に至って始成正覚やぶるれば四教の果やぶれ、四教の果やぶれぬれば四教の因やぶれぬ。因とは修行弟子の位なり。爾前迹門の因果を打ち破って本門の十界の因果を説き顕す。これ則ち本因本果の法門なり」
 と開目抄にお示しのとおり、これまでの四教の果、つまり蔵教の劣応身、通教の勝応身、別教の他受用身、円教の応即法身の仏などを、みな真実の仏身にあらず、あなた方が想像の中で思い描いていたものに応同して現わしたにすぎない。阿弥陀仏も薬師如来も大日如来も方便・虚妄の仏像なりと、打ち明けられるのです。
 それら、今まで明かしてきた仏が真実でないとするならば、その仏になるためにこれまで過去におこなってきたという修行も、真実の仏になるための修行ではない。空にかがやく一つの月と、地上の大小様々な水たまりの上の万影との関係のように、一時的に人々の心を悦ばしむるために現したにすぎないことを、明確にご教示になるのです。
 このように、これまでの仏や仏になるための修行と思われていたものは、五百塵点劫と寿量品ではじめて明かされた成仏の時と比べて余りに近きゆえに、あるいは多種なるゆえに、あるいは真実ではないと寿量品の中で払われるゆえに方便・垂迹の、いわゆる迹の因・迹の果であることは確定されたのです。
 ほかの宗教の仏や修行は水の中に写った月の影なのに、これを本物と思い、取ってくれと駄々ををこねる頑是無い子供のような大人がいかに多いことか。まことに悲しいことです。
 仏法は「修一円因 感一円果」といって、空に月が一つしかないように、仏になる修行は一つであり、仏というものも但一つしかありません。これを本因本果というのです。
 この本因本果に脱が家の本因本果と、種が家の本因本果があります。私たちにとって有益なのは、大聖人が寿量文底よりご建立くだされた種が家の本因本果です。
 それでは種家の本因妙とはどういうものかと言いますと、まず『撰時抄上愚記』(文段集三四一頁)に、
 「本因妙の文に云わく『我本行菩薩道、所成寿命』云々。『我』とは釈迦如来なり。『本』とは五百塵点劫の当初、凡夫の御時なり。『行』とは本時の行妙なり。『菩薩』は是れ因人、復位妙を顕わすなり。慧命は即ち本時の智妙なり。智には必ず境有り。即ち是れ境妙なり。六重の本迹の第二の理本、之を思い合わすべし」
 法華経に本因妙のことが明かされているのは、法華経の中でも寿量品の「我本行菩薩道所成寿命」の、わずか十文字しかありません。
 本因妙は、境妙、智妙、行妙、位妙の四妙を合わせて、一つの本因妙と言います。本因妙にはかならずこの四つのことが具わっているということです。
 つまり、「本」とは五百塵点劫の当初ということで、久遠元初のことです。
 「我」とは釈迦如来のこととされていますが、釈迦如来といってもいろいろあって、久遠元初の釈迦如来といえば、本因妙の教主釈尊、名字凡身の日蓮大聖人様のことなのです。
 ゆえに、『報恩抄文段』(四六七頁)には、
 「釈尊五百塵点劫の当初、凡夫の御時、無教の時、すなわち内薫自悟(内に薫じて自ら悟り)・一迷先達(多くの人がまだ迷いの中にある中に一人先に達し)・以教余迷(もって余の迷える人に教ゆ)の教主釈尊は、すなわちこれ、本門寿量の文底、久遠元初の自受用報身、名字凡夫の当体、本因妙の教主釈尊なり」
とおおせになっているのです。
 ところで、本因妙の四妙が説かれているというこの経文には、菩薩の時という位妙、菩薩道を行じたという行妙、寿命という智妙の三つしか説かれていません。
 ところが、この天台大師の御文を補釈した妙楽大師は、「一句の下は本因の四義に結す」と、確かに四妙を明かしてこれを本因妙とされている、と述べられているのです。これは、「能照の智」といって、対象を照らす智慧があるといえば、当然そこには「所照の境」という、照らされる境(対象)があるのであり、これはいわずもがな、ということで、結局、四妙が明かされていることになるのです。
 また、文字としては秘して明かされて無いというところに、末法御出現の日蓮大聖人という御本仏によって初めて明らかにされるという、ひそやかな意義を含んでいるのです。  
 それでは、その境妙本尊とは何ぞや、というに、日寛上人は『撰時抄上愚記』(文段集三四一頁先出)に、「下種六重本迹の第二・理本、これを思い合わすべし」と御指南されています。
 つまり、下種六重本迹の第二・理教本迹の理本こそ、大聖人が御修行された本因妙の境妙本尊なのだよ、とお示しになっているのです。
 いよいよ、大聖人様が建長五年の宗旨建立より龍の口の御法難までの本因妙の御修行の間、境妙御本尊とされたものが何であったのか明らかにされます。
 そのまえに、日寛上人が仰せになった六重本迹とは何かと言いますと、これは『百六箇抄』という大聖人から日興上人への相伝書に載っている、大変重要な御法門です。 
 六重本迹とは、第一に理事本迹、第二に理教本迹、第三に教行本迹、第四に体用本迹、第五に実権本迹、第六に已今本迹をいいます。
 この中に第一の理事、第二の理教、第三の教行の三つを本因妙、第四の体用、第五の実権を本果妙、第六の已今はお経についてのべられたものです。
 その第一の理事本迹とは、日蓮大聖人がまだ凡夫であられた時、すでにその己心に理事の二法を具えておいでです。その己心に具えておいでの理を本とし、やはりその己心に具えておいでの事を迹とします。
 これを理事本迹と言うのです。
 この心に具えておいでの本迹にまだお気づきになってない間を、「理即」と申し上げます。
 ついで、第二の理教本迹とは、その大聖人のお心に具えたもうところの理事の二法をたばねて理本と名づけ、その理を教えに説きあらわすのを教迹といいます。
 第三の教行本迹とは、先の理教本迹をたばねて教本とし、この教えによって修行をなされるのを行迹といいます。以上が「本因妙」ということになります。
  理本 
       理本
  事迹        教本 
       教迹   
            行迹
 この中に、理とか事ということが出てきますが、妙楽大師は釈籖という天台大師の玄義を注釈した書の中で、「理事というは、ただこれ真俗」と釈しています。
 真俗とは真諦と俗諦のことですから、つまりは、日蓮大聖人の己心が妙法蓮華経であることが真諦の理本、そして、この地球上のいわゆる三千の諸法を、俗諦の事迹というのです。しかもこの俗諦の三千の諸法は、大聖人の己心に具わっており、何一つとして欠けているものはありません。 
 このことにまだお気づきでない時を「凡夫にておわせし時」、と申し上げるのです。
 そのような、まだこの世の中に教えが存在しない時(無教の時)に、いろいろご苦労された結果、まさにこの二つが、我が一念に存することを見いだされる瞬間というものがおとずれるのです。
 それが『当体義抄』の『至理は名無し。聖人、理を感じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法これ有り。これを名づけて妙法蓮華となす。この妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減なし』の御文なのです。
 この中で「聖人」と、誰か日蓮大聖人以外の人であるかのような記述をされていますが、これは、大聖人の御謙譲のお言葉なのです。
 もし、「日蓮が」とやったら、それこそ、なんと生意気な坊さんなんだ。思い上がりもはなはだしいと反発がおこってくるのは目に見えています。そこで「聖人」と、誰か大聖人とは別の立派な人のようにお書きになったのです。しかし、信心を以て拝すれば大聖人以外にはあられないことが自然に分かってくるのです。
 まだ世の中が久遠元初のように、教えもなく、人々が深い迷いの中にある時、大聖人様が法界の姿をご覧になって、三世十方をつらぬく大真理を見いだされるのです。
 それは因果が同時の不思議の一法なんですね。
 因果が同時といえば、花が開いた途端、その中にすでに果実が見える蓮華と全く同じです。
 一法というのは一念の心法といって、大聖人のある一瞬の心をさして言うのですが、これがまことに不思議。不思議とは「言語道断・心行所滅」と申しまして、言語の道絶えて、言説すべからず。言葉をどんなにたくみに使っても言い切れない。表現することができない。
 あるいは心のはたらきの滅するところにして、思念することができない。自分の知識や経験、あるいは想像の及ばないようなものですから、私たち凡夫の浅ましい心では簡単に判断しかねるほど尊いもの、という意味で、一言では「妙の一字」に置き換えることができるのです。
 それで、「大聖人の一念の心」が「因果倶時(蓮華)の不思議の一法(妙法)であることから、「妙法蓮華」と名づけられたのです。
 これが真諦の理本です。
 しかも、この大聖人の一念の心法という妙法蓮華に「十界三千の諸法を具足して欠減なし」とある十界三千の諸法とは、この地球上の、私たちの見聞しうる限りのすべての事柄です。
 これを大聖人は『一生成仏抄』(御書四六頁)に、
 「但所詮一心法界の旨を説き顕わすを妙法と名づく、故にこの経を諸仏の智慧とは云ふなり。一心法界の旨とは、十界三千の依正・色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず、ちりも残らず一念の心に収めて、この一念の心、法界に遍満するを指して万法とは云ふなり」
と仰せになっているのです。
 これが先ほどの、第一・理事本迹の中には俗諦の事迹です。
そして、これらが大聖人の心法妙法蓮華経に具わっているというのは、真諦俗諦・この理事の本迹が二つながらにして一つに束ねられていることを表します。
 それが、「六重本迹」の中には、第二の理教本迹の理本と言われるものです。
そうです。先ほどの日寛上人が『撰時抄上愚記』(御書文段三四一頁)の中で「六重の本迹の第二の理本、これを思い合わすべし」と指摘された。あの「理本」です。
これについては、中国の、あの像法時代の法華経の行者である天台大師も『玄義の七』に、「もし理教に約して本迹となすとは、理を指して本となし、本初の境妙を摂得す」(旧富士学林版玄義下二一八頁)と、大聖人のことを証明されるために述べられているのです。
それですから、大聖人はその次の『当体義抄』の御文に、「聖人、この法を師となして修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ」と述べられているのです。
大聖人の御修行とは何でしたっけ?そう種家の本因妙ですね。その時の「境妙本尊」がここに示されているのです。
それ、いつのことですかって?あの宗旨建立から文永八年の龍の口の御法難までのことです。
大聖人が久遠元初の本因妙の修行を実際にされたことが信じられない人に『百六箇抄』を贈ります。
「久遠の釈尊の口唱を今日蓮直ちに唱ふるなり」(御書・一六九四頁)
「日蓮が修行は久遠を移せり」(右同)
「今日蓮が修行は久遠名字の振る舞いに介爾ばかりも違はざるなり」(同・一六九五頁)
「久遠の釈尊の修行と、今日蓮が修行とは介爾ばかりも違はざるなり」(同・一六九六頁)
これが、どう現実の日蓮大聖人の御修行と結びつくかわからないから、信じられないのでしょう。
 このことがおわかりいただけるように、粘り強く論証してみたい。
 まず、その大聖人の己心を「因果倶時不思議の一法つまり妙法蓮華である」となされ、そこに十界三千の諸法が具わっていると、本因妙の修行のための本尊を感得あそばされた瞬間は本当にあったのでしょうか。それとも『当体義抄』の中での、はるか大昔の、いわゆる久遠元初での出来事で、その時の単なる伝説、言い伝えなんでしょうか。
いえいえ、ただの言い伝えなんてとんでもない。ちゃんと現実に体験されたのです。それが『御本尊七箇之相承』のなかの「明星直見の本尊の事」なのです。
「一、明星直見の本尊の事如何。師の曰く、末代の凡夫幼稚のために何物をもって本尊とす可きと、虚空蔵菩薩に御祈祷ありし時、古僧示して云はく、汝等が身をもって本尊とすべし、明星の池を見給へとの玉へば、即ち彼の池を見るに不思議なり。日蓮が影、今の大曼陀羅なり」(日蓮正宗聖典三七九頁)
 この御文の意味は、日蓮大聖人が十二歳の時に清澄寺におのぼりになり、十六歳の時に本格的に出家され、さらに十六年間諸国を回られるなどして、あらゆる学文を修められ、ついに修学を終えられて、建長五年の春、ふたたび清澄寺にお戻りになりました。
そして、この寺の本尊で、大聖人の十二歳の時に智慧の宝珠をさずけてくれた虚空蔵菩薩に、末代の我ら何物をもって本尊とすべきであろうと御祈念あそばされたのです。
すると古僧(昔は信仰軸は辰巳の方から戌亥の方角でありこの方角は先天易では八白土気・後天易では六白金気でしたから、神仏が現世にみ現する時は、老人か少年の姿でみ現するのです)が大聖人の脳裏に現れて、「汝が身をもって本尊とすべし。明星の池を見たまえ」と告げるのです。
 そこで大聖人は、日蓮の本当の姿とはどのようなものであろうかと、明星ヶ池に行ってわが身を池の面に映してごらんになると、なんとそこには、私たちが今目の前に拝している御本尊様のお姿が浮かび上がっていた、映し出されていたというのです。
 この御本尊のお姿は、大聖人の一念に十界三千の諸法が具わっている相貌を顕わしたものです。これこそ、大聖人が本因妙の修行を始められるに当たって、その境妙本尊を感得あそばされた瞬間であります。大仏法出現の時であります。
 逆に、『当体義抄』のあの御文は、大聖人のこの「明星ヶ池での本尊感得」のことを述べられたものです。
なぜなら、久遠元初のものでなければ、明星ヶ池で大聖人が感得されたと言っても、本無今有の失があるからです。ですから日寛上人は、
「末法今時は全くこれ久遠元初なり。運、末法に居すといえども宗は久遠に立つ。久遠は今にあり、今は即ち久遠なり」(当流行事抄・一九九頁)
とおおせなのです。
 人はみな、大聖人は何物も対象としないでお題目をお唱えになったように言っているけれども、己心の妙法蓮華経に向かってお唱えになったのです。
 ゆえに、『御講聞書』(御書・一八四四頁)には、
「今、末法に入りて上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る。日蓮世間に出世すと云へども、三十二歳までこの題目を唱え出さざるは仏法不現前なり」
と仰せられたのです。
 大事なことは折伏と、この本因妙の修行の関係です。
 大聖人様は、「日蓮は不軽の跡を紹継す」と仰せになられています。
 つまり、不軽菩薩が貴賤上下・老若男女をえらばず常に礼拝して、「私はあなたを軽んじるようなことは決していたしません。なぜなら、あなたも仏性という最高の宝をお持ちで、菩薩道を修行すれば、かならず仏になれる方だからです。だから、こうして礼拝させていただいているのです」と礼拝されたのと、大聖人が南無妙法蓮華経とお唱えになって折伏をされたのとは全く同じ意味だと申されているのです。
 大聖人様は、ご自身の心を因果倶時、不思議の一法である妙法蓮華経として、ここに地球上の一切衆生を凝縮して、いわゆる一念の中にちぢめて収められて、この二つ、二つながらにして一つなる境界を本尊として、これに題目を唱えるという本因妙の修行を立てられました。
 では、大聖人はただ暗い一室にとじこもって、ひたすら心を念じられ題目を唱えられたかというと、そうではありません。そんなことはみんなご存知でしょう?
 大聖人は『治病大小権実違目』(一二三九頁)に、
 「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教の御時は理なり。今は事なり。観念すでに勝るゆえに、大難色まさる。彼は迹門の一念三千、これは本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなりと、御臨終の御時は御心へあるべく候」
 一人、部屋にとじこもって、人の間違っている宗教に何も言わず、静かに題目を唱えていて、「観念すでに勝るゆえに、大難色まさる」とどうして言われるでしょう。大聖人のご覧になっている、この地上の人々は、地獄の人であれ、餓鬼であれ、畜生であれ、修羅であれ、人界、天界乃至仏界であれ、みんな日蓮大聖人の一念に具わった人たちなんです。
 その人々に向かって、皆、仏性あり。謗法を捨てて妙法を信ぜよ、と折伏を敢行する。これが事の種が家の本因妙であり、我が己心の妙法蓮華に具する十界三千の諸法を師となして修行覚道して仏因仏果を同時に感得あそばされた但行礼拝のご修行なのです。
大聖人は『御義口伝』(一七八頁)に、
「第二十 我本行菩薩道の文 礼拝住処の事
 御義口伝に云はく、我とは本因妙の時を指すなり。本行菩薩道の文は不軽菩薩なりこれを礼拝の住処と指すなり」
と申されているように、本因妙の時の菩薩行とは、具体的には「不軽菩薩の折伏の振る舞いである」と御指南とされているのです。
 この時、邪宗の僧や尼、それに在家の男女がよってたかって不軽を迫害しますが、これを具体的に示したのが法華経歓持品の二十行の偈であり、これがまさに現実に大聖人の身にふりかかってきたのです。
 これが、法華経の色読・身読と言われるものです。
 このように、すべての人がわが身所具の十界であるという命のもとに、この人たちにも、仏性をお持ちなんです。ただ、その命を曇らせ、不幸におとしめる謗法を捨てて、南無妙法蓮華経を唱えて、ともに成仏の境界へと昇りゆきましょう、と折伏礼拝する時、
 「不軽菩薩の四衆を礼拝すれば、上慢の四衆所具の仏性もまた、不軽菩薩を礼拝するなり」
と『御義口伝』にあるように、彼らは現実では不軽菩薩を迫害しているわけですが、本人たちは知らず気づかずとも、心の中では、その仏性という仏の生命がめざめて、この題目・折伏の行者を礼拝することになるのです。
 ですから、この礼拝行の最大の龍の口の法難において、宇宙法界をあげて大聖人を亡きものにしようとしましたが、大聖人の絶対的威力によってこれをはねのけられ、と同時に、大聖人と十方法界の衆生が九界即仏界、仏界即九界となることで、十界互具百界千如事の一念三千となり、大聖人は法界と冥合された自受用身となられたのです。
 「日蓮が如くなりたくば、日蓮が如くさせ給へ」
 私達の勤行は、この自受用身の相貌たる一念三千の御本尊とし、この御本尊また我らが色身の全体なりと信解の上に口業の題目を唱え(智妙・行妙)この父母所生の肉身妙法蓮華の当体、一切法は皆仏法妙法蓮華経の仏身なりと理即には勝れ名字即の仏よりは劣る、いわゆる理即名字即の位で成仏すべく(位妙)組み立ててくだされたのが御本仏の久遠の修行と色も替わらぬ三大秘法であり勤行なのです。
 折伏は但単に自分以外の人を折伏・入信に導こうとしているのではありません。自分自身の心の中の十界の衆生に礼拝、仏性を目覚めさそうとしている最高の仏道修行なのです。
 だから御本尊の前の唱題、そして折伏と、この往復が大事といわれる所以なのです。

 いよいよ、日蓮正宗の法華講員である誇りをもって、共々に歩んで参りましょう。                    以上

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